許嫁は土地神さま。

夙多史

四章 お出かけは大変だ(6)

 気がつくと、そこは異世界だった。
 そうとしか考えられない光景が僕の眼前に広がっていた。
 都市のど真ん中にいたはずなのに、周りは見渡す限り山、山、山。それも紅葉満開ときたもんだ。隅々まで赤や黄色で彩られて桜が散る時期とは到底思えないね。見上げれば夕焼けのように美しく紅に染まった空がどこまでも続いているし、雲一つどころか太陽すら存在しない。
 それだけでも異様なのに、あちこちに真っ赤で巨大な鳥居が点々と存在しているのだ。中にはどういう理屈か空中に浮かんでいる物もある。これを異世界と言わずしてなんと言うんですか? 適切な表現があるのなら教えてくださいよ、先生。
「ここが神界? 神域とはかなり違うんだね」
「神域とは現世における神の完全支配領域のことだ。神界とはその名の通り、神の住まう世界。違って当然だろう」
 答えてくれたのは小和だ。周りの風景に感動しているかと思いきや、彼女は緊張した面持ちで何処を見詰めていた。口調もどことなく硬い気がする。
「いつまで呆けておる。適当に座るとよい。白季のも、そんなに堅苦しゅうならんでよい」
 声に振り向くと、緋泉加耶奈御子が地面に広げられた赤い敷物の上でどっさりと胡坐を掻いていた。その横には古めかしいデザインの日傘が突き立てられていて、これから茶会でもするかのような光景だった。
「えーと、座る前に一つ訊いてもいいですか?」
 どうしてそんな用意がされているのかについてはどうでもいい。
「なんじゃ、急に敬語なぞ使いおって。構わん、申してみよ」
「その人たちは誰ですか?」
 加耶奈様の斜め左右後ろに、二人の巫女さんが使用人のように控えていたのだ。右側の巫女さんはお茶菓子を、左側の巫女さんは三人分の湯飲みをお盆に乗せている。
「人ではない。お主から見て右は緋泉市西松来町の土地神、左は緋泉市東松来町の土地神――要するにわしの属神じゃ。別段気にする必要はないぞ」
 加耶奈様の簡単な紹介に巫女さんたちは軽く会釈した。
「その属神ってなんなの?」
「一言で緋泉市と言うても、細かく区切ればいくつもの町村に分かれることは知っておるな? その区域を守護する土地神のことじゃ。そうじゃのぅ、わかりやすく人間で例えるならば、わしが征夷大将軍でこやつらは守護大名といったところかの」
 なんてわかりやすい例えだ。ちょっぴり歴史とかが苦手な僕でも一発で納得したよ。でも普通に王様と貴族って言えばよかったんじゃないかと思ったのは内緒だ。
「ほれほれ、立ち話はもうよいじゃろ。せっかくの茶が冷めてしまうわい。早よう座れ」
 促されるままに僕と小和は敷物の上に腰を下ろした。するとすかさず加耶奈様の属神たちがテキパキと訓練された動作でお茶菓子と湯飲みを配っていく。高級そうなせんべいにようかん、湯飲みの中は茶柱が三本も立っていた。こ、これぞ神様パワーか!
 属神たちが下がってから、加耶奈様は満足げに唇の端を緩めて口を開いた。
「さて、わしが話すよりも先に、お主らがどのような状況なのかを語ってもらおうかの。特に人の子よ、言われるまで気づかなんだが、お主の深い場所に埋め込まれている神気の塊についても詳しくな」
 僕と小和は顔を見合わせて頷く。それから僕は現状知っている全てのことを加耶奈様に話した。
 十年前に僕が死にかけていたこと。そんな僕を当時の白季小和媛命が救ってくれたこと。十年後の現在、そこにいる小和が許嫁として僕の前に現れたこと。それから消滅の危機を回避するために信仰を集めていること。包み隠さず全部ね。
 加耶奈様は無言で聞いてくれていた。恐らく白季神社とは桁違いの量の〈祈り〉を聞いている神様だ。聞き上手なんだろうね。
「……阿呆じゃな。まったく白季のは阿呆じゃ。なぜ〈輪帰〉なぞしおったのかわしにはさっぱり理解できぬ」
 湯飲みの茶をずずずと啜り、加耶奈様はやれやれと長く深い溜息をついた。そこには同情の念が見て取れる。
「じゃあ、やっぱりあの時の白季小和媛命はここにいる小和のお母さんじゃなかったってこと?」
「母、か。なるほど、そういう認識になっておるのか」
 加耶奈様はしばし思案するように目を閉じ、
「まあ、あながち間違ってはおらぬ。母体から赤子を産むようなものじゃからな。じゃが、現世の生物と違うところは母体が赤子に変わる点じゃ。つまりお主を救ったという十年前の白季のと、そこにいる小っこい白季のは同一ということになるのぅ」
「!」
 同じだって? いや、〈輪帰〉の説明を聞いた時に予想はしてたけど、こうはっきり断言されるとやっぱりビックリするよ。
「緋泉の神、それは確かなのか? 本当にわたしは、前の白季小和媛命と同一なのか?」
 慎重に小和が確認する。その声は若干だけど震えていて、必死に驚きを押し隠そうとしているようだった。
「このわしが白季のの気配を間違えるものか。何百年と領地繁栄を競い合った好敵であり友じゃぞ。結果は現世を見ればわかる通り、わしの勝ちじゃったがな」
 懐かしげに天を仰いで語る加耶奈様。白季小和媛命と緋泉加耶奈御子はライバルの関係だったなんて、僕はまったく知らなかった。ということは、もし白季小和媛命が勝っていたら今の地名が白季市と緋泉町になってたのかもしれないね。
 それにの、と加耶奈様は続ける。
「土地神が変われば土地の名も変わる。じゃがそうはなっておらぬじゃろ? よって、お主はわしの知る白季ので間違いないのじゃ」
 ビッ、と力強く加耶奈様は小和を指差した。どう受け止めていいのかわからない、小和はそんな複雑な顔をしていた。母親の思い出など当然なく、かといって母親を求めていたわけでもない小和にとっては反応に困る話なんだろうね。
 でも、僕は違う。
 前の白季小和媛命と、今の小和が同じ。
 すなわち――

 僕は会えてたんだ。僕の、命の恩神に。

 そうか、そうだったんだね。
「小和、いや、白季小和媛命様」
「な、なんだ成人、いきなり改まって。小和と呼べと言っただろう」
 頭を下げた平伏のポーズをする僕に小和が戸惑う。けれど今だけは、この瞬間だけは、君のことを恩神として扱わせてほしい。
 十年前に僕を助けてくれた、あの白季小和媛命として。

「白季小和媛命様、あの時僕を助けてくれて、本当にありがとうございました!」

 ずっと、直接言いたかったんだ。
 いないと聞いて諦めかけた、この一言を。
 とっくの昔に伝わっていたことだろうけど、やっと、告げることができた。
 満足だ。
「……わたしに言われても、その、正直困る。わたしにはその時の記憶がないのだ」
 小和は、やっぱり反応に窮していた。
「いいよ、気にしなくて。僕が言いたかっただけだから」
「そ、そうか。ならば、気にしない」
「うん、それでいいよ」
 十年分の溜まってたものを吐き出したんだ。僕が幽霊だったら成仏してるレベルだね。なんというか、スッキリしたって感じ。
 で、スッキリしたところでもう一つの疑問に移行しようかな。あと少し感傷に浸っていたい気持ちもあるけど、それは家に帰るまで取っておこう。
「加耶奈様、もう一つ訊きたいんだけど、小和が元々人間だったって本当なの?」
「知らぬ」
「なるほど、でも……へ?」
 今、とっても残念な答えが返ってきた気がしたよ。幻聴かもしれない。
「加耶奈様、もう一つ訊きたいんだけど、小和が元々人間だったって本当なの?」
「前置きから一字一句違わず繰り返すでないわ! 知らぬものは知らぬ」
 知らないだって? いやいやいや、それはおかしいよ。だって――
「わたしが元々人間だったと言ったのはお前ではないか、緋泉の神」
 僕の疑問を怪訝顔の小和が代弁してくれた。加耶奈様はバリバリと豪快にせんべいを齧りながら、
「本当かどうかは知らぬ、ということじゃよ。わしも以前の白季のから聞いただけじゃからのぅ。わしと白季のが初めて邂逅した時にはもう、白季のは立派に土地神じゃったわい」
 加耶奈様は嘘はついてないと思う。会ってまだ一時間も経ってないけど、この土地神様ははっきりと物を言う性格だとわかった。ある秘密があったとして、それを守るために嘘で誤魔化すのではなく、「秘密だから言えぬ」と断言する神だ。だから嘘じゃない。
「どうしても知りたければ、白季の、お主が自分で思い出す他あるまい。〈輪帰〉は全く別の存在になるわけではないからのぅ。記憶は取り戻せるかもしれん」
 加耶奈様にそう言われ、小和は瞑目して記憶を漁り始めた。僕は難しい顔で唸る彼女をただようかんを食べながら見守っていることしかできない。あ、このようかん美味しい。甘過ぎにならない絶妙なラインをキープしてて、絶品ですなぁ。
「どう? 小和、思い出せそう?」
「うぅ……わからん。もうちょっとで思い出せそうでいて、全く思い出せない気もする。変な感じだ」
 この上なくもどかしい状況だということは伝わってきた。
「別に信仰を集めるために必要な記憶ってわけでもないんでしょ? だったら無理に思い出すこともないんじゃない?」
「おー、そうじゃそうじゃ。それを言うつもりじゃった」
 自分の分のお茶菓子を全部平らげた加耶奈様が唐突にポンと手を叩いた。
「白季の、お主は神気が不足して消滅しそうなのじゃろう?」
「だったらなんだ? お前の信仰者の半分をわたしにくれるのか?」
「カカッ。それは神の意思ではどうにもならんことじゃから無理じゃな。だが、お主を救ってやる方法ならあるぞ」
 加耶奈様はニヤリと含んだ笑みを浮かべて、まっすぐその緋眼で小和を射る。

「わしの属神となれ、白季の」

「「――ッ!?」」
 単刀直入に真剣な声で告げられた台詞は、僕たちを驚愕させるのに充分な威力を秘めていた。
「わ、わたしがお前の下につけってことか?」
「これは以前の白季のにも提案したことじゃがな。わしの属神となれば緋泉市に集まる信仰の幾分かがお主の神気となる。消滅は免れるし、お主の守る土地にも災厄は降りかからんじゃろう。なに、悪いようにはせんぞ」
 小和が、加耶奈様の属神になる? それってつまり白季町が緋泉市白季町になるわけであって――
「吸収合併ってこと?」
「察しがいいのぅ、人の子よ。そりゃあ土地神がより強大な土地神に降れば人の世も変動するじゃろうな。現世における市町村合併の裏には、大概こういった土地神の事情がある。消滅を防ぐための最良策じゃしのぅ。〈輪帰〉などよりもずっとな」
 もしも小和が属神になったら、やっぱり巫女服着せられて加耶奈様にご奉仕するんだろうか? それとも銀髪だからメイド服かな? どうしよう、どっちも見てみたいね。
「どうじゃ? 悪い話ではなかろう? まあ、ちーとばかし雑用してもらうことになるじゃろうがな」
「うむぅ……」
 僕が小和の巫女服姿を妄想している間に話が進んでいく。白季町と緋泉市が合併するしないの大変な場面に居合わせているのに、なにやってんだろうね僕。ちょっと自重するよ。
「少し、考えさせてくれ。以前のわたしがなぜそうしなかったのか。なぜ〈輪帰〉を行い今のわたしとして存在しているのか。それを知ってからでないと返答できない」
 俯き加減の小和はなにを考えているのだろうか? どう考えても属神となった方がメリットがあるのに、前の自分はそれをしなかった。その理由を懸命に思い出そうとしているんだろう。
 それに、プライドの問題もあると思う。小和は他人の下につくような性格じゃないから。
 僕にはなにもしてあげられないのだろうか? 許嫁として、小和のためになることを。
「ふむ、躊躇う理由としては充分じゃ。あいわかった。お主の答えが固まれば改めてわしを訊ねるとよい。ただし、時間はあまりないようじゃぞ」
 了解してくれた加耶奈様だったが、最後に意味深な言葉を残した。

「わしは待てるが、人間は待ってくれんからのぅ」

 その言葉の意味を僕たちが理解するのは、数日後のことだった。

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