New Testament

巫夏希

13

 フルたちがサンディアに辿り着いたころには、もう日は暮れかけていた。砂漠気候の夜は非常に寒い。砂漠での死因の中に『凍死』があるのは、そういった気候の問題もあるということだ。

「さっむ~い……。ちょっと寒すぎやしない……?」

「メアリー、もう少ししたら宿屋だから……。ルーシーももう少しだから……!」

 気付けばあの強気だったメアリーもすっかり体力が無くなってしまっていた。今はただ歩くだけ――差し当たり、目的地の宿屋まで――となっていた。ルーシーについては、もはや語ることもあるまい。

 唯一話す気力(全員話す分の気力はあるが、如何せんそれをその方向に転換させていない)があるフルですらも目は虚ろだった。よっぽど堪えたのだろう。

 宿屋に入ると三人の姿を見兼ねた店主らしき人間が直ぐに二階の部屋へ案内してくれた。

 体を洗い、パジャマの姿になってベッドに入り、三人は直ぐに夢の世界へと沈んでいった――。


 ◇◇◇


 メアリーが目を覚ましたのは、まだ日が昇る前のことだった。時計を見ると二時半をさしていた。

「まだこんな時間……?」

 まだ旅に出るには早い、もう一眠りしよう――と思ったが。

 視界にあるものが映り込んだ。

 隣のベッドで寝ているはずのフルが居なかったのだ。

「あれ、フル……?」

 メアリーは起き上がり、フルのベッドを、改めて眺めた。しかし、居ない。何処にも居ない。

「何処にいったんだか……」

 メアリーは小さく呟いて――ルーシーに気付かれることのないように――扉をゆっくりと開けた。


 ◇◇◇


 外はひんやりと涼しかった。今、メアリーは白いレースのネグリジェを着ていて、それだけでは風邪をひいてしまうほどだった。

 仕方ないので、急いで部屋に戻って茶色のブレザーを取り出し、それを羽織った。

 再び外に出ると、ブレザーによって幾分寒さは和らいだが、それでも身体が震えてしまう程の寒さであった。
「……寒いわね。フルはいったい何処をほっつき歩いているんでしょう……?」

 メアリーはそんなことを呟きながら、外を見渡す。

 誰も居ないように思えたが、街の中にある湖の方に小さい人影が見えたので、メアリーはそちらへ向かうこととした。

 湖畔に向かうと人が一人、小さく佇んでいた。彼は湖に写る月を見ていたようだった。

「フル、ここに居たのね」

 メアリーが声をかけると、フルはそちらに振り返った。

「おかしいな、静かにでていったつもりなのに」

 フルは照れ隠しに微笑んだ。それを見てメアリーはフルの隣に座った。

「……昔の事を、思い出していたんだ」

 会話はフルから始まった。

「昔……前の世界、ってこと?」

 メアリーの言葉に、フルは小さく頷く。

 この少年――フルは別の世界からこの世界を救いに来た『予言の勇者』と呼ばれる存在だった。まさに『来るべくして来た』のだ。しかし、それは同時に、前の世界との永遠の別れをも意味していた。

「……だんだん、前の世界のことを忘れていってしまうんだ。なんでだろう、この世界に慣れてしまったからなのかな……解らないや」

 気付けば、フルの目から泪が溢れ落ちていた。

 彼の気持ちを解る人間など、いないだろう。徐々に慣れ親しんだ前の世界の記憶を忘れていき、前の世界に戻れるかも解らない恐怖感を、背負っている人間など。

 他の人間が背負おうとしても背負いきれないそれを、フルは独りで背負っている。メアリーはそう考えると居たたまれなくなる。

 だからこそ。彼女は、フルの味方でありたかった。仮に世界の全てが彼に敵対していようとも、メアリーだけは味方であろう――そう、いつしか思うようになっていた。

「……メアリー、僕は怖いんだ。もしかしたら、君の事も、この世界の事も忘れちゃうんじゃないか、って……」

 フルの言葉を聞いて、メアリーはフルの顔を自らの胸にうずめた。

「――大丈夫」

 メアリーは小さく呟いた。

「あなたがもし私のことを忘れても、私はあなたのことを忘れない。約束する――絶対に、忘れないわ」

「そう言ってくれると嬉しいよ」

 フルは顔を上げて、少し顔を赤らめた。

 メアリーはフルの顔を撫でて、小さく微笑んだ。

「それに、あなたにそんなことが起きる前に私が守ってあげる、必ずね」

 その言葉はフルの耳には届かなかった。


 ◇◇◇


「――それでラスボスを倒して平和になったかと思いきやそれを代償に彼は記憶を失った。そう言えば聞こえはいいかもしれないけれど、カミサマが書いた魔導書の副作用によるもの。決して、結果として、こうなったに過ぎないのよ」

 メアリーの言葉はえらく平坦だった。自分の身に起きたことはすべて、『結果として』受け入れていた、そんな感じにも思えた。

「そんなことがあったんですか……」

 トレイクはすべての話を聞き終えたあと、目を丸くしていた。しかしながら、メアリー自身にとってはそれすらも嘲笑っているようにしか見えず(あくまでも、メアリーの主観である)、メアリーはそれに答えるように小さく舌打ちをした。

「なんです。冷たいですね……」

「なんか、やはりあなたはいけすかない人間よ。気に入らないというか、シャーデー先生の仲間じゃなかったら倒しているところ」

「……シャーデーさんに感謝する事にしましょう」

 トレイクはそう言って、小さく一礼して立ち去っていった。

 リニックとジークルーネもメアリーとトレイクの会話を聞いていたが、内容は殆ど理解出来ていなかった。理由は簡単である。

「……え? しりとりしようって?」

 リニックの言葉にジークルーネは小さく頷く。リニックにはそれば栗鼠のようにも見えて愛しく思えた。

「それじゃ、私から」

 ジークルーネはそう打ち込まれた携帯の画面を見せ、直ぐにそれを高速で消し、文章を打ち込まれたその画面をもう一度リニックに見せつけた。

「リス」

(心を読んでいやがったのか――?)

 トレイクは一瞬そんなことを考えたが直ぐに忘れ、それに対する解答を導き出す。

「ストロー」

「オルディナ・メルシート」

 今の名前はアースで有名な女性アーティストの名前か、ファンなのかな――とか、リニックはそんなことを考えた。

 さらに、しりとりは続く。

「トランジスタ」

「体育」

「クールビズ」

「ズッキーニ」

 …………………………………………………………………………………………。

 このようにしてあっという間に時間は流れていき――メアリーの話を半ばにして聞いていたに過ぎない二人なのであった。

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