許嫁は土地神さま。
四章 お出かけは大変だ(2)
「待て成人! そんな話は聞いていないぞ!」
「え? ちょ、どうしたのさ突然?」
土曜日当日、行き先を告げると小和はなにやら切羽詰った様子で僕の胸倉を掴んできた。彼女は白いワンピースにアーガイル柄のカーディガンを纏っていて、いつもの白装束はお出かけなので自宅待機してもらっている。そしてやっぱりその服も一度着たことある気がするのは思い出しちゃいけない黒歴史だ。
「もしかして、教えるとつまらないと思って黙ってたことに怒ってるの?」
「そこはどうだっていい! 問題は行き先だ! もう一度言ってみろ」
「緋泉市にある『オールマイシティ』っていうところだよ」
オールマイシティとは、飲食店や服飾店はもちろん、映画館やゲームセンターなどの様々な娯楽が集合した複合商業施設のことだ。
出原兄妹にさりげなく『どっか楽しく遊べる場所ってない?』と訊くと、なぜかニヤニヤしながら愉快そうに教えてくれた場所がそこだ。『あの巨乳に埋もれてこい』『感想聞かせてねぇ』なんて言われて送り出されたから、奴らは僕が彩羽と行くって勘違いしたのだろうね。
とにかくそこなら僕も何度か行ったことあるし、エスコートは充分にできるだろうと踏んで決定したんだけど……はて、なにが不満なんだろう?
「なぜ白季町を離れるのだ。わたしは白季町の土地神だぞ」
「えっと、なにか問題があるの?」
「成人、お前は土地神不在の状況を作り出しているとわかっているのか?」
「!」
しまったそうか。白季小和媛命がいなくなると白季町に災いが降りかかる。『消滅』だけでなく『土地を離れる』でも発生してしまうなんて考えてもいなかった。
「せっかく集めた信仰が、土地を離れていてはわたしに届かないではないか」
「あれ? それだけ? 町が滅ぶとかそんなんじゃなくて?」
小和は掴んだ僕の胸倉を乱暴に放す。
「神無月には全国のあらゆる神が出雲に出張するのだぞ。一ヶ月や二ヶ月程度離れたところでなにも変わりはしない。まあ、わたしは一度も行ったことないがな」
神無月――つまり十月に神様がいなくなるって話は本当だったんだ。小和はサボってたみたいだけど。
「もしかして小和、白季町から出たことないの?」
「うむ」
意味もなく偉そうに頷かれた。この神様、引き籠りの自分を誇りに思ってるタイプだよ……。
「だったら今日は外出記念日だね」
「妙な記念日を設定するな! 他にもいろいろと問題があるのだぞ! あーもう、面倒だ。帰る!」
「いや帰るって言ってもさ、小和」
僕はざっと辺りを見回した。縦長の空間に座席が均等に並び、天井からは吊り革が提げられ、窓の外に見える景色は高速でスライドしている。
「もう電車出発してるから無理だよ」
白季町から緋泉市まではたったの一駅。隣町だからね。と言っても十五分くらいかかるから電車賃をけちって徒歩で行くような真似はできない。
緋泉駅に到着すると、小和はすぐに踵を返した。
「待ってよ小和! ここまで来て引き返すなんてどうかと思うよ」
「成人はなぜわたしをそのなんとかって場所へ連れて行きたいのだ?」
「小和に楽しんでもらいたいんだよ。噂が思うように広がらなくて、信仰が全然集まらなくって、元気なさそうに見えたから」
「お前がただ遊びたいわけじゃなくて……わたしの、ため……?」
ついにあまり言いたくなかったお出かけの主旨を吐露してしまうと、小和は妙にしおらしくなった。
「その気持ちは、素直に嬉しい。だが、わたしは白季町の土地神で……」
「そういえばキャラメルの専門店とかもあるよ」
「なにをもたもたしている成人。早く行くぞ」
変わり身の速い神様だった。
***
オールマイシティへは緋泉駅から専用のコミュニティバスが出ていて、それに揺られて十分もすれば到着する。
全体的に薄紅色をした少々レトロなデザインの巨大建造物が見えてくればそれだ。オフィス街の一画を穿つように建設されており、その敷地面積たるや果たして東京ドームが何個入るんだろうね。全部回るとすれば一日じゃ絶対に足りない。
「おおぉ、でかい、でかいぞ成人! ここで遊ぶのか? 凄いな!」
バスを降り、西側の入り口の一つから建物を見上げた小和が感嘆した。「帰る」と言っていたさっきまでが嘘のように顔を輝かせているね。早く入りたくてうずうずしてる感じだ。
「それで、キャラメルの店はどこだ?」
「落ち着きなよ。お店は逃げたりしないからさ。あとヨダレを拭きなさい」
すっかりキャラメル中毒者になったこの神様は妄想するだけで幸せになれるみたいだ。
この調子だと最初の選択肢はキャラメル専門店以外なさそうだ。とはいえ流石に場所を把握できていないから入口付近で無料配布しているパンフレットを先に入手しないとね。
そう判断してパンフレット置き場に直行すると――見知った顔と出くわした。長く艶やかな黒髪に、端整な顔立ちと豊満なバストをした少女だった。
「あ、なるくん! こんなところでき、きき、奇遇だね」
彼女は僕たちに気づくと、ぎこちない笑顔で手を振った。
「い、彩羽? どうしてここに?」
「なるくんが、今日、私とデートするって噂を聞いたから。でも私はそんな話をなるくんからしてもらってないし、もしかしたらって思って来てみたら……案の定、小和ちゃんだったのね」
垂れ目がちな目つきを鋭くして彩羽は小和を睥睨する。どの辺が奇遇なんだろう。完全に謀じゃないか。あとそこの神様、人間相手に負けじと睨み返さない。
「ていうか誰から聞いたのさ、そんな話」
「出原の夕陽ちゃんがクラスの子と楽しそうに話してたのが聞こえたの」
あんのたわけめ! 肝心の噂は広めずどうでもいいことばかり配信しやがって。恐らく出原兄も同じことをしているだろうね。相談相手を間違えたようだ。
「なるくん、私もご一緒してもいいかな? いいよね?」
「でも彩羽、こんな人の多い場所でまた憑依されたら……」
「大丈夫だよ、なるくん。もう滅多に取り憑かれたりしないから」
私強い子、というように彩羽は拳を握る。なんだろう、今日の彩羽はいつもより強気だ。服装もふんわりしたシフォンのカットソーに白いカーディガン、下はフレアたっぷりのミニスカート。オシャレにただならぬ気合いが入っていることが一目でわかる。
あのお芝居で身につけた徐霊術の自信がこんなにも影響しているなんて……いいことだけど、今はちょっと困るなぁ。
「悪いな、成人はこれからわたしとキャラメルの店に行くのだ。どうしても言うなら荷物持ちとして同行させることもやぶさかではないが、それが無理なら乳デカ女は帰った方がいいと思うぞ」
「私は小和ちゃんが一緒でもいいよ。でも、小和ちゃんが私と一緒が嫌なら一人で帰ってもいいんだよ? あ、ちゃんと帰れるかな? 迷子にならないといいね」
衝突する視線。
バチバチと弾ける火花。
轟々と燃え上がる炎を背景に、龍と虎――ではなく、デフォルメされた仔猫と仔犬が睨み合っている姿を幻視する。どっちが猫でどっちが犬なのかは、ご想像にお任せします。
言い負かされた彩羽が逃走するパターンはもうない。対等な足場に立って一歩も退かない。遊びに誘わなかったことを怒ってるんだとしたら……機嫌を直してもらうために僕のお財布は致命的大打撃を受けそうだ。
急激にこの場から逃げ出したい気持ちに駆られてきたよ。
「え? ちょ、どうしたのさ突然?」
土曜日当日、行き先を告げると小和はなにやら切羽詰った様子で僕の胸倉を掴んできた。彼女は白いワンピースにアーガイル柄のカーディガンを纏っていて、いつもの白装束はお出かけなので自宅待機してもらっている。そしてやっぱりその服も一度着たことある気がするのは思い出しちゃいけない黒歴史だ。
「もしかして、教えるとつまらないと思って黙ってたことに怒ってるの?」
「そこはどうだっていい! 問題は行き先だ! もう一度言ってみろ」
「緋泉市にある『オールマイシティ』っていうところだよ」
オールマイシティとは、飲食店や服飾店はもちろん、映画館やゲームセンターなどの様々な娯楽が集合した複合商業施設のことだ。
出原兄妹にさりげなく『どっか楽しく遊べる場所ってない?』と訊くと、なぜかニヤニヤしながら愉快そうに教えてくれた場所がそこだ。『あの巨乳に埋もれてこい』『感想聞かせてねぇ』なんて言われて送り出されたから、奴らは僕が彩羽と行くって勘違いしたのだろうね。
とにかくそこなら僕も何度か行ったことあるし、エスコートは充分にできるだろうと踏んで決定したんだけど……はて、なにが不満なんだろう?
「なぜ白季町を離れるのだ。わたしは白季町の土地神だぞ」
「えっと、なにか問題があるの?」
「成人、お前は土地神不在の状況を作り出しているとわかっているのか?」
「!」
しまったそうか。白季小和媛命がいなくなると白季町に災いが降りかかる。『消滅』だけでなく『土地を離れる』でも発生してしまうなんて考えてもいなかった。
「せっかく集めた信仰が、土地を離れていてはわたしに届かないではないか」
「あれ? それだけ? 町が滅ぶとかそんなんじゃなくて?」
小和は掴んだ僕の胸倉を乱暴に放す。
「神無月には全国のあらゆる神が出雲に出張するのだぞ。一ヶ月や二ヶ月程度離れたところでなにも変わりはしない。まあ、わたしは一度も行ったことないがな」
神無月――つまり十月に神様がいなくなるって話は本当だったんだ。小和はサボってたみたいだけど。
「もしかして小和、白季町から出たことないの?」
「うむ」
意味もなく偉そうに頷かれた。この神様、引き籠りの自分を誇りに思ってるタイプだよ……。
「だったら今日は外出記念日だね」
「妙な記念日を設定するな! 他にもいろいろと問題があるのだぞ! あーもう、面倒だ。帰る!」
「いや帰るって言ってもさ、小和」
僕はざっと辺りを見回した。縦長の空間に座席が均等に並び、天井からは吊り革が提げられ、窓の外に見える景色は高速でスライドしている。
「もう電車出発してるから無理だよ」
白季町から緋泉市まではたったの一駅。隣町だからね。と言っても十五分くらいかかるから電車賃をけちって徒歩で行くような真似はできない。
緋泉駅に到着すると、小和はすぐに踵を返した。
「待ってよ小和! ここまで来て引き返すなんてどうかと思うよ」
「成人はなぜわたしをそのなんとかって場所へ連れて行きたいのだ?」
「小和に楽しんでもらいたいんだよ。噂が思うように広がらなくて、信仰が全然集まらなくって、元気なさそうに見えたから」
「お前がただ遊びたいわけじゃなくて……わたしの、ため……?」
ついにあまり言いたくなかったお出かけの主旨を吐露してしまうと、小和は妙にしおらしくなった。
「その気持ちは、素直に嬉しい。だが、わたしは白季町の土地神で……」
「そういえばキャラメルの専門店とかもあるよ」
「なにをもたもたしている成人。早く行くぞ」
変わり身の速い神様だった。
***
オールマイシティへは緋泉駅から専用のコミュニティバスが出ていて、それに揺られて十分もすれば到着する。
全体的に薄紅色をした少々レトロなデザインの巨大建造物が見えてくればそれだ。オフィス街の一画を穿つように建設されており、その敷地面積たるや果たして東京ドームが何個入るんだろうね。全部回るとすれば一日じゃ絶対に足りない。
「おおぉ、でかい、でかいぞ成人! ここで遊ぶのか? 凄いな!」
バスを降り、西側の入り口の一つから建物を見上げた小和が感嘆した。「帰る」と言っていたさっきまでが嘘のように顔を輝かせているね。早く入りたくてうずうずしてる感じだ。
「それで、キャラメルの店はどこだ?」
「落ち着きなよ。お店は逃げたりしないからさ。あとヨダレを拭きなさい」
すっかりキャラメル中毒者になったこの神様は妄想するだけで幸せになれるみたいだ。
この調子だと最初の選択肢はキャラメル専門店以外なさそうだ。とはいえ流石に場所を把握できていないから入口付近で無料配布しているパンフレットを先に入手しないとね。
そう判断してパンフレット置き場に直行すると――見知った顔と出くわした。長く艶やかな黒髪に、端整な顔立ちと豊満なバストをした少女だった。
「あ、なるくん! こんなところでき、きき、奇遇だね」
彼女は僕たちに気づくと、ぎこちない笑顔で手を振った。
「い、彩羽? どうしてここに?」
「なるくんが、今日、私とデートするって噂を聞いたから。でも私はそんな話をなるくんからしてもらってないし、もしかしたらって思って来てみたら……案の定、小和ちゃんだったのね」
垂れ目がちな目つきを鋭くして彩羽は小和を睥睨する。どの辺が奇遇なんだろう。完全に謀じゃないか。あとそこの神様、人間相手に負けじと睨み返さない。
「ていうか誰から聞いたのさ、そんな話」
「出原の夕陽ちゃんがクラスの子と楽しそうに話してたのが聞こえたの」
あんのたわけめ! 肝心の噂は広めずどうでもいいことばかり配信しやがって。恐らく出原兄も同じことをしているだろうね。相談相手を間違えたようだ。
「なるくん、私もご一緒してもいいかな? いいよね?」
「でも彩羽、こんな人の多い場所でまた憑依されたら……」
「大丈夫だよ、なるくん。もう滅多に取り憑かれたりしないから」
私強い子、というように彩羽は拳を握る。なんだろう、今日の彩羽はいつもより強気だ。服装もふんわりしたシフォンのカットソーに白いカーディガン、下はフレアたっぷりのミニスカート。オシャレにただならぬ気合いが入っていることが一目でわかる。
あのお芝居で身につけた徐霊術の自信がこんなにも影響しているなんて……いいことだけど、今はちょっと困るなぁ。
「悪いな、成人はこれからわたしとキャラメルの店に行くのだ。どうしても言うなら荷物持ちとして同行させることもやぶさかではないが、それが無理なら乳デカ女は帰った方がいいと思うぞ」
「私は小和ちゃんが一緒でもいいよ。でも、小和ちゃんが私と一緒が嫌なら一人で帰ってもいいんだよ? あ、ちゃんと帰れるかな? 迷子にならないといいね」
衝突する視線。
バチバチと弾ける火花。
轟々と燃え上がる炎を背景に、龍と虎――ではなく、デフォルメされた仔猫と仔犬が睨み合っている姿を幻視する。どっちが猫でどっちが犬なのかは、ご想像にお任せします。
言い負かされた彩羽が逃走するパターンはもうない。対等な足場に立って一歩も退かない。遊びに誘わなかったことを怒ってるんだとしたら……機嫌を直してもらうために僕のお財布は致命的大打撃を受けそうだ。
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