朧月夜に蓮華と愛

10.狐の事情。

 それから数日後には、新しい年となった。
 成実は実家に数日帰っていて、新年四日目にやっと神社へと足を向けたのだが、三が日を過ぎた神社はいつもどおりの閑散とした風景だった。涼子が言うには三が日は参拝客、主に地元の人間だが、沢山いてそれなりに店も並ぶと言うが、ほんまかい、と朧のようなツッコミを入れたくなるほど通常運転の静けさだ。
 玉砂利を踏みながら、天気の良かった日中の名残もない薄暗い境内で狐たちの名前を呼ぶと、ふわりと黒い方の狐が姿を現した――――それに成実が少しだけがっかりしてしまってるのだが、本人は気づいていない。
「蓮太郎は?」
 なんとなく寂しくて尋ねた成実に、朧があからさまに眉間に皺を刻んで睨んでくる。
「なんや。俺だけやったら不満なんか?」
「そんなことないけど……いつも一緒じゃない、あんたたち」
 ぎくりと身体が跳ねそうになって、成実はへらへらと笑いを浮かべるしかない。朧は何か意味ありげな眼差しを成実に向けるが、それ以上は何も言わず、長い前髪をかき上げながら赤い瞳で狐の世界につながるお堂を見た。
「なんかあんまり元気ないねん、あいつ」
「元気ない?」
 いつも穏やかではあるが元気な蓮太郎を思い出して、成実が首をかしげてキョトンとした。
「まぁ。あいつもこれから大変やろうし、悩むこともあるんちゃうか?」
「悩むこと……」
「お前らには分からんかも知れんけど、あいつは跡継ぎやからな」
「跡継ぎ……」
 朧が何を言っているよく分からないので、零した単語を拾い上げて繰り返し考えてみる。
 確か狐には位があるんだよね。跡継ぎってことは蓮太郎が一番えらくなるってことなのか。と、ここまではなんとなく理解できる。が。
「そういえば、あんたのほうがお兄ちゃんじゃないの?」
 涼子に以前聞いたことを思い出して問いかけると、朧の黒い眉がピクリと揺れた。
「なんで知ってんねん」
「涼子ちゃんが前に教えてくれたの。あんたと蓮太郎が兄弟って知って腰が抜けるかと思ったわ」
 白くて穏やかな蓮太郎と、この黒くて性悪な朧が……今でも信じられなくてまじまじと見つめる成実の不躾な眼差しに、朧がこめかみをひきつらせた。
「ほんまお前ほど失礼な人間も滅多におらんわ。俺と蓮太郎は間違いなく兄弟やっ」
「だからそれが信じられないんだもん」
 いい加減に朧の口の悪さにも慣れきった成実は、もはやひるむこともなくけろりと言葉を返す。朧もいい加減この懲りない人間に対して慣れてしまっているので、もうどうでもいいといった、不機嫌さを隠しもしない顔で話を続けた。
「まぁ俺は黒いしあいつは白いしやな。お前やなくても信じられへんかも知れんけど。それに兄弟て言うてもおとうちゃんが同じなだけで、おかあちゃんはちゃうし」
「……そうなの?」
「せやで。俺らは異母兄弟ってやつやな」
 あっさりと言った朧は全く気にしてないようににやっと笑う。その目許はよくみれば蓮太郎に似ている。と言うことは目許は二人とも父親似ということだろうか。なんてのんきに考えている成実の前で、朧は「忘れもんしたから戻る」と、あっという間に姿を消してしまった。
 残された成実はそのまま涼子に新年の挨拶をと、母屋に声をかける。涼子は相変わらず愛らしい笑顔で成実の前に現れて丁寧に頭を下げた。しばらく二人で立ち話をしていたが、並んで境内に戻り、初詣の挨拶で社に向かって手を合わせていると、ふわりと赤いものが現れ、この神社の神であるサクラが姿を見せた。
 こちらも相変わらずの豊かな黒髪に銀色の瞳が妖艶な、少女のような女性のような顔立ちと雰囲気で、見るものを圧倒する。新年早々神様に会えるなんて、私実はとってもついてるんじゃない?と、成実は去年からの縁の不思議さを感じずにはいられなかった。
「おめでとうさーん」
 なんとも明るい声でサクラは成実に向かって微笑んだ。まるでほろ酔いなのか頬が赤らんでいる。
「この時期わたしら宴で忙しくてなぁ」
「はぁ…………飲み会ですか」
「飲み会て言うたら風情も何もないやないか」
 ご機嫌にふわふわ浮いているサクラに成実が呆れて返すと、銀色の瞳が失礼なことを言われたようにむっとした。
「でもお酒飲んでるんでしょう? 顔赤いですよサクラさん」
 涼子がクスクス笑いながら横から言葉を投げかける。赤い装束の神に向かって人間二人は全く動じない。
「少しだけや。それにここは狐がおるから私は安心して呑んでられるねん。……って、おれへんがなあいつら」
 キョロキョロと長い睫毛に囲まれた瞳を動かして狐の姿を探すサクラに、成実が先ほど朧に聞いた話をする。ほろ酔いだろうサクラだが、それにはまじめな顔で耳を傾けた。
「ふーん。ほなら蓮太郎はこっちには来てへんのかいな」
「みたいですよ? 朧もなんか忘れ物したって言って戻っていきました」
「そういえば昨日もあまり見かけませんでした。朧はいましたけど。サクラさん何か知らないんですか?」
 涼子も心配なのかサクラに尋ねるが、サクラは少し考えただけで首を横に振る。
「基本的にわたしらはアヤカシの方には干渉せんねや。蓮太郎が跡継ぎなんは知ってるけど、それ以上のことは分からん」
 アヤカシは下僕でも何でもない、互いに共存してるだけだとサクラは言う。この年齢不詳の美しい神は、それでもいつも何かと狐たちを気にはかけているが、距離を上手く保っているのだろう。
「そういえば、なんで朧のほうがお兄ちゃんなのに跡継がないんですか?」
 サクラの冴えた月のような瞳を見返しながら、成実は疑問をぶつけてみた。空には柔らかい色の月が浮かんでおり、サクラの瞳の月とはまた違う趣がある。空気が澄んでいる冬は鮮やかに月光も空を廻る。成実の問いかけを受け止めた、神の瞳が薄く笑みを孕んだ。
「朧は完全な狐とは言えんからや」
「え……?」
 返ってきた言葉に、成実ばかりか涼子までキョトンとした。サクラはなんでもないように黒髪を彩る飾り房を指先で遊びながら軽い口調で続ける。
「朧の母親が人間やから、あの子は完全なアヤカシやないねん。あの子らの父親が女好きでなぁ。あろうことか人間にまで手ぇ出してできたのが朧や」
「にんげん……」
「そうや。朧はそれでも父親の血が勝ったのかアヤカシとしての力も充分あるし、人間以上の時間を既に生きてる。でも狐の中にはいくら長の息子でも蓮太郎より年が上でも、人間の血を入れるわけにはいかんて反対しよるねん。それにな、今でこそ朧はああやって蓮太郎のそばにおって狐の中におるけど、あんたら人間の成人式みたいな時期まで、あの子は山奥に隠されてた子やったんや。ふだんあんなあほやけど、結構苦労してるんやで?」
 どこまでも口調自体は軽いが、話の内容は決して軽くはなく、聞いていた成実も涼子も少しどころか相当衝撃を受けた。
 あの馬鹿みたいに明るい朧がそんな生まれ方をしてるなんて、想像にもしていなかったしできない。狐だろうが人間だろうが、親と言うものは大事なものに変わりはないだろうとも想像にたやすい。
 先ほどまでいた黒い狐を思い出して、成実は胸が苦しくなる思いだった。涼子も白い手を胸に押し当てるようにして黙りこくってしまい、サクラが見つめる中、二人とも言葉を口にすることができなかった。
 沈黙が包み込むそんな三人の前に、青と白がふわりと巻き上がり、視線を流すと同時に二匹の狐が現れた。
「お、なんや三人揃って」
 赤い瞳をやや見開きそう言った朧と、にこやかに笑みを浮かべる蓮太郎を視界に入れた成実は、何をどういえばいいか分からないように眉根を寄せる。この二人が本当に仲が良いのは見ていて分かる。蓮太郎は朧の生まれを知っているのだろうか。いや兄弟なんだから知っていて当たり前か。と、聞くに聞けないことを思い巡らせる。
 そんな成実の前で朧がニヤニヤ笑う。長い腕を伸ばして成実の頭をやや乱暴なほどわしゃわしゃと撫でた。
「成実良かったなぁ。蓮太郎きたでー」
「……は?」
「さっき俺だけやったらなんかしょぼくれてたやんけ。蓮太郎に会いたかったんやろ?」
 心底意地悪そうに楽しそうにニヤニヤと笑いながら、朧は更に成実の頭をもう撫で回すといっていい勢いで触る。ぐりぐりとやられながらも、言われたことを脳が理解すると、ぼっ、と顔を真っ赤にして成実がその手を払いのけた。
「そ、そんなことない!」
「まったまたー。女は素直な方が可愛げあるで? 自分の心に逆らったらあかんてー。な?」
「違うってば! 朧のばかっ」
「なんやそんな照れくさいんかいな」
「そんなんじゃないわよ!!」
 赤い瞳をにんまりと細めた狐ににじり寄られて、成実の顔がトマトのように赤くなる。涼子はそれを見て思わず吹き出し、サクラも呆れて笑いを零した。引き合いに出されている蓮太郎は何を言っていいのか分からないように、こちらも顔を赤らめて黙っているしかできないようだ。
「ほんま素直やないなぁ。蓮太郎なんか成実が来てるて知っていそいそ出てきたのに」
「へ……」
「ちょ、朧……! 何言うてるんですか!?」
 朧ののんきな言葉に成実がきょとんとして固まり、その逆の蓮太郎が金色の瞳を見開いて素っ頓狂な声を上げた。白い顔が見る間に赤くなり、いつも以上に慌てふためく。何かを言いたくて口を開くが焦りすぎてろくな言葉が出てこない。
 朧はそんな蓮太郎に標的を変えて、今度は蓮太郎をからかい始めた。あれよあれよの間に兄弟げんかを始めてしまった狐たちに、サクラは盛大に呆れ返って再び宴だと姿を消した。
 その間に、涼子は温かい飲み物を持ってくると言って一度家の中に入っていく。残された成実は、お構いなしの狐たちの言い合いを半ば呆然としながら聞いていた。
 蓮太郎の姿を見ることができて嬉しいのと、先ほどの朧の生い立ちのこと、そして朧の言った蓮太郎がこちらの世界に出てきた理由がぐるぐると頭の中を回る。
 必死の様子で朧に言い返す蓮太郎の顔を見て、ほんのりと胸が甘くなり、朧の顔を見て少し切なくなる。どちらの感情も、普段あまり成実が抱えないもので、それが妙に落ち着かなくて、寒さも気にならないくらい戸惑う自分がいることに気付くのだった。

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