New Testament

巫夏希

8

「……科学は人々を幸せにするためにある。だから、幸科研があって母さんはそこに勤めているんじゃなかったのか」

 リニックが独りごちると、リリーが慌てて話し始める。

「そんなわけはない。私はいつだって、科学が幸福を与える……その目的のため、日夜研究に取り組んでいるのだから」

「だったら……」

「だが、それはあまりにも無理な質問だ。そんなことが出来るのは、カミサマかなんかしか居ないよ」

 リリーはそう言うとお茶を一口飲み、話を続ける。

「……そうだ。リニック。まだこの星に居るつもりか?」

「久しぶりに会ったんだ。つもる話もあるし」

「言うと思ったよ。……だとしたら、気を付けろよ。『魔術師狩り』がこの星では流行っている……というよりか主流でね。あいつら、何故か解らんが『魔法が効かない何か』を身に纏っているらしい。だからそいつらには気を付けた方がいい。もし見つけたら……逃げた方が身のためかもしれないぞ」


 ◇◇◇


 昼食会を終え、リニックはリリーとの約束を取り付けようとしたが、

「悪いが明後日には研究成果の発表会があってね。本当ならば昨日のうちにリハーサルも含めて凡て終わっている算段だったんだが……ちょっとメンバーの一人がスケジュールを一週間見間違えていてな。お陰で今は作業が三日遅れている。……まぁ、明日には終わるだろうがな」

 要するに『明後日まで忙しいからそんなの無理』だということだ。

 そう言われてはしょうがないので――彼らはウォードの町を探索することとした。

 ウォードの町はアースと比べればひどく閑散としていた。家は殆ど閉めきっていて、殆ど人は歩いていない。たまに見る人の目を見るも、その目には最早光がなく、まるでロボットのようだった。

「幸科研……といったか。あのような施設があるにもかかわらず、膝元の町がこの様に閑散としているとは……まったくどういうことなんだ?」

 レイビックは一応周りに配慮してか、少しトーンを落として、言った。

 それは、確かにその通りだった。リリーの話が正しければ、幸科研は『人々に幸福と安寧を提供(献上)する』ということで設立された施設だった。設立されたのはもう十年近く前のことで彼女は設立当初からずっと所長の座についている。

 十年も研究していて、一つも成果をあげられていないのか? そんなことは有り得ない。何故なら幸科研はこの世界の最高の頭脳を集めた施設だからだ。今や科学技術は日進月歩である。なのに、『世界最高の頭脳』とも称される幸科研が何も産み出せていない……これは少々おかしな話になる。

「……確か、明後日に発表会があるとか言っていなかった?」

 ジークルーネの言葉を聴いて、リニックはポケットからメモを取り出す。そこには明後日の発表会の会場が書かれていた。

 現在の旅の目的は『過去に戻る方法を探すこと』と『メアリーを元に戻すこと』だ。だが、手掛かりが無ければ何も出来ない。

 だからとはいえ、彼らは何もしないわけではなかった。

 彼らが向かったのはこの星で一番巨大な図書館だった。図書館ならば何らかの書物が必ずある。かつて時間に挑んだ人間も必ず居るはずだ――リニックはそう思ったからだ。

 そういうわけで、彼らは図書館――ウォード第一図書館にやって来たのだが、その外観を見て彼らは呆気に取られてしまった。

「ここって、本当にこの国で一番なんだよな……?」

 その様子を見て、思わずリニックは訊ねた。

「そうだと思いますよ……? たぶん」

 何故彼らがそう言ったか、答えはあまりにも単純だ。――本が無いのである。

 図書館は本の森と称されるほど、本が多く所蔵されている。だからリニックたちはそこに通い詰め(それが出来るかどうかは曖昧だが)、少しでも情報を集めたかった。

 だが、その本が無いのであっては、どうしようもない。

「一冊もないんだもんなぁ……」

 本が一冊もない図書館が、果たして図書館と言えるのかは難しいところだが、一先ず他のことを考えるためにリニックたちは空いていた椅子に腰掛けた。

「……まったくもって、どうしようもないな。絶望だ。絶望的だよ。まさかここまで情報操作されているだなんて思いもしなかった」

「恐らく、正しい情報を知っているのは幸科研だけ」

 リニックの言葉にレイビックが答えた。リニックも同じことを考えていたらしく、それにうんうんと頷く。

「だとすれば……何処へ行くか、決まったようなものね」

 ジークルーネの言葉を聞いて、ゆっくりとリニックは頷き、

「――あぁ。今日もう一度、幸科研に向かう。そして洗いざらい聞く。今回追い求めているものなのか、合ってるかは解らないけれど……、幸科研が何かを隠しているのは間違いないだろう」

 言ったリニックの目は何を考えているのか解らない程――澱んでいた。


 ◇◇◇


 その頃。

 ガラムド暦2015年のある少女の話。

 マリアはある人間と対峙していた。その人間の目の前に立つだけでも、その圧倒的な貫禄の持ち主は、ただただ微笑んでいた。

 その場所は権力者の座る部屋だったが、今は彼女を守る騎士も見えない。もし、彼女を暗殺するならば、今が絶好のチャンスといえよう。

 しかし、マリアは――絶対にそんなことは考えなかった。そんなことを頭の中に一瞬でも出しただけで、何が起こるか解らなかったからだ。

 汗が噴き出す。嫌な汗だ。何時まで経ってもマリアの精神は真っ直ぐ伸ばした糸のようにピンとしたままだった。

 確かに彼女は普通の人間でない。だって、特殊な魔術・錬金術教育を受けてきたからだ。

 そんな彼女だから――そんな彼女だからこそ、目の前に居る『人間』の危険性を理解していた。

 いや、そもそもここに居る人間は人間なのだろうか? 人間ではなく人間の皮を被った何かではないのだろうか――そう考えると小さく呻いた。

「…………こう話がないのも空虚だな。何か話すことはないのか」

 漸く相手から発せられた言葉が、暫く続いていた沈黙を破壊する。

 その声は厳かで強かで滑らかで健やかで大らかで穏やかだった。そこから発せられたはずなのに、まるで自分の周り凡ての方向から流れているような……そんなことすら考えるほどだ。

「……あぁ、答えないのか。それならばそれで仕方ない。私の質問に答えてくれ……お前は『はい』か『いいえ』で答えろ。答えられないならば、言わなくてもいい。但しそれは一回だけ……きちんと考えろ」

 そして、有無を言わさず相手は話を始めた。

「お前を見つけた近衛兵の話によれば、突如この城にお前は姿を表したという。これに間違いはないな?」

 その言葉に、マリアは頷く。実際には『未来から来た』というそこそこ重要な情報が付与されているのだが、今それについて言及すれば厄介なことになるのは確実だった。

 目の前に居る人間は少なくとも、いや確実に世界の『強者』の分類に入る存在だ。しかも、マリアが戦えば手も足も出ない程に、その差は圧倒的なものとなる。

「……ならば、どうやってここに入った? 魔法を使ったのか?」

 その言葉に是非で問うなら、おそらくは非に入るだろう――そう考えたマリアは首を横に振る。

「……魔法を使った訳ではない、と。ふむ……」

 そう言って女性は何かを取り出す。それは女性の手のひら大の大きさの水晶玉だった。水晶玉の中は淡い緑色になっている。

「これは自分の思いと反する発言をすると赤く光る代物でなぁ……。これを見る限りではお前は嘘をついていないようだ」

 そして、水晶玉は直ぐに椅子の傍にあるテーブルに置かれた。

「それに……目が赤い」

 女性はそう言いマリアの頬を撫でる。女性の目も赤く、そして近くで見ると益々『彼女』に似ていた。

 女性はマリアの横に立ち、薄ら笑いを浮かべる。

「お前に選択肢などない。……今日からこのヤンバイト城に住むがいい。名前は?」

「マリア」

 ここで嘘をついても良かったが、先程の水晶玉を考えるとそうもいかない。だから、マリアは諦めて本名を口にした。ただし、苗字だけは言わないことにして。

 追求されればお仕舞いだったが、生憎そんなことはされなかった。

「マリアか……ほお、いい名だ。過去にもそのような名前が居た気がするが……はて、どんなだったかな」

 女性はそう言ってマリアの周りをゆっくりと歩き出す。

 女性の予想は的中していた。彼女の名前――マリアは、その人間から取ったものだ。

 彼女は精霊を操ることに初めて成功した人物だった。そしてとても美しく、慈愛に満ちた人間だった。

 だからこそマリアは彼女を敬愛していた。素晴らしい人間だと、尊敬すべき人間だと思っていた。

「……まぁ、思い出せないのは仕方ない。話を戻そう。私のこの城はあまりにも人間が多い。だが、部屋は更に多くて有り余っているほどだ。だから、部屋の一つや二つ誰かが使ってもどうということはない……というわけだ」

 マリアは女性の言った事を頷いて、理解を深めていた。

「……あぁ、そうだった、忘れていたよ。私の名前を君に教えておこう、私の名前は……リュージュだ。覚えておいてくれよ。暫くはこの城に居ても構わない。だが……この条件だけは、なんとしてでも守ってもらわなくてはならないことがある」

「何かしら?」

「地下室には、絶対に近寄るな。いいな、絶対にだぞ」

 その視線は注意喚起を促すためのはっきりとしたものでもあり、それを守らなければ何があっても責任は取らない――と言わんばかりの冷たい目線を感じていた。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品