New Testament

巫夏希

20


 リニックたち二人はウォードの町並みを眺めながら歩いていた。ジークルーネをさがすためとはいえ、実際にここまでじっくりと町並みを眺めたこともないだろう。

 ウォードの町並みは矢張閑散としていた。夜になると何店かお店が開いているくらいであとは電気を消してしまうくらいなのだから、昼くらいは騒がしい風景が広がっているかと思ったが、案外そうでもなかった。

 いつ通っても、この町並みは気持ち悪い。あまりにも人が居なさすぎるのだ。

 何も、人が居ない――ゴーストタウンと呼ばれるような――雰囲気ではない。全く人が歩いていないわけではないが、その少ない人間ですらまるでこの世の終わりとでも言うような落胆した表情を浮かべている。

「しかしまぁ……これで怪しげな霧でもあればパーフェクトで気味が悪いぞ。ただでさえ気味が悪いんだがな」

 リニックはそう呟くと、レイビックは小さく肩を叩いた。

「あんまり悪く言わない方がいいぞ。何処で誰が聞いているのか解りゃしないから」

「……解った。口は災いのもととも言うからね」

 リニックはそう小さく頷くと、再び歩き出した。

 一先ず彼らはこの町にある酒場へ向かった。酒場は夜からのイメージがあったが、需要があるのだろうか、この町では午前十一時から開いていた。

 そんな酒場の入口の扉を開け、彼らは中に入った。

 酒場の中は未だ出来上がってはいないものの、数名の人間が盃を傾けていた。その一人に、リニックが近付く。

「……すいません。少しだけ聞きたいことがあるんですが、事情通の人っていますかね?」

 飲兵衛になっていた人間は、ただ盃を傾けたまま奥のテーブルを指差した。「どうも」とだけ言ってリニックたちはその場を後にした。

 奥のテーブルには小さい身体の老人がいた。顎髭をたっぷりと蓄え、皺だらけの顔は既に紅潮していた。

 老人の前に立つと、老人はそちらを向いて首を傾げた。

「何の用じゃ?」

「『人身売買』についてお聞かせ願いたい」

 老人の問いにリニックは間髪を入れることなく訊ねる。

 老人はそれを聞いてニヤリと微笑むと、

「さぁな……わしは知らんのう? いいや、もしかして定義のことを言っているのかな? だったら早い話だ。定義ならば直ぐにでも話してやろう」

「いくらなら話していただけるかな」

「……言っただろう。『定義ならば』と。……それ以上でもそれ以下でもないよ。さっさと立ち去れ。せっかくの酒が不味くなる」

「何時までそうグダグダと言い続けるつもりだ。……解った、十万出そう。これでどうだ?」

「安いな」

 それに老人は小さく笑う。

「お主が欲しい情報の『価値』はそんなものなのかのう。別に構わないと言えば構わないが、人命がかかっているならば、その情報の価値は人命の価値と一致しないか? どうだ?」

 確かに、その通りであった。

 老人の言い分も正しかった。しかし、状況が状況だ。リニックとしてはさっさと情報が欲しいのに、こんなところで足止めされていた。それが彼には、辛かった。

「助けてくれ」

 気が付けばリニックの目からは一筋の泪が零れ落ちていた。

 それはジークルーネを救いたい、というただひとつの意志を示したものだった。

「頼む……彼女は、僕にとって、僕達にとって、必要なんだ。大切な存在なんだ。どんなものにも代え難い存在なんだ。だから、頼む……!」

 リニックの表情を見ながら、老人は盃を傾けて、盃の中に入っていた酒を飲み干した。

 盃をテーブルの上に置き、大きく息を吐いた。

「……ここで断っちゃあ、良心が廃るってもんだよなぁ?」

 老人の声はさっきよりも楽観的に聞こえた。リニックはそれを聞いて、老人の方にさらに一歩踏み出した。

「それじゃあ……」

「まぁ待てよ。先ずは様々な話から入ろうじゃないか。そうだな……この世界に人身売買が存在する理由とか建前とか、そんなクダラナイ議論から話を始めることにするか。……ほら、何してる。座れ、話が長いからな。座らないと足が麻痺しちまうぞ?」

 リニックとレイビックは老人の言う通り、席についた。

「おい、この二人に適当な飲み物を出してくれ。ただし、酒は駄目だ。これから真面目な話をするからな」

 若干矛盾が孕んでいる発言をカウンターの奥にいるマスターらしき人物に言った。マスターは小さく頷いて、ゆっくりと作業を開始した。

「……さて。先ずは人身売買について簡単に説明していくことにしようか。人身売買で売り買いされるのは、どんな人間だと思うか?」

「貧しくて、もう自分の身体しか売るものがない……とか?」

「三十点だな」

 リニックの回答に、老人は即答する。

「それじゃあ、そちらのお嬢さんにも聞いてみようか」

 レイビックは、少しだけ考える素振りを見せ、その後こう言った。

「人権のない最下層の人間が自身を売って家族を一時的に養ったり、戦争や紛争で負けた民族が売られたり……そんなところだと思う」

「及第点だな。まぁ、先程の回答よりかは上出来だろうよ」

 老人は徳利の中に入っている酒を盃に入れ、少しだけ啜る。

「まぁ、簡単に言えば、『空白人パーソンエラー』を売買している……というわけだ。空白人はそのネーミングの通り、何処にも定義されちゃいない、つまりもはや人間だと定義されちゃいない存在のことをさす。つまりは人権がないからな。『モノ』と一緒だ。買おうが売ろうが性欲処理の捌け口にしようが自由だな。何しろ世界がそういう仕組みを作っちまった。一度作ってしまえば、それはそう簡単には変わらないし、そもそも人間は、目下にはとことん無理難題を言い付け、自分が知らず知らずのうちにお山の大将になっている……そんなのは随分と珍しい話じゃあない。つまり人間の深層心理に深く刻み込まれたものなんだ。だから空白人をモノ扱いしても心は痛まないし何も感じないし寧ろそれが当たり前と感じている。ずっとそんな環境にいれば、どんな馬鹿らしいものでも人間はそれを『普通』だと認識してしまう。……そう考えれば、人間はとても恐ろしい獣を飼っているということになる」

「獣?」

「自制心という名の獣だよ。自制心は決して自制出来ない。その自制は良くて張りぼて、悪くて妄想だ。自制心が完璧にあるならば、人身売買なんて発想は何処からも出てこないはずだろう?」

 老人の話は至極理解出来るものもあったが、その大半は理解に苦しむものだった。

 言い訳をするならば、『生きてきた場所が違うから』――とでも言えるのだろうが、そんなことが罷り通っているから戦争や紛争といったいざこざは起きていないだろう。

 つまりは凡て、人間のエゴイズムによるものだ。自分が一番偉く、自分が一番強く、自分が一番素晴らしく、自分が一番最高だと思い、そしてそんな自分に酔っている。最低にして最悪な自分主義があるから、世界には様々な歪みが生じている。

 しかしながら、それを誰かが批判することも出来ない。それも批判する人間のエゴイズムだからだ。人間が人間を批判することはただのエゴイズムに過ぎないし、そうだとするなら人間が行う事象は凡てエゴイズムで対処出来てしまうのである。

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