続 他称改造人間になった俺

チョーカー

学の基本推理論とミステリ論 つまりは閑話

 『キンコンカンコンキンコンカンコン』
 学校のチャイムが鳴り響く。時計を見ると12時ジャスト。午後の休憩時間だ。
 朝の掃除を終えたのは9時過ぎだった。もう、3時間も経過したのか。
 この時間まで3回はチャイムがなったはずだが、全く気がつかないほど集中してたらしい。
 そのおかげ、色々と考える事ができた。
 記憶を無くした俺だが、趣味が一つだけある。その趣味はミステリ小説を読むことだ。
 それを思うと、こういう脳内作業が向いてるだろう。
 ひょっとしたら、記憶を失う以前から俺の趣味だったのかもしれない。
 そうだとすると、古典と言われる過去の名作を白紙状態で読める点についてだけは、記憶喪失になった事を感謝したい。 まぁ、それは大げさだけどな。
 ここからは、ただの閑話だ。

 よく、ミステリと現実の事件を混同する人がいるが、2つのものは全く別物だ。
 ミステリでのトリックは、実際に人を殺す事に役に立たない。
 なぜなら、どんなに策を弄したところで、警察はトリックの推理などしない。
 動機のある人間を集めて取調室で落として、犯人の口からトリックの説明を聞くのが一番簡単だからだ。 それに室内の犯行ならば、衣服の繊維や毛髪など現場に残る事が多い。現代の科学力なら割と簡単に証拠の採取ができるのだ。
 もっとも、これ自体がミステリ小説の受け入りだったりもする。
 では、ミステリとは何か? 『ミステリは論理的な思考ゲーム』であるということだ。 
 できることはできる。できないことはできない。できないことが起こった場合、それはなんらかの誤魔化しがある。
 それがミステリであると俺は考えている。 
 もちろん、異論もあるだろし、上の例に反するミステリ小説もある。
 しかし、作者が思考ゲームにおいてフェアであろうとするならば、上の例がミステリの基本ルールだと俺は思っている。 あくまで、俺は思ってる。 もしかしたら、俺だけが思ってることかもしれないが。

 違和感があれば、誰かが、何かを、何らかの方法で誤魔化してる可能性が高い。

 ともかく、ミステリ小説は基本的に論理的思考を持って考えれば、解けるように作られてるのだ(例外もあるが)。
 ミステリ自体は、実際の事件は別物だが、この論理的思考は実生活にもいろいろと使える。

 などと一人で思考ゲームを楽しんでる時間もドアを開ける音で終わることになった。
 さて、閑話休題。

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