終わった世界の復讐者 ―僕はゾンビを操ってクラスメイト達に復讐する―
第65話 三田VS琴羽
ユリと『勝利』が攻防を繰り広げていた頃、大学病院のエントランス付近は阿鼻叫喚の地獄と化していた。
触手のゾンビ達は、その触手の長いリーチによって避難民たちを追い詰めていく。
何人かの男たちがその犠牲となる中、避難民たちも負けじとゾンビの頭を次々に潰していった。
もはや、彼らに恐怖心などという感情はない。
あるのはただ、『こいつらをこの先へは進ませない』という強い想いだけだった。
数も減った避難民たちが一応の均衡状態を保てているのは、ゾンビ達の練度の低下によるものも大きい。
三田が呼び寄せたゾンビ達は、『知恵』が引き連れていたそれらよりも動きが鈍い。
そんな均衡状態を、三田は苦々しげな表情を浮かべながら見ていた。
認めたくないことではあるが、三田はまだセフィラを制御する力が弱い。
ゾンビ達に送る指示の精度も、『知恵』のほうが高かったのだろう。
「――っ!」
「おわっ!」
少しよそ見をしてしまったせいか、琴羽の顔面に吸い込まれるはずだった一撃は、あともう少しのところで回避される。
「…………」
そんな琴羽との攻防の中で、三田は強烈な違和感を感じていた。
「――はぁっ!」
「おっと」
拳が風を切り、琴羽の顔面すれすれのところを掠めていく。
だがそれは、琴羽の回避力が三田の攻撃精度を上回っているからではない。
三田が、琴羽への攻撃を躊躇してしまっているからだ。
「…………」
琴羽から少し距離を取り、自分の右手の調子を確認する。
……やはり、気のせいではない。
琴羽に近づけば近づくほど、手に感じる違和感はより大きなものになる。
いや、それは違和感などという生易しいものではない。
あとほんのすこしで琴羽に触れるほど近づいた右手は、明らかに痛みを感じている。
どこが痛いのかもよくわからないが、強いて言うなら手全体だろうか。
これ以上近づけば……直接琴羽を殴ったりすれば、何かよくないことが起こるような気がしてならない。
――一度、試してみるか。
このままでは埒があかない。
そう判断した三田は、一度全力で琴羽を殴ってみることにした。
「お。ようやくやる気になりましたか」
三田の内心の変化を感じ取ったのか、琴羽がそんな言葉を発した。
その声を無視して、三田は一気に距離をつめる。
弾丸のごとく迫る三田に対して、琴羽は特に何をするでもなくその場に立っている。
しかし突然、琴羽はその口を開いて、
「そういえば三田さん。あんまりわたしに近づかないほうがいいかもしれませんよ」
三田の拳が琴羽の顔に吸い込まれる直前、彼女は微笑んでいた。
「まあ、もう遅いかもしれませんけど」
「――っ!?」
その瞬間、三田が味わった感覚は、まさに今までの人生で味わったことのない、決して味わうはずのない激痛だった。
『知恵』に腹部を貫かれた時とはベクトルの異なる、強烈な痛み。
そして、三田は自分の手を見て愕然とした。
「な、ぁあああっ!?」
右手の指の骨が隆起し、あらぬ方向に捻じ曲がっていた。
握りしめていたはずの拳は骨だけが大きく開かれ、手の付け根からぷらぷらと垂れ下がる指の肉だけが、握り拳だったものの形をかろうじて保っている。
おびただしい量の血が噴き出し、琴羽の頬と三田の腕を汚していた。
「あらあら。大変なことになっちゃいましたね」
「ぐ――っ!!」
そんな彼の様子をクスクスと笑う琴羽から、三田は距離を取る。
動けば動くほどに、身体の中の血液が右手の傷口からこぼれ落ちていく。
決して軽視できる怪我ではない。
「…………」
……油断していた。
所詮、相手はセフィラを持つだけの小娘だとタカを括っていた。
セフィラを得た自分の敵ではないと判断し、舐めてかかった結果がこのザマだ。
もう右手は使い物にならない。
肉を食って回復したところで、短時間では止血するのが精一杯だろう。
三田としても、ここまで人体を破壊された経験はない。
あまりに異常すぎる感覚に、脳が右手のそれを受容しきれていないのがわかる。
できれば右手に意識を割くこと自体やめたいのが本音だったが、そういうわけにもいかない。
五指の骨が肉から盛大に露出し、空気に触れている。
明らかに、自然な人体の動きを逸脱している。
それは琴羽が持つ、『峻厳』のセフィラの力による攻撃に間違いない。
三田が感じた最初の違和感の正体もこれだったのだろう。
「……来い」
その辺で避難民の屍肉を貪っていた触手のゾンビを呼び寄せ、その触手に食らいつく。
タコのような食感のそれを噛みしめると、身体に力が戻ってくるのが実感できた。
「うわっ……ええ……。それ食べるんですか……?」
琴羽は若干引いた様子で、表情を歪める。
ものすごく気持ちの悪いものを見てしまったとでも言うかのようなその顔に、三田は不思議な感覚を覚えた。
「……ふ」
今はもう、異形の肉を食らうことになんの違和感も忌避感も感じない。
それはまさに、化け物として磨きがかかってきた証なのかもしれない。
「なんか急に気持ち悪くなってきましたけど、まあいいです」
そんな三田を奇妙なものを見るような目で見ていた琴羽は、ゾッとするほど綺麗な笑みを見せながら、
「さて、それじゃあ三田さん。きれいな背骨を見せてくださいな」
そう言って、微笑んだ。
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