悠久のアトランティス

夙多史

第03話 王様候補生

 ディオはこれと言って突出した能力のないどこにでもいる学生だった。
 平凡に勉強ができて、平凡に運動ができて、チームを纏めるよりはリーダーを補佐する役目が多い、目立ち過ぎず目立たな過ぎずという絶妙なラインを自然に歩んできた。
 一握りの才能ある人間は魔法なんていう力を使い、様々な貢献により社会を発展させてきた。だが、ディオに魔法の才なんて欠片もない。こればっかりは『ある』と『ない』とではっきり分かれているから、羨望は抱いても悔しいと感じたことはなかった。
 家柄も庶民代表として胸を張れるほどで、両親も健在。唯一、幼馴染のフェリテと恋仲になったことで男友達の間では一歩リードしている感じである。
 そんな大したことない小市民たるディオが、伝説の楽園《アトランティス》の王様候補生に選ばれた。
 さっぱり、わけがわからない。
 短時間でこれほどいろいろなことに対して『わからない』を連発したことなど、フェリテがいきなり告白してキスを迫ったあの時でもなかった。
 ディオにはこれといって目指しているものや、自分だけの信念的な思想も持ち合わせていない。ただ、今が楽しければ全てよかったのだ。
 自分の世界ですらない場所の王様になるなど考えられるはずもなく――
 ディオはやはりわけがわからないまま、イラハの後に続くしかなかった。

        †

 城門をくぐると、この都市がいかに古びたものかが窺えた。
 遠くからは『荘厳で美しい白き街』として見えた。だが、実際に近くまで来てみると、壁は罅割れ苔は張りつき、雑草や蔦も伸びたい放題で『廃れ切った街』という印象に上書きされる。
 とても〝楽園〟とは思えない。絵本ではもっと華やかだったが、これがディオの知っている《アトランティス》とは違うということなのだろうか。もしくは、絵本に描かれていたように滅ぼされたからこうなっているのだろうか。
「それにしても――」
 白タイルの街道をイラハの隣に並んで進みながら、ディオは眼球運動だけで周囲を見回す。こんな『無人』が似合う遺跡のような街にもちらほらと人の姿が見えるのだ。
「これらみんなが別々の世界から来た人たち、なんだよね?」
 誰も彼もがディオと歳の変わらない少年少女たちだった。そして皆が他人を避けるように独りで、警戒するように目に映る人々を観察している。何人かで集まって会話している者もいないわけではないけれど、彼らも『友達でもなければ知り合いですらないっていうか寧ろ敵』といった険悪でピリピリとしたムードを醸し出している。
「そう。ここにいる人たちはみんな、《アトランティス》を再建するために各世界から集められた王様候補生よ。みんな敵」
 そう言うも、イラハからは他の候補生のようなあからさまな敵意を感じない。ただやはり、敵意はなくも相手を傷つけなければならない時は躊躇いなくそうするだろうとわかる。
「だからディオも気をつけて」
「いやでも、いくらライバルだからって警戒心剥き出しにするよりは、歩み寄って仲良くなった方が――」
「気をつけて」
「はい……」
 語気を強くされたのでディオは頷くしかなかった。
 周りの少年少女はもちろん、イラハもディオも《アトランティス》の王様候補生。正直、実感が湧かない。いきなりわけのわからない場所に飛ばされて最初は混乱し絶望しかけていたディオだが、今は不思議と落ち着いている。自分と同じ境遇の者がこんなにいると知ったのも一つの理由だろう。
 イラハから聞いたところ、中には自分からやってきた者もいるようだが、多くの者がディオと同じくなにも知らないまま《アトランティス》が勝手に選抜して転移させられてきたらしい。
 ふざけている。
 王様になるための試練? そんなものはどうだっていい。興味もない。ディオの願いはただ一つ。元の世界に帰ることだ。
 そのためにはどうすればいいか? 《アトランティス》がディオを呼んだというのなら、恐らく逆もできるはず。異世界から自らこの地へ乗り込んだ者がいるなら、出入口があるはず。どちらにしても、まずは情報収集をするしかない。それがディオの乏しい頭で思いつくことのできる最良策だった。
 だからこそ、他の王様候補生と敵対なんてしたくない。自分と同じ境遇の者がいるなら、協力して脱出する同志を集えるかもしれない。
 いろいろ教えてくれたイラハは、王様を目指している側の人間だろう。どうやってこの《アトランティス》へ来たのか彼女に訊くと、「それを知ってもあなたの世界には帰れないわ」とあっさり切り捨てられてしまった。考えてみれば当然か。イラハの世界に行きたいわけではないから。
 警戒心剥き出しの周りを見る限り、当分はイラハと行動を共にした方がよさそうだ。味方だとも言ってしまったことだし。
「ところでさ、俺の世界だと国が違っても標準語で話せば割と言葉は通じるんだけど、ここにいる人はみんな異世界人同士なんだよね? なのに喋ってる言葉がわかるのって不思議だと思うんだけど、なんでかな?」
「それは私も知らない」
 ディオの喋っている標準語をイラハも喋っている。もしかしたら《アトランティス》の不思議な力が働いて、イラハにはディオがイラハの世界の言葉を喋っているように聞こえているのかもしれない。

「わたくしの話を聞いてください!」

 ちょっとした広場に出た時、凛とした響きのある声が高々と響いた。
「一つの玉座を得るために争うのではなく、皆で協力してこの《アトランティス》を再建するという方法もあるはずですわ! そうすればきっと、皆の世界に利益がもたらされることになりますわ!」
 広場の中央で演説じみたことをしている者は、ふわふわの金髪をカールさせている少女だった。高級そうなノースリーブのワンピースに肘まである純白の手袋、右腕には緑色の宝石が埋め込まれたブレスレットをはめ、頭には銀のティアラがちょこんと乗ってある。どこかの王女様といった風貌だ。
 必死に自分の主張を訴えている少女だったが、彼女の言葉に耳を貸すものは誰一人としていなかった。それどころか彼女を避けるように通り過ぎていく。
「いいこと言ってるのに、なんで誰も聞いてあげないんだよ」
 少々苛立ちを覚えたディオは広場をざっと見回してみる。建物の陰に潜んで広場を観察している者、隅の方で蹲ってなにかに怯えるように震えている者、胡坐をかいて馬鹿でかい大剣の手入れをしている者などなど、演説には微塵も興味がないといった様子だった。
「みんな、自分のことしか考えてないから」
 ディオの苛立ちを感じ取ったのか、イラハが透き通った声でそう言った。青い瞳はまっすぐに演説少女を見詰めているが、彼女も興味を持っているわけではないようだ。
 ふと、イラハが上目遣いでディオを見詰めてきた。
「ディオは、なにか身を守る術はある?」
「え? 父さんに剣術を習ってたことはあるけど」
 実は割と得意だったりする。自慢できるほどの腕というわけではないけれど。
「剣は?」
「持ってるように見える?」
 諸手を上げて無携帯を示すと、イラハは紅白神子服の背中に手を突っ込み、なにかを棒状の物体を引き抜いた。ディオに差し出されたそれは、金の意匠が施された黒塗りの鞘に収まった長剣である。
 ずっしりと重みのあるそれを受け取り、なんとはなしに鞘から抜いてみる。
 身幅が狭く、芸術的に反り曲がった片刃の剣身をしていた。刃毀れは一切なく頑丈そうで、突いたり斬ったり峰で殴ったりと様々な用途で使えそうだ。
 刀。確かそんな感じの呼び方をする武器だったと思う。
「なんなのこれ?」
「護身用の刀よ。銘は〈天之尾羽張あめのおはばり〉」
「なんかごっつい名前……じゃなくて、なんで俺に?」
「ディオは、私の味方だと言ってくれたから、貸してあげるわ」
 イラハは曇りのない青い瞳でまっすぐにディオを見詰め、そう告げた。彼女の瞳にははっきりとはしていないものの、不安の色が見て取れた。その少しつつけば崩れてしまいそうな表情を見て、ディオは悟る。恐らく彼女は、広場で演説をしている少女と同じようにディオにした質問を繰り返してきたのだろう。そして、その全てを無視されたのだ。
 他の候補生同様に王様を目指していても、イラハは孤独が堪えられなかったのかもしれない。もしくは、一人で王様になることは叶わいと考えたのかもしれない。彼女の意図がどうであれ、ディオが初めて『味方』だと答えた唯一の存在だということには変わらないのだ。
 協力してあげたい、不思議とそう思っている自分がいた。自分はこれほどお人好しだっただろうか? ディオは王様になど興味はないから、せめて自分の世界に帰るまでは彼女の協力者でいよう。そう決める。いや、決めた。
「あ、でもこれを俺に渡したらイラハの武器がなくなるんじゃないの?」
「私は別にあるから大丈夫」
 シュ。
 神子服の両袖から、ディオに渡された刀を縮小させたような短剣がそれぞれ飛び出した。しかも抜き身だ。イラハはそれを両手で握って構えてみせる。
「ほら」
「あー、うん、わかったよ。でも危ないからそれは仕舞おうね」
 銀光を宿す刃に若干の恐怖を覚えて一歩後じさるディオだった。
 と、その時である。
「な、なんだあれは!?」
 誰かがこの世の終わりを見たような絶叫を上げた。その絶叫を引き金に、地を裂かんばかりの悲鳴が波及していく。
「みんな、一体どうしたんだ?」
 パニックに陥る周囲にディオは混乱する。少年少女たちは皆、天を見上げて叫喚していた。
「上? ――なッ!?」
 見上げ、絶句する。
 遠い空の彼方にあって、それでいてはっきりと視認できるほどの巨体が都市に近づいて来ていたのだ。トカゲに似た体型に、背から生えた無骨で巨大な両翼を羽ばたかせ、強靭そうな深紅の鱗に覆われたそれは――
「ドラゴン」
 イラハが、ぽつりと呟いた。

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