年末と蕎麦と除夜の鐘

巫夏希

年末と蕎麦と除夜の鐘

「『一杯のかけそば』というのを知ってますか?」

 めぐみさんがこんなことを言い出したのは、除夜の鐘がもう十回以上鳴り響いていて「そろそろ食べましょうか」と署長さんの合図でかけそば(年越しそば)を食べようとした時のことだった。除夜の鐘が十回くらい鳴った今くらいから食べ始めれば、ちょうど除夜の鐘が百七つ目で食べ終わるだろうという祐希の試算によるもので、俺はそれを確かめようがないから従っているに過ぎない。

「……落語か何かでしたっけ?」
「それは『時そば』ですよ。時そばは知ってますよね、一応ですが」

 時そば、とは。
 古典落語の一つで、ある男が立ち食いそば屋で十六文の蕎麦を食べていた。

「おい、オヤジ。今ちょっと細かいのしかねえんだ。落としちゃいけねえから手をだしてくれ」

 そう言われるままに店主は手を出す。男は一つ一つ銭を出していく度に数を数えていく。

「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ……、おいオヤジ。今何時だ?」
「九つだね」
「十、十一、十二、十三、十四、十五、ほいよ十六文」
「はい、毎度あり」

 今、店主が貰ったのは十六文ではなく十五文だが、それを彼が知ることはない。
 その後、別の男が現れ『二匹目のドジョウ』を狙うのだが……、というお話だ。

「……で、その『時そば』がどうかしましたか?」
「違いますよ。あなたが時そばと勘違いしたんでしょう。私が言っているのは、『一杯のかけそば』ですよ」
「どんな話なんです?」
「名前のとおり、親子があるお店で一杯のかけそばを注文しましてね。店主はかわいそうに思ってすこし多めにそばを盛りました。それをなかよく三人は食べ合いました。……実はその親子は父親を亡くしており、大晦日の日にそれを食べるのが唯一の贅沢だったわけです。それが何年も続きましたが……ある年、ついに来なくなりました」
「えっ? ……まさか」
「話にはまだ続きはありますよ」

 めぐみさんは俺のその反応を見越していたんだろうか。だったら非常に腹が立ってしまうのだが、彼女はそういうキャラだからしょうがないように思えてくる。

「十数年後、そこには成長したその親子が来ました。子供は就職して立派な大人になり、親子三人で三杯のかけそばを食べていくんです」
「……いい話ですね」
「これが世に出たのはラジオの年末の番組ですね。一九八八年でしたから……約三十年前でしょう。ですが、これが嘘と言われましてね……、あっという間にブームが過ぎ去ってしまいましたよ」
「はぁ……ところでこれって今の状態と関係あるんですか?」
「いえ? ありませんよ?」

 そう言ってめぐみさんは最後の一口を食べ終わった。――しまった、俺はまだ年越しそばに手を付けていない……! そう思ったときには、もう遅かった。

 ごーん。

「明けましておめでとうございまーす!」
「明けましておめでとうございます」
「おめでとう」
「いやあ、もう年明けかあ。一年も早いねえ」

 ――年越しそばを食えぬまま、俺は二〇一七年を終了し、二〇一八年を迎えたのだった。


おわり。

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