クリフエッジシリーズ第一部:「士官候補生コリングウッド」

愛山雄町

第一話

 宇宙暦SE四五一二年十月十二日。
 アルビオン王国軍士官候補生クリフォード・カスバート・コリングウッドはスループ艦HMSブルーベル34の士官次室ガンルームで一人、航法計算の自習をしていた。

(空間認識能力の欠如、数学的思考能力の欠如……)

 彼は士官学校の評価を思い出し、一人ため息を吐く。

(どうも僕は根気のいる科目が苦手だな。航法、機関、主計、操艦、通信、人事……)

 クリフォードは、宇宙暦SE四五一二年八月にキャメロット星系第三惑星にあるライオネル士官学校を卒業したばかりの十九歳の若者で、人によってはスラリと背が高く、柔らかい表情が魅力的と言うかもしれないが、軍人として見ると、ひょろりとしていつもおどおどしている、いかにも学校を出たばかりの士官候補生と言った感がある。

 見た目とは異なり、彼は士官学校を比較的優秀な成績で卒業し、このフラワー級スループ艦ブルーベル34号に乗組みを許された。
 士官学校の成績は、指揮、戦術などの閃きが必要な単位と陸戦関係の単位はトップクラスであったが、航法、機関、主計の成績が足を引っ張り、最終的には上位一〇%に入ったものの出世が約束されるトップ一〇〇には入ることができなかった。
 更に彼の家は男爵家であり、トップ一〇〇に入って目を見張るような戦功を挙げなければ降爵されるが、彼自身はまだそれほど気にしていない。

 余談だが、アルビオン王国の貴族制度は過去に例を見ない独特なもので、一代貴族制という言葉が一番判りやすいかもしれない。
 仮に父親が伯爵位を相続した場合、父の代でその爵位にふさわしい功績をあげなければ、次代の子供は子爵に降爵される。
 彼の父親は男爵位にふさわしい功績をあげているため、彼自身は男爵位を相続できるが、彼の未来の子供のためには彼自身がふさわしい功績を挙げなければならない。


 彼が航法計算で知的格闘をしている時、個人情報端末PDAから、 “ピ・ピ・ピ”というコール音が鳴った。そして、すぐにふね人工知能AIの柔らかい中性的な声が聞こえてきた。

『コリングウッド士官候補生。速やかに戦闘指揮所CICのグレシャム副長の下に出頭してください』

 彼は「了解」とPDAに呟き、五秒で身なりを確認してから、二デッキ上のCICを目指し、通路を駆け出して行った。

 五分後、CICの前に着き、「コリングウッド候補生、命令により出頭しました!」と声を掛けて、ハッチの開くのを待つ。
 “シュッ”という小さな空気音とともにハッチが開放し、すぐにCIC内部に入る。
 CICに入ると正面の大型スクリーンが目に入るが、すぐに指揮シートのグレシャム副長に出頭の報告をする。
 アナベラ・グレシャム副長は二十六歳で赤毛の小柄な女性士官だが、副長である証のようにいつも苦虫を噛み潰したような表情をしている。

「御苦労。一八〇〇――標準時間の十八時を意味する――にスパルタン星系を出ます。トリビューン星系までの超光速航法FTL計算を行いなさい。結果は一六〇〇までにデンゼル航法長に提出すること」

了解しました、副長!アイ・アイ・マム!

 彼はきれいな敬礼をすると、直ちに航法士補席に着き、コンソールを操作しながらAIと会話を始める。
 彼の背中には、副長のハスキーな声が掛かっていく。

「今回は満足いく結果を出してちょうだい。前回のは酷過ぎるわ……」

 まだ、副長の言葉が続いていたが、彼は必死に航法計算に取り組んでいた。

(〇・一光速を維持したまま、JPジャンプポイントを通過するとして、えーと、トリビューン星系のJPは…)


 副長であるアナベラ・グレシャム大尉は必死に航法計算を行う彼を見ながら、思考を彼に向けていた。

(真面目なのはいいことなのだけど……。どうも成績のイメージとは違うわね。もっと天才タイプかと思ったのに……)

 そして、彼の姿を見てひそかに微笑んだが、すぐにいつもの表情に戻していた。

(汗を掻きながら必死に計算している姿はかわいいんだけど……駄目だわ、副長なんかやってるから、完全に考えがおばさんになっているわ。ああ、本当に小型艦の副長なんてやるもんじゃないわね……)

 彼女がスループ艦ブルーベル34号の副長になったのは一年前の二十五歳の時だった。
 二等級艦――戦艦――の砲術担当士官から大尉レフテナントに昇進し、四等級艦――重巡航艦――の戦術士か等級外の副長かを打診されたときに「ナンバーワン――副長の通称――」と呼ばれるのもいいかなと思って副長を選んだのだった。

(副長なんて“雑用一般何でもござれ”、物資の収支、部下の健康管理から賞罰まで、軍の士官というより零細企業の事務員ね……)

 彼女はいつものように心の中で愚痴をこぼすと、すぐにCIC内の状況を確認する。

「フィラーナ、デイジー27に連絡して。JPに突入する前に航法計算の照合をしたいからと」

 情報士のフィラーナ・クイン中尉はコンソールを見ながら、「了解、タイムラグなしですから、すぐ連絡します」と答える。
 彼女はいつも明るい笑顔でいる二十四歳の士官で、この艦の士官の中ではナディア・ニコールに次いで若い。だが、ブルーベル34に配属されて既に二年経ち、この艦のことなら自分の身体のように解っている。
 彼女は部下の通信員に僚艦への回線を開くように指示した後、十日前に艦長から明かされた今回の任務について考えていた。

(民間船の遭難対応か……あまり面白みのある任務じゃないわ)
 
 彼女はアルビオン船籍の商船が三隻続けて遭難した可能性があることに偶然起きた事故で無いことは理解していた。

(しかし三隻も続けて遭難するなんて、本当におかしな話ね。トリビューン星系は絶対安全な星系とは言い難いけど、小惑星帯さえ通り抜ければ、それほど危険な星系ではないはず……海賊? それとも私掠船かしら?)

 ここペルセウス腕外縁部には、大きく分けて四つの政体が存在する。
 一つは彼女たちが属するアルビオン王国。
 そして、正三角形を形作るようにゾンファ共和国とスヴァローグ帝国、そして、その三角形の中に単一星系国家の連合体、自由星系国家連合がある。
 この星域の科学技術レベルはほぼ同程度。また、三つの大国の国力はほぼ同じであり、人口は六十五億人から八十五億人である。

 アルビオン王国は元イギリス系の移民が建国した立憲君主制の国家で、二つの星系を支配している。比較的自由な雰囲気で美しい主星系と強力な軍事拠点により、今のところ他国の侵略を許していない。
 ゾンファ共和国は元中国系の移民が建国した国家であり、共和制と言いながら全体主義国家である。人口は四政体最大の八十五億人で、人口的な圧迫により、拡大主義を取りつつある。ここ数十年の指導階級は世襲制となっており、国内の不満の矛先を逸らすため、領土的な野心を隠していない。
 スヴァローグ帝国は、元スラブ系の移民が建国した帝国主義国家である。主星系の他に二つの植民星系を持ち、資源も豊富である。しかも、人口は六十五億人と少なく、自国内の開発余裕があるが、帝国主義国家らしく、隙があれば領土を拡張しようと狙っている。

 その三つの大国に囲まれた自由星系国家連合は、五つの星系国家の連合体であり、基本的には自由貿易による繁栄を目指している国家群である。固有の防衛力は有しているが、量、質とも単一では他の三ヶ国に劣るため、外交をもって侵略を防いでいた。

 アルビオンに一番近い星系は、元日本系の移民により建国されたヤシマである。
 今回の任務はアルビオンのキャメロット星系からヤシマ星系への通商路であるトリビューン星系での商船遭難騒動であり、ゾンファ及びスヴァローグによる通商破壊作戦の可能性も否定できないとのことであった。
 トリビューン星系はどの政体にも属さない公宙域であるため、大規模な艦隊の派遣は各国との調整が必要になる。
 このため、アルビオン軍統合作戦本部は、小型のスループ艦二隻を派遣した。

 クイン中尉が懸念した私掠船プライベータは、ゾンファ及びスヴァローグが発行する他国船拿捕免状を有し、アルビオン船籍の商船を対象とした海賊行為を行う私有船である。私有船と言っても両国が支援しているため、装備は通常の武装商船以上であり、高性能の船は五等級艦――軽巡航艦――並の戦闘力を有していることすらある。なお、アルビオンも敵国周辺に私掠船を投入している。

(私掠船だと厄介よね。スループ二隻だと互角に持って行くのがやっとのはず)

 彼女がそこまで考えたとき、通信士より僚艦デイジー27号との回線が開かれたという報告が上がってきた。

「ミズ・クイン、デイジー27号との回線開きました」

 彼女は「ありがとう」と一言礼を言い、僚艦と通信を行っていく。

「こちらHMS-L2502034、ブルーベル34……」


 フラワー級スループの特徴は長い作戦行動期間と強力な推進装置にある。
 無補給で最大三ヶ月間行動可能であるため、中立星系での長期に亘る哨戒任務に就くことが多い。
 最大加速度も六kGであり、これに匹敵する加速性能は軽巡航艦と駆逐艦、そして高機動ミサイル艦しかない。同じ加速性能なら先に逃げを打てば、相当不利な状況で無い限り逃げ切れる。

 その一方で主兵装とアクティブ系の探知装置が貧弱であることが弱点に挙げられる。主砲である一テラワット級荷電粒子加速砲は装填に掛かる時間が長く、連射が困難であると共に同サイズのコルベットと比べると出力は半分以下しかない。アクティブ系の探知装置が貧弱であることにより、パッシブ系の探知に頼らざるを得ず、星系全体の索敵は可能であっても惑星近傍に隠れられると索敵性能が一気に低下する。

 ブルーベル34の機関長、デリック・トンプソン機関大尉は愛する主機=六百五十ギガワット級デュアルパワープラント(DPP)の点検に余念が無い。
 DPPは二つの対消滅炉リアクターと二つの質量エネルギーコンバーター(MEC:メック)をパラレルに接続した動力システムであり、その信頼性と出力制御性はここ数千年弄るところがないと言われた傑作である。

 彼は先任機関士のトーマス・ダンパー兵曹長とDPPに繋がる四系列トレンの制御系のチェックを済ますと、他の兵科から“穴蔵”と呼ばれる待機ピットで休憩を取っていた。

機関長チーフ、さすがに整備したてですね。全く問題なしです」

 ダンパーが“穴蔵”に入りながら、そう声をかけてきた。

「だが、安心するなよ、トム。艦長おやじさんの話じゃ、結構長い航宙こうかいになるかも知れん」

「チーフは心配し過ぎですよ。トリビューンでしょ。キャメロットからたった十一パーセク――三十六光年――しかないんですから」

 トンプソン大尉はブルーベル34で二番目に年長の三十九歳。若手の多いスループ艦では珍しく、妻と二人の子供がキャメロットにいるが、本人はほとんど家を空けていた。

「まあ、そう言うな。“かま”が二人とも機嫌よけりゃそれでいい。だがな、“片肺”は辛いからな……」

「待って下さい! チーフのその話は長いんですよ。俺じゃなくてもっと若い奴にしてやって下さいよ。それじゃジャンプまで制御室CRで待機します」

 ダンパーは逃げるように穴蔵から抜け出し、CRに向かっていった。

(俺も昔のチーフと同じになってきたかな。若い奴に逃げられるようじゃ……)

 彼はもう一度DPPの数値をチェックしてから、立ち上がった。


 ブルーベル34の主兵装は一テラワット級荷電粒子加速砲と二トン級レールキャノン、通称カロネードだ。
 掌砲長ガナーのグロリア・グレン兵曹長は、主砲のコイルの点検を主砲担当のテッド・パーマー二等兵曹と技術兵テックのファニー・エリソン一等技術兵と行っていた。

「テッド! コイルの電圧のバラツキが大きすぎるぞ! 〇・一%以内に抑えろって何度言ったら判るんだい!」

 グレン兵曹長はベリーショートの黒髪を振り乱して、パーマー兵曹を怒鳴っている。

「ガナー、そりゃ無いですぜ。艦隊マニュアルじゃ、偏差は〇・二五%以内ですぜ。コンマ一なんざ、どだい無理だって」

 グレンは自分より頭一つ大きいパーマーの胸倉を掴み、顔を極限まで近づけ、「つ・べ・こ・べ・言・う・な」と唾を飛ばしながら、単語を区切って言い聞かせていく。
 パーマーは諦め顔で若いエリソンと共にコイルの下に潜っていった。

(まあ、仕事はできるんだが、まだむらがあるね。掌砲長には後五年は掛かるかね)

「さっさとやりな! あたしがやったら〇・〇五%以内になるんだ。やる気がありゃできるんだよ!」

 グレンはそう怒鳴りながら、カロネードの点検に向かった。

 テッド・パーマーは、コイルの下で若い女性兵であるファニー・エリソンに話しかけていた。

「いや、グロリア婆さんはほんとにうるさいわ。女もああなったらおしまいだぜ」

 そして、グラスを上げる仕草をしながら「非番の時にどうだい?」とエリソンを誘っていた。

「そんなこと言っちゃ、駄目ですよ。掌砲長もまだ独身のレディなんですから」

 彼女は掌砲長に聞こえるのが心配なのか、小さな声でそう囁き、「予定が詰ってますから」とパーマーの誘いを断っていた。
 そして、「掌砲長を誘ってあげたらどうですか? 結構美人じゃないですか」とクールに話を振っていく。
 エリソンがそう言うと、パーマーはこの世の終わりが来たような大げさな表情をしながら、「おいおい、掌砲長ガナー掌帆長ボースンなんて連中はふねに魂を売った廃人だぜ。第一、あの連中が艦から降りたのを見たことがあるかい?」

 エリソンも「そうですね。掌砲長も掌帆長が船外作業EVA以外で艦の外に出たのを見たことが無いですね」と頷いていた。

 パーマーが話そうとした時、「いつまでコイルの下でいちゃついているんだい! さっさと仕事しないと超過勤務を言いつけるよ!」

 二人はその声を聞き、慌ててコイルの再調整作業を始めた。


 ブルーベル34には多目的艇「アウルふくろう1」を一艇持っている。
 アウル1は全長三十メートルの大型艇ランチに分類され、加速性能は二kGと他の搭載艇に比べ低いが、高性能のステルス機能を持ち、かつ大気圏突入能力も持つ優秀な多機能艇である。

 掌帆長ボースンのトバイアス・ダットン上級兵曹長は、格納庫でアウル1の整備作業を監督していた。
 彼はブルーベル34の最年長の乗組員であり、十八歳で軍に入ってからの二十四年間のほとんどを艦で過ごしているベテランだ。
 思慮深く、ほとんど怒鳴り声を上げないが、艦内でも一、二を争う腕っ節の持ち主だ。上陸した際に酔っ払って暴れている若い兵士を二人まとめて軍警察MPまで引き摺っていったなど様々な伝説に彩られている。

(このフクロウアウルもそろそろ五年。艦長おやじさんに更新の申請をしてもらわないといけないな)

 彼はランチの下に回り、脚部や噴射口の状態を確かめていく。

「グレッグ! ガイ! 八番口を交換しておけ! このままだと焼き切れるぞ!」

「「了解、掌帆長!」」

 二十代半ばと思しき若い兵士の声が格納庫に響く。

(俺が最年長かよ。まだ四十二だぜ。しかし軍ももう少しベテランを残してくれれば楽になるんだがな……)

 アルビオン軍の下士官兵は技術を身につけると退役し、待遇のいい商船乗りになることが多い。適齢期の二十代後半で退役するものが多いため、三十代ベテランが少なくなっている。
 軍にいれば、母港に戻ってくるのが半年後などというのはざらで、戦時には周辺星系への哨戒任務や同盟星系への派遣などで一年近く戻って来られないこともある。
 ダットン掌帆長も准士官のご多分に漏れず、独身であり、年金がつく二十年を過ぎたことから、そろそろ退役しようかとも思っていた。

(辞めてもやることがねぇんだよな。女房を貰って子供を作ってっていうのも別の世界の話みてぇだし……)

 士官次室ガンルームでまたこの話で盛り上がりそうだと心の中で笑っていた。

(しかし、今度の候補生ミジップマンはよくわかんねぇな。親父さんはあの“火の玉ディック”のコリングウッド艦長だろう。あの坊やからは想像できねぇな)

 同じガンルームにいる士官候補生クリフォード・C・コリングウッドは今までみた候補生と違い、准士官たちに取り入ることも無く、逆に構えることも無い。
 あくまで自然体といった感じで、五年前に退役した父親リチャード・コリングウッド艦長――退役時は准将――の噂から考えていたイメージと異なることに戸惑いを覚えていた。

(まあ、そのうち判るだろう。見た感じはいい士官になりそうなんだがな)

 彼はそう思いながら、更に点検を進めていった。


 クリフォード・C・コリングウッド候補生は、副長からの課題を何とか終え、指導官である航法長マスターのブランドン・デンゼル大尉のもとを訪れようとしていた。
 戦闘指揮所CICのあるBデッキから士官集会室ワードルームのあるCデッキに降り、中央通路を歩いていく。
 男女ほぼ同数が乗艦しているアルビオン軍の軍艦では、士官室、士官次室、兵員室など居住区画は、艦の中心線を挟み、右舷側が男性用、左舷側が女性用区画に分離されている。
 士官室は中央にラウンジがあり、その右舷側、左舷側にそれぞれ扉があり、各士官の個室キャビンがある。

(僕は将来、ここの住人になれるんだろうか?)

 彼は士官学校の実習航宙と、この三ヶ月の艦内勤務ですっかり自信を失っていた。
 先輩のサミュエル・ラングフォード先任候補生との折り合いも悪く、士官次室でも浮いていると自覚していた。
 通常、候補生同士であれば先任順位に関わらず、ファーストネームで呼び合うのだが、彼とは一ヶ月経った今でも“ミスター”か“候補生”を付けて、姓を呼ぶことしかできていない。
 士官学校時代を含め、今まで友人関係でトラブルがなかったため、彼は今回のことがかなり気になっていた。

(何が気に入らないんだろう?)

 彼から見たラングフォードはすべてにおいて高いレベルにあり、いつでも任官試験を受けられるように見える。
 航法や機関関係が絶望的に思える自分に対し、優越感を抱くことはあっても劣等感を抱くことはないと思っていた。
 また、ラングフォード自身、士官次室の准士官たちとは折り合いもよく、士官たちの受けもいい。更に下士官兵に対しても厳しく当たることはあっても特にえこひいきなどをすることも無く、悪い噂は聞かない。
 彼にとって、ルームメイトとの関係改善ができないことは、航法の問題より難しく、また、誰かに相談できることでもないことから、ブルーベル34号での生活を惨めなものにしていた。

 そんなことを考えながら歩いていたら、目的の士官集会室の前に到着していた。
 彼は、扉の前で「コリングウッド候補生です! 副長の命令によりデンゼル大尉のもとに出頭しました」と声を張り上げる。すぐに扉が開き、広く快適そうなラウンジが目の前に広がった。
 中に入ると、ブランドン・デンゼル大尉がソファに掛け、紅茶を飲んでいた。大尉はゆっくりと顔を上げ、二十七歳とは思えない落ち着いた顔を彼に向けた。
 そして、微笑みながら、「やあ、クリフ――クリフォードの愛称――。副長の宿題が終わったのかな?」と言いながら立ち上がる。
 彼は、「はい、ようやく終わりました。PDAに送りますので確認をお願いします」とPDAを操作し始めた。


 ブランドン・デンゼル大尉は、兵たちからはこの艦で最も温厚な士官と認識されている。年齢は二七歳だが、落ち着いた雰囲気で周りを安心させる感じがし、下士官兵からの人気も高い。
 その彼は今、この新米候補生を興味深く見ていた。彼の父親の噂は、自分が新米中尉だった頃に聞いており、当時の血が沸き立った思いを鮮明に思い出せる。
 そして一ヶ月前、艦長からその息子が士官候補生として本艦に乗り込み、自分が担当指導官になると聞き、驚いていたことも思い出すが、目の前の候補生を見るとどうも調子が狂ってしまう。

(ただ、真面目が取柄だけの候補生にしか見えないんだがな)

 彼はクリフォードから送られてきたデータをPDAで確認しながら、小さくため息をつき、誤りを指摘していく。

「この条件では正しい速度にならないぞ。AIの助言は聞いたのか?」

 クリフォードは顔を赤くして、「はい、大尉イエッサー」とだけ、答える。

「AIの助言がすべて正しいわけではないが、AIの助言をもう少し信用すべきだな」

 俯く候補生を見ながら、「特に自国の支配宙域データは信用できる。観測データよりAIを信じた方が早く正確な計算ができるぞ」と言って、肩を叩く。

「要は応用だよ。観測データの速報値とAIの計算を比較して誤差が小さければAIのデータを基本にすればいいんだ」

 そして「まあ、そのうち慣れる」と、自信を失っているクリフォードにフォローを入れる。
 彼はこの候補生の自信の無さはなぜなんだろうと考えながら、航法計算の添削結果を送り返し、再計算後、もう一度持ってくるよう命じていた。


 クリフォードはPDAを見ながら、Dデッキの士官次室に戻ってきた。
 士官次室と兵員室は隣あっており、ちょうど士官室と同じ面積になっている。士官次室と兵員室の間には共用の食堂があり、ラウンジとしても利用されている。
 彼は食堂の一角で航法計算をやり直すことにした。
 准士官たちには不文律でそれぞれの席があり、非番のアメリア・アンヴィル操舵長が面白そうに彼を見ていた。

 計算をやり直していると、同じ候補生であるサミュエル・ラングフォードがちょっかいを出してきた。

「また、計算を失敗したのか、ミスター・コリングウッド?」

 ラングフォードは回りに聞こえないような小声で彼に耳打ちし、更に「AIの助言と同じ結果じゃないか。何時間かけてAIの助言を聞いているんだ?」と嫌味を言って自室に入っていった。
 彼は少し傷付いたような表情を見せた後、無表情な顔を無理やり作っていた。


 アメリア・アンヴィル兵曹長は二人の候補生のやりとりを見て、真っ赤なベリーショートの頭を小さく振りながら、

(しかし、ラングフォードも大人気ないね。まあ、偉大な軍人の家系の坊ちゃんと、両親が無理をして士官学校に入った自分が同じふねにいるのが許せないんだろうけどね……)

 今年三十五歳になるベテラン操舵長コクスンだが、彼女も平民ということでこれまで苦労もし、准士官になった今、これ以上の出世は諦めていた。
 アルビオン王国軍では士官になるには騎士階級以上であることが必須条件である。
 著しい軍功があれば、平民でも騎士階級に上がれ、士官となることは可能だが、その場合は野戦任官扱いになるため、佐官には上がれない。
 佐官以上になるためには士官学校を出る必要があり、仮に彼女が軍功を上げ、騎士に叙任されたとしても、三十五歳の彼女が息子や娘のような十五歳の少年少女と机を並べることは考えられない。

(私は今の階級と仕事に満足できているから良いんだけど、若いラングフォードはどうしても気になるんだろうね。しかし、艦長おやじさんもいい加減気づいてやってもいいだろうに……)

 准士官連中は候補生同士がうまくいっていないことに気付いていた。
 ラングフォードは士官次室の人間にもうまく隠せていると思っていたが、彼より人生経験があり、何人もの候補生を見てきた准士官たちはすぐにラングフォードの考えを理解していた。
 しかし、士官になる候補生とは一線を画す伝統のある准士官たちは士官たちに話すことなく、気付いている下士官兵たちにも口出しすることを禁じていた。

 落ち込んでいるクリフォードを一瞥すると彼女も自室に入っていった。


 ブルーベル34号の艦尾に近い艦長室で艦長のエルマー・マイヤーズ少佐は、一人ディスプレイを眺めていた。
 きれいな金髪に碧い瞳、やや硬い表情がまじめな印象を強める。だが、その表情は艦長になってから身に付いた後天的なものだ。
 その彼が今、これからの任務について悩んでいた。

(行方不明の商船は、リバプールトランコのリバプールワン、スターライナー社のハーレー12、ギャラクティックトランスポーター社のギャラクティック・スワンの三隻か……リバプールトランコはともかく他の二社は大手の商船会社だ。船長以下の技量に申し分は無いはずだし、整備状況も万全のはず…。私掠船だとするとかなり大型のものだな……)

 二十八歳の彼はその年に似合わず、深いしわを口元に刻み、三十歳を優に超えていると言われてもおかしくない。

(しかし、私掠船なら加速性能に劣る。いくら商船でも逃げ切れるはずだが……。何か別の要因が潜んでいるのか?)

 彼は軍を退役したベテラン船員を多く抱える大手商船会社の船が行方不明になったことに疑問を持っていた。
 特に大手商船会社は、私掠船戦術に詳しいはずの者を船長又は一等航法士に必ず据えている。彼らは危険な宙域においての注意事項を熟知しており、充分な速度さえ保っていれば、六等級艦――駆逐艦――クラスが襲い掛かってこない限り、まず逃げ切れことも理解している。
 私掠船は補給を受けることが難しい敵国宙域に近いところで活動するため、燃料、物資の消費を抑えたがる傾向にある。燃料はガスジャイアントと呼ばれる木星型惑星から採取することも可能だが、商船は突発事項が無い限り、自前の燃料で目的地まで移動する。商船に偽装している私掠船が目立つ惑星表面でのんびり燃料補給をしているとは考えにくい。

(まずは調査するしか無さそうだな)

 彼は十六〇〇時に戦闘指揮所CICに向かうことに決め、その他の雑事を済まそうと部屋のコンソールを操作し始めた。

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