天井裏のウロボロス

夙多史

Section2-6 海から来る巨大な怪異

 ウロボロスの潜水艇は人工海水湖を深く深く潜って行く。
「死ぬかと思ったにゃ……今度こそ本気で死ぬかと思ったにゃ……」
 口から魂でも抜けてそうにケットシーはげっそりと脱力していた。あの程度で情けないと思いながら、ウロボロスは手元のレーダーを確認した。
「……近いですね。そろそろ見えてくると思いますが」
「もうどうでもいいから早く帰りたいにゃ……」
「あたしはそれでもいいですけど、あんたのご主人は助かりませんよ?」
「……にゃうぅ、そうだったにゃ」
 ケットシーは知識豊富な頭のいい種族のはずだが、このダメ猫からはとてもそんな知性は感じられなかった。けれどそれで本当にケットシーなのか疑う必要はない。ドラゴンを圧倒するグリフォンが存在したように、鳥頭にも負けないケットシーがいても不思議はないのだ。
「あ、ありました。アレが要石ですね」
 海水湖の底に注連縄の巻かれた古びた巨石を確認する。どうやらあの付近は魔術的な聖域になっているらしい。百年単位の長期間を海水に浸されていても劣化しない仕様だ。
「ほ、本当にあったにゃ……」
「あ? あんたあたしのレーダーを疑ってたんですか?」
「そそそそんにゃことはにゃいにゃよ!?」
 ぶんぶんぶんと首を取れそうな勢いで横に振るケットシー。
「そんじゃ、ちゃちゃっとぶっ壊して帰りましょう」
「どうやって壊すにゃ?」
「そこの赤いボタンを押してください」
「これかにゃ? ――ポチッとにゃ」
 あれだけこの潜水艇に恐怖心を植え付けられたというのに、ケットシーはなんの警戒もなくボタンを押した。
 次の瞬間、視界が真っ白になった。
 潜水艇から射出されたレーザー光線が要石に直撃し、耳を劈くような轟音と爆光を放って周囲の聖域ごと消滅したのだ。
「……マジかにゃ」
 あまりの出来事にケットシーは叫ぶことも忘れてポカンとした。ウロボロスは乱れた水流の中で上手く艇体のバランスを取りながら自慢げに言う。
「この潜水艇はあたしの魔力で動くようになってますので、あんなのは標準装備です」
「おみゃあは戦争でも仕掛ける気かにゃ!?」
「そう言えば第一次世界大戦の時に鬱陶しかったので何隻か沈めたことありましたね」
「本物の兵器だったにゃ!?」
 何気なくとんでもないことを言うウロボロスに、愕然として小刻みに震えるケットシーだった。
「さ、軽く消し飛ばしたことですし、さっさと帰りま――ん?」
 その時、ウロボロスは巻き上げられた土砂の中に二つの赤い輝きを見た。さらにさっきまで要石があった場所に強大な魔力を感知する。
 レーダーを見ると、やはり光点は消滅していなかった。
「……なにかいます」
「にゃ?」
 ウロボロスが警戒態勢に入ると、二つの目のような赤い輝きが強さを増す。
「来ます!」
 巻き上がった土砂を吹き散らすように、巨大ななにかが潜水艇に向かって突進した。

        ∞

「なんだ?」
 海水湖の岸辺でウロたちの帰りを待っていた紘也は、巨大な魔力の出現に眉根を寄せた。
 不穏な地響き。海水湖の水面が荒く波打ち始める。
 と、目の前に見覚えのある丸っこい物体が浮上してきた。ウロたちが乗って行った潜水艇だ。土くれから錬成したらしいが、溶けて沈んでなくて安心した。
 ウロが素早く潜水艇を操作する。ガラスの屋根が持ち上がり、エンジンが切れてシートベルトが外れた。
「紘也くん! 湖から離れてください!」
「どうしたんだ? なにがあったんだ?」
 切羽詰まった様子のウロに押されて紘也は後ずさる。
「要石に封印されていた幻獣が暴れてるんですよ!」
「なんだと……?」
 紘也は必死に陸地へと飛び渡ったケットシーを見てから、海水湖の中心に視線を向ける。すると水面が大きく隆起し、幻獣の巨体がその姿を現した。
 八つの足を持つ蜘蛛に似た胴体。
 牛のような二本の太い角が生えた龍の頭部。
 口から毒々しい紫色の瘴気を吹き、爛然と輝く赤い両眼が獲物である紘也たちを捉える。
「あれは……ギュウキか?」
 幻獣ギュウキ。
 漢字で書くと牛鬼。
 西日本の伝承にある非常に残忍で獰猛な妖怪だ。その姿は地方によって様々であり、牛の頭に鬼の胴体、その逆で鬼の頭に牛の胴体、牛の頭に蜘蛛や虎の胴体、龍の頭に鯨の胴体なんてものまである。一種のキメラだ。
 海岸などの水辺に現れ、一部の地方では海から来る怪異現象は全てギュウキだと言われている〝海災〟の象徴。
 そんな幻獣がなぜこんな場所に封印されていたのか?
 考えるのは後だ。
「やれるか、ウロ?」
「当然です。水中じゃあアレでしたけど、陸に上がればこっちのもんですよ!」
 猛スピードでこちらに迫ってくるギュウキにウロが右手を翳す。圧縮された魔力弾が放たれ、その巨体に直撃した。
 が、魔力弾は爆発せず、ギュウキのゴムのような弾力ある身体に弾き返された。反射された魔力弾はこそこそと退避しようとしていたケットシーの横の地面に着弾する。
「わにゃあぁあッ!?」
 爆発に巻き込まれて地面を転がるケットシー。直撃しなかったから大丈夫だろう。
「面倒な身体してますね」
 ウロは空間に手を突っ込み、半透明な黄金色の大剣を引き抜いた。ウロボロスの鱗から鍛えられた〈竜鱗の剣スケイルソード〉。ゴムのような身体であれば斬撃で倒す判断だ。
 ギュウキが津波のような波を伴って陸に上がる。紘也は気絶したケットシーを抱えて遠くに避難していたから波に呑まれなかったが、ウロは諸にくらってしまう位置にいた。
 スパン、と。
 波が大剣で両断される。
 飛び出した金髪の少女が、大上段に構えた大剣をギュウキの頭部に振り下ろす。対するギュウキは龍の口を開き、猛毒のブレスを吐き出した。
 咄嗟にウロは大剣を盾にして防ぐ。背中に金色の翼を出現させ、地面と衝突する前に飛翔した。
「チッ」
 舌打ちするウロ。封印されていたことで力が弱まっているはずなのに、ウロの攻撃に対応できている。それだけ強力な幻獣ということだ。
 ウロが攻めあぐねていると、どこからか飛んできた真紅の炎が蜘蛛の背中に被弾した。苦痛の悲鳴を上げるギュウキは炎を消すため海水湖に飛び込んだ。
「……マスター、ご無事ですか」
 ギュウキの存在を感知したウェルシュが、文字通り真紅の翼を生やして飛んできたのだ。
「ああ、俺はな。だが、ケットシーがやられた」
「……そうですか。惜しい幻獣を亡くしました」
「生きてるにゃ!?」
 紘也の背中におんぶされていたケットシーががばっと起き上がった。その際にピョコンと猫耳と尻尾が生える。
「ぶわっ!?」
 一瞬で紘也の猫アレルギーが発動し、堪らずその辺に放り捨てた。ケットシーは猫の身軽さでなんとか着地する。
「酷いにゃ人間!?」
「……あ、よく考えたら別に惜しくなかったです」
「そしておみゃあも酷いにゃ!?」
 天に向かって咆えるケットシー。
 ギュウキと目が合った。
「さらばにゃ!」
 速攻で撤退を選択する潔さはいっそ紘也も見習いたいくらいだった。猫耳尻尾の状態の彼女を捕まえることは紘也には無理なので、もう放置しておく。いても恐らく邪魔なだけだし。
「おらっしゃーっ!!」
 ウロが蜘蛛足の連撃をかわしつつ、その足を一本また一本と斬り落としていく。ウェルシュの〈拒絶の炎〉も加わり、ギュウキは次第に追い詰められていった。
 ――待て、そういえばギュウキって。
 嫌な予感が紘也の脳裏を過ぎる。ギュウキが地方によって姿が違う理由。その一つにある特性が関わっていることを思い出した。
「ウロ! ウェルシュ! そいつを殺すな!」
「はい? どうしたんですか紘也くん?」
「殺せば、殺した方がギュウキになる!」
 ギュウキは自分を殺した相手に〝憑依〟する。〝憑依〟された者は次第に人格が凶暴化し、やがてギュウキそのものに変化してしまうのだ。
 吸血鬼に噛まれた者が吸血鬼になる。それと似ているようでもっと厄介な特性だ。
「あー、言われてみるとそんな特性ありましたね。世界の幻獣TCGでも死ぬと相手の幻獣の制御を奪えますし」
「……この前山田が使っていました。とても面倒でした」
 幻獣たちの知識の源泉がおかしいところにある気がするのは、今さらなのでツッコまないでおく。
「……どうしましょう、マスター?」
 ウェルシュが困ったような表情で紘也の指示を仰ぐ。けれど、紘也も封印以外に最善の手は思い浮かばない。
「手ならありますよ。疲れるからやりたくないんですけど仕方ないですね」
 かぷっ。
 ウロが自分の手首に噛みついた。〝貪欲〟に自分の血を吸い、〝循環〟させることで人化状態でも魔力を爆発的に高めるウロボロスの特性だ。
 高まる魔力に危険を感じたのか、ギュウキがウロに襲いかかる。
「そっちから突っ込んで来てくれるなら手間が省けますね」
 にやり、とウロが笑った。紘也も彼女の意図を正確に理解する。
「死んで効果のあるカードはゲームから追放すればいいんですよ!」
 竜の頭のような形に歪んだ空間。
 その顎が開かれ、迫り来るギュウキの巨体を丸呑みにした。かつてヴァンパイアにも使用した、〝貪欲〟の特性を利かせた異空間に閉じ込めて存在ごと自然消滅させる反則技チートだ。
 消滅する時は異空間。それでは〝憑依〟のしようがない。
「ごちそうさまでした」
 空間の歪みが消え、後は海水湖に静かな波紋だけが残った。

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