天井裏のウロボロス

夙多史

Section3-4 最悪の遭遇

 群がるゾンビたちを情け容赦なく斬り伏せながら、孝一と劉文海はオフィスビルの七階にまで到達していた。
「くっそしんどいわ!? こんなん切りがあらへんで!?」
 もう何十体ものゾンビの首を撥ねている劉文海が泣きごとを喚いた。それでも彼は返り血一滴たりとも浴びておらず、息も乱していない。
 魔術師のくせに暗殺者の孝一にも匹敵する身体能力と武術を身に着けている。時折〈八卦〉に基づいた魔術も併用し、並居るゾンビたちの討伐数は一体ずつしか倒せない孝一よりも多い。
「孝一はん伏せといてや! もう面倒やから一気に片づけたるわ!」
 叫ぶと劉文海は〈八卦〉の図式が描かれた和紙をばら撒いた。ばら撒かれた和紙は空中で四散し、それぞれから暴風の刃が吹き荒れ二人を取り囲んでいたゾンビたちを切り刻む。そして討ち漏らしたゾンビは孝一が瞬足で頭を潰していく。
「次! そこの角を左に曲がるぞ!」
「あの孝一はん、この階のゾンビは粗方葬ったわけやし、ちょっと休憩せえへんか?」
「葛木家が出てきた。休んでいる暇はない」
 先程の爆発音の後、覚えのある黒装束たちがビルに雪崩込んでいる光景を孝一は見た。異変に気づいた葛木家が早速対応して来たのだ。葛木香雅里もいるのかはわからないが、葛木家の人間と鉢合わせるのはまずい。
「! 止まれ」
 孝一は小声で後ろからついてくる劉文海に指示を出す。角を曲がったところで、別の階に繋がっている部屋の扉が開き三人の人影が飛び出してきたのだ。
 ゾンビの援軍かと思い身構えたが――
「わっ、先輩いた!?」
「やっと合流できたぜ!」
「ご無事ですか!」
 人影は先にビルに潜入していた後輩たちだった。男子二人に女子一人。間違いなくジョージのチームメンバーだ。
 三人ともゾンビと戦い続けていたのだろう。抜き身のナイフを手にし、目立った外傷はないが服はあちこち破けている。
「ミソラ、リュウ、ナオヤ、お前らも無事そうでよかった」
 孝一はひとまず胸の内で安堵し、三人の下に駆け寄る。それ以上の余計な雑談はしない。情報交換が最優先だ。
「なにか見つけたか?」
「ごめんなさい。ゾンビの相手で手一杯で、まだなにも……」
「とりあえず、今のところ怪しいもんはなかったぜ」
「僕たちが探索したのは、一階、三階、六階、八階、それと屋上です」
 後輩たちも状況を理解しているらしく早口で探索結果を報告した。孝一は一秒ほど彼らの言葉を吟味し――
「結界や神殿化の基点はビルの最上・中間・最下のどこかにあると踏んでいる。屋上と最上階の八階をお前たちが調べてなにもなかったのなら、候補は二つに絞られるな」
 このビルは地下一階もある。中間は四階か五階になるが、五階は既に孝一たちが調べている。
 案内板を見た限り、四階はフロアのほとんどが大規模会議用のホールになっているようだ。広い空間が必要な魔術であれば打ってつけの場所と言える。
「ここからも二手に分かれよう。お前たちは文海さんと地下一階を探索してくれ。俺は四階のホールに行く」
「だけど、道がぐちゃぐちゃで……」
「道なら文海さんがわかる。文海さんもそれでいいか?」
「ええんとちゃいまっか。それでさっさと終わるんなら、ボクに異論はないで」
「先輩が一人になっちまうぞ?」
「オレの方は問題ない。四階ホールはそこの非常階段を上がれば・・・・辿り着く。すぐに終わらせてそっちへ向かうさ」
「……わかりました」
 決まりだ。
 後輩たちは頷くと、劉文海を護衛するように周りを囲む。そのまますぐに行ってくれてもよかったのだが、劉文海はなにやら漢服の袖をごそごそさせて一枚の護符を孝一に投げ渡した。
「通信用の魔術符や。これやったら結界の中でも機能するやろ。なんかあったらそいつを額にあてて相手の名を念じるだけでええ」
「助かる」
 分かれて行動する以上、通信手段は必要だ。この建物の中では携帯は使えなかったので非常にありがたい。
「よし。お前ら、葛木家には極力見つからないようにしろよ」
 最後にそれだけ伝え、孝一たちはその場から消えるように散開した。

        ∞

 四階の会議用ホールに辿り着いた孝一はざっと全体を見回してみた。
 壁は防音。天井は高い。映画館のように座席が段々状に設置され、前方にはステージと巨大スクリーンがある。
 これと言って目立つ怪しい物はなさそうだ。
「ハズレか? ……いや」
 孝一はナイフを構えた。ホールの座席から――むくり、むくり。ゆっくりとした動作で無数の人影が立ち上がっていく。
 まるでなにかを守るように配置された大量のゾンビ。それが一斉に赤く鈍く光る眼を孝一に向けた。
「なにかあるな」
 座席を蹴って粉砕しながら飛びかかってくるゾンビたちが孝一の喉元に噛みつく。だがその瞬間、噛みつかれたはずの孝一の姿がフッと消え、噛みついたゾンビの頭部に次々とナイフが突き刺さった。
 孝一は残像が生じるほどの速度でゾンビたちを無力化していく。
『ラッフェン・メルダー』の魔術師殺しは対幻獣用の訓練も行っていたが、実際幻獣と戦う機会など滅多になかった。強力な幻獣を使役する魔術師は限られるし、そもそも幻獣を呼ばれて真っ向勝負する状況になれば詰みだからだ。
 あくまで魔術師を殺す技術を叩き込まれた孝一たちは幻獣を相手取ることが不得手。だが、その相手が今回のゾンビのような人間が変化したものであれば戦える。弱点も頭だと知ったからには負ける要素はない。
 二分とかからずホールにゾンビの死体――というと妙な表現だが――を積み上げた孝一は、そのまま前方のステージ前まで下りた。
 ――なるほど。
 近くで見ればはっきりとわかった。ステージの両脇に聳える大きな柱。そこに透明な液体で魔法陣が描かれている。
 数は片側二つの計四つ。これを破壊すれば空間を捻じ曲げている神殿化か、外部との非物理的な接触を遮断している結界、もしくは秋幡家を狙っている術式のどれかが消える。
 ――全部消えてくれりゃ御の字だが、そう単純には行かないだろうな。
 あまり期待せず孝一はナイフを投擲に構え――瞬時に真横へと飛び退いた。

 刹那の後、今まで孝一が立っていた場所に巨大な氷の塊が撃ち込まれた。

 ホールの室温が急激に二度ほど下がった感覚。孝一は座席の陰に身を隠しながら、ホールの入口に立つ黒装束の少女を見た。
 冷気を纏った刃が照明の光を青白く反射する。
 葛木香雅里……最悪だ。やはり、来ていたか。
「葛木家よ! あなたがこのビルで魔術を使用したことはわかっているわ! 大人しく出て来なさい!」
 全く見当違いなのだが、孝一は反論しない。これはカマかけだ。「お前たちは完全に包囲されている」と似たニュアンスだ。顔は頭と口元にバンダナを巻いて隠しているが、声を出せば知り合いの彼女にはバレかねない。
 出入口は押さえられているが、孝一のスキルなら脱出は可能だ。だがその前にキリアン・アドローバーが仕掛けた術式を破壊しなければならない。葛木家に任せてもいいが、そうなるとまずどういう術式なのか調べるところから始まり破壊まで時間がかかってしまうだろう。
 無論、そんな暇はない。
 ――無力化するしかない、か。
 幸い、彼女は単騎だ。仲間とはビルの捻じ曲がった空間のせいではぐれたのだろう。仲間を呼びに行くようなタマじゃない。戦いを避けて通ることは難しそうだ。
 ならば、戦いの中で術式の破壊と逃走の隙を作ればいい。
 後輩たちには極力接触を避けろと言った手前だが……。
 ――悪いな、葛木。
 孝一は息を静かに長く吐き出し、腹を括った。

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