New Testament

巫夏希

5

「百年前……!?」

「そう。この世界で、『喪失の一年』と言われている時代。予言の勇者が現れ、一度世界が救われた時代。恐らくは……いや、確実に、その時代に向かったはずよ」

 ジークルーネはそう自信満々に言った。そんなに自信満々に言えるのは勿論自分の考えをきちんと持った故のことだ。

 対照してリニックは、何がそうなのか全く解らなかった。カーディナルの正体を予測出来ていないから、というのもあって持論を形成するのに難航している。

「何がどうなのかは、後で詳しく話しましょう。一先ず今は……光素の科学的分析を行っている、とあなたが言った、ウォードに行った方が得策です」

 ジークルーネの言葉に、一先ずは従うことにして、リニックは小さく頷いた。


 ◇◇◇


 その頃、ハイダルクの廃ビルにて。

「……カーディナルが成功したらしいな。はじめはそんなことが出来るわけがないと、我々は高を括っていたわけだが、このままではあのカーディナルに笑われることとなる」

 闇の一人が、深い溜め息をついた。

「いいのではないか? 元々我らと奴の目的は一致していた。だからこそ今まで協力し合ったのではないか」

「だが、奴が裏切る可能性を、我々は考慮していなかった。甘い水を啜るために、目の前の大穴に気が付かなかったんだよ」

「……だがね、我々がその大穴に気が付かなかった。それは確かに認めるが、大穴から脱け出す方法も知り得ているし、さらにそれを仕掛けた相手をその大穴に落とすことも出来る」

「カーディナル、この時代に戻ってきた時、それが奴の墓場だ」


 ◇◇◇


 月下には白銀の波が砂上を転がっていた。その波の音で、シルバは目を覚ました。

「う、うーん……」

 目を覚ましたシルバは立ち上がり、辺りを見渡す。そこはどうやら海岸のようだった。しかし、彼が知る海岸とこの海岸では、パターンが一致しなかった。つまりは、ここは彼の知らない海岸だった、ということになる。

「ここは……?」

 ここで、シルバは今までのことについて考えてみる。

 カーディナルが言った『百年前』――それは、この世界なのだろうか? だとすれば、ここはガラムド暦2015年……俗に言う『喪失の一年』ということになる。

「まさか実際に来てしまうとは――」

 ここでシルバは思い出した。

 カーディナル、シルバに続く三人目の存在を。

「――マリア、マリアは何処に行ったんだ!?」

 シルバは辺りを見渡す。しかし、辺りに居るのは自分以外の存在のほか、何も居なかった。

「みんな、バラバラに飛ばされた……そういうことなのか?」

 そう呟くと、シルバは思考を再開した。

 先ずはこの世界でカーディナルが何を企んでいるのか――まぁ、予言の勇者に関することなのは、自明ではあるのだが――それが例えどんなことであろうと、止めなくてはならない。

 その為にはカーディナルを探さなくてはならないのだが……先ずは味方を集める必要がある。

 まだ、先は長い。

 そして、如何なることがあっても、僅かでも歴史を変えてはいけなかった。

 バタフライエフェクト、という言葉がある。ほんの僅かの加工修正でも、結果として大きな齟齬を生み出すものだ。決して、そんなことをしてはいけなかった。

 ほんのちょっとのことで、人が死んだり、生き返ったりすることもあるだろう。だから、一番望ましいのは、さっさとそのカーディナルの企みを止めて、ここにいたという痕跡を完全に消した上で元の世界に戻らなくてはならない、ということだ。

 シルバは一先ず辺りを捜索し、近くの様子を確認せねばならない。先ずは、広いフィールドを調べなくてはならない。行動するにしても、どの方角には何があるのか見ておく必要がある。

 先ず、海が広がっていた。しかし、彼が知る以上これほど迄に静かな海は知り得ない。

 百年前の、何処かの海――そんなことを、一瞬考える。

 しかし、空間転移魔法という可能性も考えられる。もし、そうなのだとすれば――ここはアースか、別の惑星のどこか、ということになる。

「……一先ず、お金って使えるかな……」

 そう言ってシルバはポケットをまさぐる。直ぐに小さな巾着が姿を表し、中には金貨が数枚入っていた。金貨一枚で五万ムルなので、そこそこの金額である。

「……何を、している?」

 その声を聞いて、しまったと直ぐにシルバは思った。この世界の人間に、出来る限り気付かれないようにしようと、今さっき誓ったばかりなのだから。

 そこに居たのは少女だった。胸元に林檎を象ったエンブレムをつけた臙脂色のコートを羽織り、紺色のプリーツスカート、黒の長いソックス、革靴に身を包んだ少女は、何処かの学校の学生のようだった。

 そして、その姿は見覚えがあった。夜というのもあり黒とほぼ同化していたのだが、その髪は茶色い。

 そして、目は燃え付いたように真っ赤だった。

「まさか……メアリー、さん……!?」

 シルバは気が付けば思わずその言葉を口にしていた。気が付いたときにはもう、遅かった。

 シルバにメアリーと呼ばれた少女ははじめ目を白黒させていたが、直ぐに気を取り直す。

「え、えぇ……。確かに私の名前はメアリー・ホープキンだけど……何故知っているのかしら?」

 メアリーの目が細くなるのが、シルバには直ぐ解った。

 どうやって理由をでっち上げるか、若しくはきちんと理由を話すか――シルバはその二択に迫られていた。

 しかし、メアリーは直ぐに小さく溜め息をついて、

「――あなたを私は知らないけれど、私をあなたは知っている。この状態はひどく気持ち悪いことだけれど、最早どうでもいいわね。そんな細かい事」

 そう言ってメアリーは手を差し伸べる。

「名前は何て言うの?」

「……シルバ」

「シルバ。いい名前ですね……一先ず、ここは寒いです。私たちが泊まっている宿屋が直ぐ近くにあります。そこで暖を取りましょう」

 そう言うとメアリーはシルバに向けて、手を差し伸べる。シルバはそれを静かに受け取った。


 ◇◇◇


 リニックたちは、ウォードという星に足を踏み入れていた。ウォードは科学崇拝をしている人間が多く、魔術を使う人間は『異能』と言われ蔑まされる。明確な社会格差が存在する惑星だった。

 そのためか、アース以上に科学技術は発達しており、タイムマシン技術の開発や、反重力装置(こちらは、既に二十年前に成立していたという)などが開発されている。

 今リニックたちが居る『幸福献上科学研究機構』――通称幸科研はウォードでも一位を誇る科学技術の最先端である。

 壁から床から天井からの凡てが、毎日磨かれているかのように真っ白な廊下を、白い白衣を着た人間に連れられて、リニックたちは歩いていた。

 ジークルーネは歩きながら思っていた。――ここに居る人間は、非常に無機質な人間だと。眉ひとつ変えず、歩幅も変わらずに歩いている姿はロボットかと思わせる。

「しかし、よくこんなところにコネクションがあったわね」

 レイビックは隣に歩くリニックに、小声で訊ねる。ちなみに、メアリーはアンダーピースのアジトに預けている。彼処ならば、魔力が強い人間でなければ、そう簡単に見つけることが出来ないからだ。

「……ちょっとね。これは最終手段というか、そんな感じだったのだけれど」

 リニックは苦虫を潰したような表情で呟く。

 そんなことを話していたら、前に歩いていた白衣の人間が唐突に立ち止まり、こちらを向いた。左手を差し出し、そちらを見ると扉があった。

 扉を開けると、そこは研究室だった。先ず、パソコンのディスプレイが三台、三面鏡のように並べられていた。それが載っている机には所狭しと色々な本が積んであった。壁に面している本棚にも本がぎゅうぎゅう詰めであり、入りきらない本が床にも積まれていた。

「所長、お客様ですが」

 白衣の人間は高いわけでも低いわけでもないが、その言葉は目の前に原稿でもあるようにも見えた。

 そして、その言葉を聞いてパソコンにずっと向かっていた人間は、回転椅子をそちらに回転させ、立ち上がった。

 それは、どう見ても子供だった。金髪のポニーテールに、群青色の眼鏡、サイズが若干合わないのか強引に切った(そのため、下部はジグザグだった)跡の残った白衣の中には黒のカーディガンに白のプリーツスカートを履いていた。服装から見て、その格好はどう見ても『所長』というレッテルには相応しくない。

 その外見に圧倒されていたジークルーネたち(リニック除く)をシニカルっぽく微笑んで見渡し、少女は言った。

「はじめまして、私リリー・フィナンスといいます。息子のリニックが……いつもお世話になっています」

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