New Testament

巫夏希

9

 海を渡るには凡そ七時間程かかるという。距離にして今まで陸路でリニックたちが来た距離の半分なのだが、陸路とは違い、そう簡単にはいかないのであった。

 リニックは海を眺めていた。最初は皆と同じように船内に居たのだが、何か彼にも思うことがあったのだろう、気が付けば誰にも言わずに甲板に上がっていた。

「……どうした」

 メアリーの声に、リニックは振り返った。

「人生って解らないもんだなぁ、って」

「その年齢で人生を達観出来るか。それはそれで、だが」

「メアリーさんはもう百年以上生きてますよね?」

「もうすぐ百十七になる」

「いやぁ、すごいですね。普通の人よりも長く生きている、ってことですもんね?」

「馬鹿にしているのか、それともただ単に感動しているのか?」

「後者です。だって、様々なものを見てきたんじゃないですか?」

「様々なもの、か……」

 メアリーは笑い、空を仰ぎ見た。

「確かに、見てきたよ。様々なことが起きて、様々なことを食い止めた。……最初はそれぞれに喜び、それぞれに怒り、それぞれに哀しみ、それぞれを楽しんだ。だが、こう長く生きていたら、全てを辛く感じてしまうものなんだよ。最後まで母さんは色々と遺していった」

「母さん……?」

 リニックの意外とも思える反応を見て、メアリーは失笑した。

「なんだ? 私に家族など、母親など居ないと思ったのか? まるでカミサマみたいに、突然現出したとでも?」

 メアリーの言葉に――もしかしたら、リニックはそう冗談混じりに返してもらって嬉しかったのかもしれない――リニックは笑った。

 それには、メアリーも予想外だった。

「私は確かに普通の人間とは変わった存在だ。寿命が人の数倍は“あるとされている”からな」

「数倍も……?」

「私の母さんは千年以上も生きたらしい。私は混血だから、それほど生きていられるとも思えないがね」

 メアリーはひとつ欠伸して、改めてリニックの方を見た。

「……私が怖いか? リニック・フィナンス」

「怖い?」

「畏怖、だ。思ったことは、ないか?」

 ない、と言えば嘘になるし、その嘘を強引に突き通せるとも、今のリニックには思えなかった。

「……私はちょうど『喪失の一年』の間に旅に出た。剣を携えし戦士が一人、弓矢を携えし戦士が一人、そして、杖を携えし人間こそが……私だった。ラドーム学院の名前を、少しくらい聞いたことはないか?」

「確か全国でも優秀な魔導士を世に送り出した学院のことですよね? 現在でも魔法研究の権威ばかりが揃っているとか」

「……あそこもかつては錬金術を教えていた。いや、それだけではない。獣を操る『主従術』に魔法、勿論魔法研究の学科もあったが、錬金術の方が名高かったんだ」

 リニックは頷きながらも、その事実ひとつひとつを理解出来てはいなかった。

 錬金術はかつて栄えていたという事実。

 それは彼にとって一番知りたかった事実であり、それが事実ならばなぜ今の時代では錬金術は衰退したのか、ということを調べるべき課題であった。

「……ラドーム学院は錬金術に力を入れていた。ならば、益々この時代から錬金術が消滅した理由が解らない」

 リニックはメアリーに対し、更に説明を求めた。

「君は『ガラムドの書』の存在を知っているかな? ……学会のことだから、事実を歪曲させているのだろうが、君の知っているそのままの意味を聞きたい」

「聞きたい、も何も」リニックはメアリーの質問の意図が若干理解出来なかったが、それに答えた。「ガラムドと言われる学者が造り出した全ての魔法を収録した事典のようなものですが、それを用いてもほぼ全ての人間が使えない。使えても後遺症で記憶喪失に陥るという非常にハイリスクハイリターンなものですよね」

「学会が提示した情報そのままを語って下さってどーも。ともかく今は全部説明をするつもりはないからかいつまんで話すことにするけど、あなたはなぜ『後遺症で記憶が消える』と思う?」

「脳に相当なダメージを負うからじゃないですか」

「だと思うならあなたは脳科学を一から学び直すのが得策ね」

「……勿体振らずに教えて下さいよ」

 リニックはメアリーに問い詰めた。話が進んでいるようで進んでいないことに腹を立てたようだった。

「脳には記憶を保持する場所があるのだけど、そこには『記憶エネルギー』というものがある。記憶をエネルギー化したものよ。あまりこれを使うことはないけど、歳を取るとこれが下から吸い取られ体内を循環する『生命エネルギー』になる。記憶エネルギーはそれ以外消費されないのだけれど……『ガラムドの書』は記憶エネルギーを使って膨大な魔法を用いることが出来る。精神力をもってしても大量に使えない……。しかし、一度使えばその力は凄まじいもの。全方位の攻撃に耐えうる障壁魔法や、大多数にも耐えうる空中舞遊魔法などその数は計り知れない」

「……つまり、今までにガラムドの書を使った人間というのは後遺症で記憶喪失になったわけではない、と?」

 リニックの言葉にメアリーは頷き、空を眺めた。空は薄紫色になっていた。きっと、そろそろ日の入りだろう。

「……さて、そろそろ着くだろうかね。用意をした方がいいよ、君はジークルーネと一緒に宇宙に旅立つのだから」

 そう言ってメアリーは船内に入っていった。リニックはメアリーを見送り――再び海を眺めていた。


 ◇◇◇


 そのころ。

 ハイダルク中心街にあるとある廃ビルの一室での会話。

「――つまり、メアリー・ホープキンはまだ生きているということか?」

「その通り。大方惚れた相手を取り戻そうとしているのだろう」

「しかし、あれから百年か……。少し長過ぎはしないか? 仮に成功したとして百年後の現在では、死んでいることに変わりはないんだぞ」

「そこが我々にも解らないところだ。まったく……あいつの価値を、メアリーも、いや全人類でさえも認めているはずなのに」

「彼が居なければこの世界も生まれず、我々のような組織もなかったですからな」

 そう言うと誰かの笑い声が一室に響いた。

「……さて、それより。皆々方、重要な事を忘れてはいないかな?」

「『喪失の一年』のことか」

「さよう。あれを白日のもとに晒されてしまっては困るのだ。……誰も彼も」

「『アンダーピース』なる組織を作りおって。最後まで楽しませる女だよ」

「楽しませるならベッドで腰を振るだけでよろしいのですよ。今は……いや、今ですら、メアリー・ホープキン率いる組織は脅威になっている。どうするべきか、そろそろ本格的に対策を講じるべきではないでしょうか」

「ホークリッチくん、誇りをもちたまえ。君はかつて世界を轟かせたほどの力を持った人間の子孫なんだぞ? 先祖に申し訳ないとは思わないか」

 ホークリッチと呼ばれた人間は、それから何も話さなくなった。

「――それに、対策を考えていないわけではない」

 その声とともに一室に足音が響き、ノックが聞こえた。

「入っていいぞ」

 その声とともに入ってきたのは奇特な格好をした二人組だった。

 かたや赤い服に赤い髪と、まるで自らを『炎』とでも言うかのごとく真っ赤な“人間”。

 かたや青いワンピースに青い長髪――自らを『水』とでも言うかのごとく真っ青な“人間”。

 それぞれが並んで立っていた。その雰囲気は仲睦まじく、恋人同士にも友人にも兄妹にも見えた。

「……『喪失の一年』にも活動していた人造人間だ」

 そして、赤の人間がこう告げた。

「……『はじめまして』でいいんですかね。ともかく、私はバルト・イルファといいます。そして彼女は私の妹であるロマ・イルファです」

 そう言ってバルトはニヤリと微笑んだ。

 まるで、これから起きる全てを見通しているかのように。



第一章



第二章に続く。

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く