朧月夜に蓮華と愛

45.光が満ちる。


「朧、お前ほんまに下手やなぁ。しっかり返せやぁ」
「俺が下手なんちゃうわボケッ。サクラ絶対なんかしてるやろ!!」
「私のせいにしたらあかんでぇ。ひどいやっちゃなぁ」
「あ、お前今ニヤケとるやないか!! それでばればれやっちゅーねん!」
 サクラが光の球をいくつも作り、それを朧に投げる。そして朧がそれをサクラに蹴り返している中でのやり取り。
 朧がなぜサクラに文句を言っているのかといえば、蹴鞠は朧の得意分野のはずなのに、どう蹴っても光の球はサクラの元に届かないからだ。
 それどころかあらぬ方向に飛んでいき、何代も守られてきた歴史溢れる屋敷が崩壊して行く――もう既に広間の屋根は半分以上消失していた。
「サクラ様、もうお止めください!」
 老狐たちは落ちてくる屋根を避けるように、広間の片隅で身を寄せ合い、しかしなんとか主をいさめようと何度も声をかける。その度にサクラも同じことを何度も返すだけなのだが。
「私の条件やただ一つや。何回もおんなじこと言わすなや」
「それを許してしまったら、今までの努力が無駄になってしまいます!」
 ちんまりとした狐が泣きそうな――いや半ば泣き出している顔で――サクラを見上げた。この先一族を失うことは、たとえ自分が死んだ後でも耐えられない。そんな気持ちといったところか。
 アヤカシは、人間とは違って繁殖力は高くない。
 長寿だからこそ増えすぎないように。
 そんな理由なのだろうか、本当の所は分からないが、純血がいなくなることが責任感の強い長老たちには恐怖でしかなかった。
 だけど、今現在生きているアヤカシの中で唯一の混血である朧は、色は違えど耳と尻尾を持ち、能力でもアヤカシであることは間違いない。父親の銀の妖力もなかなか強く、それをしっかりと受け継いだものだとも、頭のどこかでは理解している。
 頑なに純血に拘る。凝り固まった思考がどうにもそれを許さないし、許せないだけだ。
 その思考のせいで、サクラの要求を受け入れることができなくて、そしてその唯一の混血である朧が片棒を担がされ、こうして屋敷は壊されている。
 それが現在進行中の出来事だった。
「サクラさん、ほんまにこれ以上は……家が壊れてしまいます」
 銀に守られるように、やはり広間の端で縮こまっている蓮太郎が、その優しい瞳に涙を貯める。朧のことも心配でならないようだ。
「ほんまやで、姉さん。わし住むとこなくなるの嫌やでっ」
 銀にとってはここは愛する妻と過ごした大切な場所で、そして可愛い息子が育った、いわば思い出が詰まったところである。
 まぁ、その思い出の場所を破壊しているのはその息子の一人である朧なのだが、主犯格のサクラを止めないとどうにもならないのでこの際置いておこう。
「ほんなら私の言うこと聞かんかいな。私かて鬼やないから、言うこと聞いてくれたらやめるがな」
 光の球は無限にサクラの掌から生まれてくるようだ。徐々に大きくなって放たれるそれに、朧が半ばやけくそになって蹴り返すと、それは隣の間との境になっている壁にものの見事に命中した。
 派手な音ともうもうと埃が舞い、視界がますます悪くなる。しかしサクラは一向に手を止めないので、かすむ中に光が物凄い勢いで朧に向かってきた。
「ちょっと待てってサクラ!」
 まともにこれを食らっては朧だって痛い。寸でのところで交わして尻餅をついたはいいが、それでもひゅんと掠めたそれの勢いに負けて、ごろりと畳の上に薙ぎ払われた。
 その情けない姿をかすむ視界に認めたサクラはさも楽しそうに吹き出す。
「おい、じじいども。廃業するか私の条件を飲むか。ええ加減に決めんとほんまにこの家壊すぞ」
 にやにやと底意地の悪い笑みを浮かべ。黒髪を翻して神は振り返る。冴え渡った銀色の視線の先には、怯える老狐たちが猿団子のように固まっていた。
 その言葉に、苦虫を噛み潰した顔を、年老いた狐たちは付き合わせた。
 自分たち――狐たちの存在意義は、社とサクラを守るためにある。
 それがいつからであるとかは、起源は分からない。ただそれを当たり前として受けれてきただけで。しかしそれが何よりも絶対だった。
 その役目を解かれれば、それこそ純血に拘ることも、何もかもが馬鹿馬鹿しく意味のないことであろう。サクラの狙いは明らかにそこだった。
 存在を否定されてまで、頑なになる必要はない。少なくとも銀はそう思っていた。情けなく腰が引けている当代の主は、同じく困惑し、泣きだしそうな次期当主である息子を瓦礫から庇いながら、その瞳に力をこめた。
 ここでやらんかったらいつやるねん。たまには父親らしい所でも見せんとあかんやろ。言葉にはしないがそんなことを考え、銀は大きく息を吸い込むと声を張った。
「分かったっ! わしが認めるから! これからは種族に関係なく婚姻を許す!!」
 ガラガラと落ちてくる屋根瓦を避けて、銀は長老たちの下に駆け寄った。驚き目を丸くする年老いた狐たちの前で、大きな狐は頭を畳に擦りつけた。
「わしはまだまだ至らん当主やけど、それでもこの家族が好きですねんっ。蓮太郎も朧もわしの大事な息子で、一族も宝もんや。だから幸せになりたい。このみんなで笑っていきたい。誰か一人が我慢するなんて嫌や。じーさんたちの言いたいことも分かってるけど、それでもサクラさんの言うとおり、このままでは確実にわしらの子供はおらんようになる。それやったらわしは……わしらの主の言葉を聞き入れたい。どうか許してやってくれへんやろか!?」
 必死の形相で顔を上げた銀は長老たちを見つめた。その眼差しは今までにない真剣みを帯び、覚悟を決め込んでいることを見せ付けた。
 子孫繁栄を望んでいるのは誰もが同じで、だけどその方法が少しづつ違っている。ならば誰かが決定権を持つのが一番なのだと、銀は思った。
 かつて、人間との間に子をなしたときに、銀もかなり責められたものだ。だから朧を人間の世界で育てなくてはいけなくなった。若かった銀ではとても長老たちを納得させることはできなかった。
 今度こそ。そんな思いが溢れてきたから、息子たちが大事で大事で仕方がないから、気付けば勝手に身体が動いていた。
 そんな父を見ていた蓮太郎が、優しい瞳から涙を零した。それを拭うことなくその場ではあるが、老狐たちに向かって頭を下げた。
 その様子を見ていたサクラは、光を掌で丸めながら、その場には似合わないほど優しく、だが有無を言わせない声音で畳み掛けた。
「ほれ、親子がこんだけお願いしてるんやから、さっさと認めたったらどうや? まぁ私はこのままここ、こっぱ微塵にしても全然かまへんけどな」
 光の球を一際大きくしてサクラは妖艶に微笑した。神の瞳に浮かぶからかいと、しかしこちらの本気の色も、誰が見ても明らかだった。
 もともと主に対して異論を唱えること自体が難しい忠実な狐たちに、それ以上の反論など、結果家をつぶしてしまうことに変わりはないのと同じだ。
 一番年老いたちんまい狐は、長い長い沈黙の後、人生最大のため息を落とすと、小さく頷いた。それしか選択肢はなかった。
 それを見たサクラが機嫌よさげに目を細め、手にしていた光の球を軽々と穴の開いた屋根から上に向かって放り投げると、それは空高く爆発し、まるで大きな花火のように派手な音と共に夜明をにぎやかした。



「わし、今日からどこで寝よう……」
 風通しの良くなった我が家を眺めて、銀はがっくりと項垂れた。
 庭にしゃがみ込んで見る屋敷は、見るも無残なほど崩壊している。足元でたゆたう蓮華たちが無事だったのが、せめてもの救いなのだろうか。
「そうですね、とりあえず離れの隅っこしかないですよね……」
 疲労困憊の表情で力なく微笑む蓮太郎も、花の中で正座をして肩を落としている。しかしそれはほっとした色も滲ませていて、いつもの柔らかく優しい表情にも見えた。
 サクラは機嫌よくアヤカシの世界を後にした。好きなだけ破壊の限りを尽くした神は、何でも再生できるその力を微塵も使うことなく、だ。
 残ったのは残骸になった母屋と、慌てふためく使用人、そして寝込んでしまった長老たちと、この親子三人。
「でもまぁ、よかったやないか。蓮太郎」
 ごろりと寝転んでいた朧が、赤い瞳を持ち上げて桃色の空を見上げた。目にしみるほどに鮮やかに陽光は落ちてくる。いつの間にかすっかり太陽は高くなり、春の心地よさと疲労とでまどろんでしまいそうになる。
「せやなぁ……これで蓮太郎が好きな子と結婚できるなら、お父ちゃんもうれしいわ……」
 気に入りだった煙管も、瓦礫に埋もれてしまった。銀は代わりの煙管を手に心から嬉しそうに微笑んだ。
「今度、お父ちゃんにも会わせてや。どんな子や? かわいいか?」
「え……っ」
 成実の事を聞かれているのだと思って、蓮太郎はぽっと顔を赤くした。澪やサクラのことで目まぐるしくて、思わず目的がかすむくらいだったが、改めて父親からそう言われると急激に実感してしまう。
 そんな、言葉を詰まらせた蓮太郎に、銀は息子が可愛くてならないようにその艶やかな髪を撫でて笑い声を上げた。しかしそこに水を差し込む言葉が投げ込まれた。
「成実が可愛いなんて思うの蓮太郎くらいやで、お父ちゃん。一言で言うたら落ち着きない娘やでほんま」
 寝転んだまま朧が意地悪げに赤い瞳を笑ませると、蓮太郎が珍しくキッと兄を睨みつけた。
「そんなことないですよっ。成実さん可愛らしい人やないですかッ!」
「そうかぁ? 惚れてしまうとあばたもなんとかってやっちゃな」
「どうして朧は成実さんに冷たいんですかッ」
「はぁ? なんで俺があんなんに優しくせなあかんねん。もったいないわ俺の真心が」
「朧の真心なんていつあるんですか!?」
「あぁ!? お前この俺の愛情がまだ分からんのかあほッ」
 やいやいと、このまま兄弟喧嘩に発展しそうなやりとりが始まりかけたとき、朧がふと何かを思いついたのか、にやりと口許を歪めた。
「……せっかく結婚許してもうたけど、ひょっとしたら成実、もうお前のこと忘れてるかもしれんで?」
「……は……?」
「考えてみいな。こっちとあっちの時間違うし、お前何日向こうあけてると思ってんねん。愛想つかしてるとか、ないことないやろ」
 朧の意地悪な言葉は、すぐさま蓮太郎の脳に浸透していく。徐々に顔色が悪くなった白い狐は、金色の瞳に涙さえ浮かべそうになって、慌てて立ち上がった。
「そ、そんなんあきませんッ。僕、あっちに戻ります!」
 言うが早いか脱兎のごとく、蓮太郎は父親に挨拶も忘れて駆け出した。見る間に小さくなっていく息子の後ろ姿に、
「あいつ、そんなにその子のこと好きなんやなぁ……」
 煙管をくわえながら、銀は面白そうに呟いた。

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