忠犬彼氏の考え事

ノベルバユーザー172401

忠犬彼氏の考え事


俺の世界は、秋ちゃんで回っている。
誰だってこれがないと生きていけないというものがあるだろう。生活するために必要なものとか、食べ物とか。
俺にとってのその最たるものが秋ちゃんという彼女である。
千倉秋――ちくらあきというのが彼女の名前だ。名前もとても可愛い。
俺は彼女の忠犬で番犬で、そしてご主人様に忠実な俺は彼女に群がろうとする虫は徹底的に叩き潰すし(その手腕においては右に出るものはないと自負している)、彼女が俺を見て笑って頭を撫でてくれればもうそれで俺の世界は満ち足りる。自分の中の明確なライン、彼女と一応家族と友達というカテゴリーとそれ以外というカテゴリーがあるという存在を知ったのも彼女と付き合うことになってからだった。
昔から何事にも興味が薄く、何をしてもそつなくこなせてしまう俺は自分でも自分がよくわからなかった。何かを欲しいと思ったことはなかったし、欲しいという前にあらかたのものは周りから回ってきていたので。友人だと認識した人間もなく、ただ学校に通わなければならないから学校に来て言われた通りに授業を受け食事をしていただけで、その当時の俺はロボットに近い人間だったのかもしれない。言われたことだけをして、何が自分かもよくわかっていない俺に、ことのほか女の子たちはまとわりついてきた。
顔がいいというのもよくわからない。見慣れた顔だったからだ。というよりも、美しい醜いという感覚がよくわからなかった。家族もそんな感じの人間ばかりだったのでそれは普通のことなのだと思っていたのだが、俺は学校というものに通ってみてもしかしたらこれは普通ではないのかもしれないと思った次第だ。――といっても、別段感慨深いものなどなくてああそうかと納得しただけだった。

授業中はとてもつまらない。だいたいのことは教科書を読めば理解できるし、周りのざわつきだって鬱陶しい。
それでもきちんと授業に出ているのは、今は違う教室で授業を受けている彼女が会いたいならきちんと生活しなくてはと、言ったからだった。授業を受けて、休み時間になるたびに彼女のもとへかけていく。その時だけが、至福の時間だ。
教室のドアを思い切りよく開けて椅子に座っている彼女に抱き着けば、少しだけ呆れたような顔でけれど決して俺を突き放したりなどしない秋ちゃんが、俺は大好きなのだ。
そんな俺の飼い主は、とても可愛い。
――盗み見た携帯の時刻はまだまだ授業終わりを示さない。
つまらないな、とため息を吐いて目を閉じる。彼女の顔が浮かんで、たまに見せてくれる満面の笑顔が頭の中で俺に笑いかけた。
思わず教室を出そうになる自分を抑える。昔これをやって一日接触禁止令を出されたのだ。今考えてもあれはとてもきつかった。電話とメールにもでてもらえなくて、お昼も別で、帰るころにはほとんど泣きださんばかりの俺に秋ちゃんは困ったように「こりたならもうしちゃだめよ」といって頭を撫でてくれたのだった。――ああ、それを思い出してまた会いに行きたくなった。頭撫でてほしい。秋ちゃん大好き、というと少しだけ顔を赤くして私もよとぼそぼそつぶやいて顔を隠してしまう彼女の可愛さは世界中探しても絶対他に見つからないくらい可愛いと思う。その顔がみたくて俺は秋ちゃん大好き!とことあるごとに口にするわけだが、彼女の反応は今も相変わらず可愛いし、クールなご主人様は絶妙なタイミングで甘やかしてくれるので全く麻薬みたいだ。
そんなことを悶々と考えていたらチャイムが鳴った。授業終了、である。待ちわびたこの時、さっさと教科書を机の中に放り込んで立ち上がろうとすれば今までずっと考えていた声がした。

「樹、」
「秋ちゃん、会いたかったよ!」

ぎゅうううう、と抱き着く。彼女はざわつく教室の中へ入ってきて俺の傍に立っていたのだけど、少しの隙間でさえあるのが嫌で抱きしめた。こうすれば声はもっとよく聞こえるし秋ちゃんの柔らかな体に触れていられる。甘い匂いがして無意識のうちに顔がほころんでいた。

「どうしたの?珍しいね、でもうれしいよ。秋ちゃん俺に会いに来てくれたんだよね?秋ちゃん大好き!」
「…調理実習だったの。ケーキ作ったから食べるかなと思って」
「秋ちゃんが作ったの?」
「当たり前でしょ、調理実習なのよ」
「食べる!他の人にはあげてないよね?俺だけだよね?」
「欲しい人なんていないでしょう、樹だけよ」

欲しい人がいない、なんてことはないと思う。第一、新藤(俺の自称親友である。真偽は不明というより親友がどういうものかよくわからない)は秋ちゃんが手に持っているカップケーキをうらやましそうに見ていて、厚かましいことに俺にはないの?と言い出さんばかりだ。お前にあるわけないだろ、身の程を知れ。
ちらちらとこちらを伺うような視線が教室中から注がれているが、誰にだってあげるつもりはないのだ。大好きなご主人様がくれたものを離すペットがどこにいる?

「おしいそうだね、食べるのがもったいないな」
「別に、大したものじゃないし」
「秋ちゃん料理上手だもんね、お弁当いつもありがと」

秋ちゃんの前だと俺は自然に笑顔になれる。
幸せで、あたたかくて、一緒に居たいと思えるこの現象。
未知の領域のようで、俺はずっとこういう人が欲しかったのだと気付いたのは出逢ったころのことだった。

――出逢ったのは、高校の入学式の前のこと。
中学の担任にここがいいんじゃないかと言われたところをはあそうですかと受けたら合格して、けれどたいして興味も持てないままめんどくさい入学式に出席しようとしていた時のことだ。
両親は仕事だとかで一人で出席する俺は、遅刻してもイイかとおもいながら歩いているところだった。
学校も近くなってきたとき、道路にうずくまるようにしてしゃがみ込んでいる女の子がいた。その制服は俺と同じ真新しい制服で一緒の学校だというのは見て取れた。いつもの俺ならば誰かが倒れていようと正直どうでも良くて、さっさと歩いたに違いない。けれど、その日は違った。声をかけなければいけない、と何故だか思って俺は、このときはじめて家族以外の誰かに話しかけたのだった。

「食べないの?」
「もったいないでしょ、すぐ食べちゃうの。観察してから食べようかなって」
「しなくていいから、一思いに食べてくれる?」

俺の言葉に少し照れたような秋ちゃんは思い出したようにそうだ、といった。

「校章みなかった?朝見つからなくて」
「昨日はあったよね、朝からないの?」
「そうなのよ、じゃあやっぱり家かな…」

出逢った最初みたいだ、と思った。
俺が初めて声をかけた女の子は、目の前の彼女で、通学路でしゃがみ込んだままの彼女は声をかけた俺をきょとんとした目で見上げ、そして少し困ったように校章を落としちゃってとつぶやいた。この高校の校章は、バッチのように制服に付ける仕組みになっている。
じゃあ、あげようか。するりと口をついて出たその言葉に驚いたのは、彼女ではなくて俺だ。
早口で、兄貴がここ卒業したばっかりで校章いくつかあるから と付け加えた。こんな風に自分から話しかけたことはなかった。誰かをたすけようとしたことも。
その行為は心許なくて、断られることが怖かった。どうしてだかわからないが、俺は彼女にいらないと拒絶されることを短時間のうちに恐れていた。けれど、ありがとうと笑った彼女の顔を見て、ああ幸せだと俺は思ったのだ。
この人の傍にいたい。この笑顔を見ていたい。俺はきっと、彼女になら優しくできるし、彼女とならもしかした今までのつまらない人生が変わるんじゃないかと思えて。

「あげようか?」
「いい。探す。…樹に、もらったやつだし」

ぼそ、と付け加えられた言葉に、心臓のあたりが痛くなる。でもそれは決していやな痛みじゃない。俺は幸せだと、思うのだ。
秋ちゃん大好きだよ、何度繰り返したかわからない言葉をもう一度。一緒に探そう、と告げればうん、としっかりとした返事が返ってくる。
その細い体にそっと触れる。さらりとした黒髪はいつもどうり背中に流れていて切れ長の瞳は、今は柔らかく俺を見ていた。俺が出会った女の子のなかで一番の女の子だと思う。もちろん、ひいき目もあるけど。それでもやっぱり、飼い犬にとってご主人様は誰が相手だろうとご主人様が一番だろう?そういうことだ。

こんな風になれるまで、どれくらいかかっただろうか。
彼女に出逢ってそれから、俺はひたすら彼女を追い続けた。好き、大好きという言葉を繰り返して、それ以外に言う言葉が見つからなくて。
困ったような彼女の表情が変わったのは、ひと月もたったころだっただろうか。しょうがないな、とばかりに息を吐いた彼女は、私も好きよと笑ってそして俺を抱きしめたのだ。あの時の感動は
語りつくせないほどである。あのときその場で押し倒してことに及ぼうとしたのは、さすがに殴られてしまったが。
その時は昼時で、俺と彼女は二人、音楽室でご飯を食べていた。この笑顔を手に入れることができた嬉しさと、やっと名前が呼べるという喜びで俺は一日中ぽやぽやとしていたらしい。
――名前は知っていたのだ。けれど、呼べなかった。大事な人になってしまう。手に入らなかったときに、名前を忘れられる自信がなくて。
けれど心配は杞憂に変わる。俺は彼女を、名前で、秋ちゃんと呼ぶ権利を得た。樹と呼ばれる名前はなんだか違うように感じて、そしてそのくすぐったさが愛おしかった。ああ、愛おしいって
いう感情はこういうものなのかと。
俺は、千倉秋という存在がいて、初めて人間らしくなれたのだ。

「ほら、樹はなして。授業いかないと」
「やーだ!ね、さぼっちゃおう?」
「それこそいやよ」

ちゅ、ちゅ、と唇を落とす。白い肌が少しだけ赤くなる様は、とても誇らしい。ほら、彼女を乱せるのは俺だけだっていう優越感。もう、やめて とぺしと額を叩かれても、それはうれしさしかこみ上げない。なんであろうと秋ちゃんが触ってくれたことに変わりはないのだ。そして、ご主人様に忠実な忠犬は、結局はご主人様の言うことを聞いてしまうのである。そのあとにある、甘いご褒美を知ってしまったから。

「じゃあ撫でてキスして好きって言って?俺だけの秋ちゃん、忠実な番犬にご褒美ちょうだい」
「…いい子で我慢できたらね、まだご褒美は早いわよ」

ぴん、と額を軽く小突いて彼女はそっと笑った。その笑顔は、ほれぼれするくらいに綺麗で、何人かがほうと息をついたのを耳にする。この女王様は俺だけのご主人様で俺だけのものなんだから、お前たちには絶対やるもんか。心の中でべーと舌をだして、真っ白でしなやかな手を取る。立ったままの彼女と、椅子から降りて膝まづいた俺と。
手の甲にキスをして、指先に歯を立てる。ぴくり、と肩を揺らした秋ちゃんに、なだめるように指を舐めてキスをする。

「俺だけの、俺の秋ちゃん。だいすきだよ」
「――…わたしもすきよ」

聞き取れないくらいの声で言った彼女は、手をはがすと足早に出ていった。
女王様のようにきれいで、そしてとてつもなく可愛い秋ちゃんは、最強だと思う。
ほどなくしてなったチャイムに俺はむっつりと黙り込む。また窮屈で面倒な授業が始まるのだ。けれど、そのあとにあるご褒美を考えて少しだけ憂鬱さが減る。
早く終わってくれように、こっそり願いながら俺は机の中にしまったカップケーキを指でつついた。秋ちゃんの香りがまだ残っているようで、うれしい。彼女に会うと、優しい気持ちになれるのだ。いつまでも一緒に、いたい。彼女がいるからきっと俺は生きていられるのだろう。
それはもう、依存なんてレベルじゃないほどに。
俺が秋ちゃんを気に入ってる理由はたくさんある。でも一番は、容姿でもなんでもなく、仙道樹という俺を見てくれたことがとてもうれしかったのかもしれない。容姿を褒めるんじゃなくて、名前を褒めてくれた。それが一番、俺にとってうれしいことだったのだ。

そして番犬で忠犬な俺は、大好きなご主人様と過ごせる時間が少しでも多くとれるように、授業が終わってすぐ教室を飛び出す。
大好きなんて言葉じゃ足りないこの感情をどう表そうか、考えながら。彼女はきっとしょうがない、と言いながら受け入れてくれるのだろう。


「秋ちゃんが足りないよ、寂しかったよ」
「はいはい」
「俺秋ちゃんのこといっぱい考えてたけど伝わった?」
「…伝わってるわよ」
「うん、やっぱり秋ちゃんだいすき!」

苦笑したような秋ちゃんが俺の髪を撫でる。自分の髪の毛は茶色だから、彼女の真っ黒な髪がうらやましい。
けれど、秋ちゃんはこの髪の毛を好きだと言ってくれたので現状維持決定である。
お昼休み、一緒にお弁当を食べた後さっきもらったカップケーキを頬張った。もちろん、とてもおいしかったのでまた作ってほしいと頼んだらあっさり頷いてくれたので俺の機嫌はよくなるばかりだ。放課後も一緒に帰ろう、と約束をして教室に戻る。
少し余った時間の中で害虫駆除も忘れずに。これも立派な番犬のお仕事である。――うるさいハエが周りにいたんじゃ、落ち着いて昼寝も出来ないので。

「相変わらず番犬さまの危機察知能力は半端ないな」
「新藤のくせにうるさい」
「ひど!」

はじまりそうな授業を前にため息をつく。けれどこれが追わればもう帰れるので、俺は早く終われと祈る。
樹、と呼ぶ声と彼女の笑顔がなによりのご褒美だということを、きっと彼女は知らないのだろう。そう思いながら、体育の授業のためにグラウンドへ移動している彼女の背中を見つけて、そっと頑張れとつぶやいた。






コメント

  • ノベルバユーザー603850

    最初はこんな展開になる話とは全然思っていませんでした。
    これからどうなるのかぜひ早く続きが読みたいです。

    0
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