許嫁は土地神さま。
三章 お願いごと叶えます(5)
そんなこんなで次の日の放課後、僕は彩羽を誘って件の日本屋敷へと赴いた。
上手な誘い文句を思いつかなかったからストレートに「彩羽、除霊術の特訓をしよう!」と高校生にもなって恥ずかしい台詞で口説いてみたら、「うん、いいよ」の二つ返事と邪気のないスマイルをいただきました。後ろ暗いことなんてなにもないのになぜか心がチクっとしたよ……。
学校から三十分ほど歩いた距離に件の日本屋敷はあった。
敷地の周囲は高い塀で囲まれているけど、壊れた正門が半開きの状態だったからいくらでも侵入可能だ。
「えっと、ここで特訓するの?」
いかにもな雰囲気の日本屋敷を前にして彩羽が不安げに眉を顰めた。彼女は普段のセーラー服姿だけど、いつもと違うのは背中に竹刀袋を担いでいることだ。中身は竹刀なんか比較にならないほど危ない真剣の破魔刀。怖いから振り回さないでね。
「そうだよ。打ってつけの場所だと思わない?」
昨日下見をした感じだと、変質者とか指名手配犯とかが隠れ住んでることはなかった。でも子供が遊んだっぽい真新しい形跡がそこいらに残っていたから、最近も秘密基地として小学生の間で大流行してるんだろうね。
門をくぐると荒れ果てた日本庭園が視界に飛び込んでくる。底の割れた池、朽ちた並木道、築山や石庭は過去の面影を残さないほど崩れ去った後だ。そしてその先に進めば迷いそうなくらい大きくて立派お屋敷が構えられている。下見の時も思ったけど、全盛期はさぞかし立派なお屋敷だったに違いない。
でも、今はボロい。
どのくらいボロいかと言えば……数百年の歴史を感じてしまうほどだ。
「なるくん、ここって勝手に入っていいの?」
彩羽は身を縮こませて過剰に辺りを警戒している。もしかして怖いのかな? 物置棟は平気なのに。
「どうせ誰も住んでないんだし大丈夫だよ。それより彩羽、除霊術の準備はバッチリ?」
「うん。今日は護符もたくさん持ってきてるし、破魔刀もあるから危なくなったら私がなるくんを守ってあげるね」
間違って僕が斬られないようにだけは細心の注意を払っておこう。
ガタッ。
屋敷の中から、なにかが倒れたような音が聞こえた。
「ひゃっ!? な、なにかいるよ……」
「猫じゃないの?」
既に腰砕けになりかけの彩羽に僕は適当に返した。今の物音はたぶん、いや十中八九この屋敷に前もって潜伏している小和だろうね。
昨晩、二日連続のコンビニ弁当晩餐会の席で(下見してたら遅くなったのです)、僕と小和は具体的な作戦を立案した。
『僕が彩羽をその屋敷に連れて行く。小和はお化け役になって適当に脅かす。彩羽が除霊術を使う。小和はやられたフリをしていなくなる。うん、完璧』
『待て成人。お前は神をやられ役に使うつもりか!』
『よく聞いて、小和。神様はゲームとかだとよくラスボスに割り振られるんだ。ラスボスとは最大で最強の障害。それを乗り越えてこそ明日がある。だからやられ役はやられ役でも、彩羽が霊媒体質を克服するためのラスボスに小和がなってあげるんだよ!』
『お、おおぅ……なんかよくわからんが、悪くない役かもと思えてきた』
『でしょ。僕もできる限りサポートするよ』
『いや、その必要はない。幽霊役ならばわたしに良い考えがある。成人ごと驚かせてくれよう。フフフフフフ』
最初は難色を示していた小和だけど、最後の方では随分と乗り気になったもんだ。
「さあ、彩羽、早速だけどこの屋敷に潜んでいる悪霊を退治しに乗り込もう!」
彩羽を不安にさせないように努めて明るく誘導する友達想いの僕。なんとなく冒険っぽい感じがして段々楽しくなってきたよ。
いざ行かん! と意気込んで玄関の扉を開ける僕だったが――
「……」
彩羽はというと、なんの反応もなくただ黙ってその場に佇んでいた。
「あの、彩羽さん……?」
「キシャーッ!!」
「取り憑かれてる!?」
さっき驚いたのがいけなかったのか。今さらながら彩羽の精神力を計算に入れてなかったことに気づいたよ。あとやっぱりいるんだね、幽霊。
前途多難だこりゃ。
彩羽が正気に戻ってから僕らは屋敷の中に足を踏み入れた。
電気は当然通っていないので薄暗く、懐中電灯で照らしても廊下の終端が全然見えない。まるでどこまでも続く無限回廊だ。どんだけ広いんだよって言いたくなる。
漏れなく破れている障子戸、罅割れたり崩れたりしている土壁、軋む床。さらにあちこち埃っぽくて蜘蛛の巣だらけときた。心なしか空気も冷たいし、肝試しをやるならその辺の墓地よりも断然ここの方が雰囲気出るね。オススメ。
「だ、だだだ大丈夫だよなななるくん。わ、私ががが守ってああげるるからね」
「落ち着こうね彩羽! また取り憑かれちゃうよ!」
僕にしがみつくようにして歩く彩羽は見ていて心配なほどびくびくしていた。顔からは色が失われ、隙間風に煽られる度に「ひうっ」と短い悲鳴を上げている。
彩羽が実はこんなに怖がりだったなんて知らなかった。なんとなく申し訳ない気分になってきたよ。僕が頑張らないと……あっ、それじゃ意味ないのか。
「彩羽、その、無理だったら引き返してもいいんだよ?」
「ううん、せっかくなるくんが私のために考えてくれたことだもん。私、頑張るから」
彩羽は怯えてこそいるが、黒くて大きな瞳は強い意志の光を宿していて、右手に持った破魔刀を何度もぎゅっと握り直している。
本当に一直線で一生懸命なんだよね、彩羽は。
「それに、なるくんとこうしているとなんだか懐かしくて……嫌じゃ、ないから」
「懐かしい?」
彩羽と肝試しなんてした覚えはないんだけど。
「子供の頃、なるくんは私の修行にいつも付き合ってくれたでしょ?」
「あ、ああ、そうだね」
「ヨガのポーズも一緒にしてくれたし」
ごめん、ポーズを取った時のスカートの中身に集中力を削がれてました。
「滝浴びの時も、私が躊躇ってたら先に打たれてくれたよね」
透けた着物を凝視してしまってすみません。
「禅寺で座禅した時、私の代わりにたくさん叩かれてくれた」
煩悩多々の僕をお坊さんが注視してただけなんて口が裂けても言えない。
「なるくんとの修行は楽しかったなぁ」
「まあ、一人だと面白くないもんね。僕にとっても自分の虚弱体質を克服するための修行になったわけだし、彩羽がいてくれてよかったよ」
「ホント? なるくんも楽しかった?」
「うん、それなりに楽しんでたかな」
あの頃の素直な気持ちを吐露すると、彩羽は「えへへ」となぜか照れたように笑った。さっきまでの怯えはどこかに吹き飛んだみたいだ。今なら変な幽霊に取り憑かれることもないだろうね。
「今もね、あの頃みたいで楽しいの。ちょっと怖いけど」
少し弾んだ口調でそう言って微笑む彩羽の周囲だけ、明かりが灯っているように僕には見えた。
直後――ギシッ、と。
廊下の先から、床の軋む音が響いた。
「な、なに? 猫?」
彩羽の表情に怯えが戻る。まずい。彩羽の精神は安定していてもらわないと困るんだ。憑依的な意味で。
「ほら彩羽、落ち着いて除霊術の準備をするんだ。もしも幽霊だったら彩羽だけが頼りなんだからね」
「わ、私だけが……でも、私の除霊術は」
「効くよ。効くって信じるんだ。彩羽に足りないのはその自信なんだよきっと」
彩羽を煽って一時的にでもその気にさせることが僕の役目。お芝居だと知っていても本気にならないといけない場面だ。
「……わかった。やってみるよ。私はできる。私はできる。私はできる」
彩羽は目を閉じて自己暗示した後、胸式呼吸を数度繰り返して精神を安定させる。それからキッと敵が潜む前方を睨み、右手に破魔刀、左手に三枚の護符を構える。
かなり様になってはいるけど、あの日本刀ってけっこうな重さがあったと思うよ。果たして素人の彩羽が片手で振れるのかな?
僕がそんなどうでもいい心配をしていると――ギシッ。ギシッ。
床を踏み締めたような軋み音が段々と近づいてくる。正体はわかってるから不思議じゃないけどさ、幽霊って足ないんじゃないの?
彩羽の生唾を呑む気配が伝わる。なんだろう、僕まで緊張してくるね。
やがて軋み音は止まり、薄闇の中からそいつは現れた。
ベッドのシーツを頭から被っただけの小和様が。
「……」
「……」
うん、ちょっとタイム。
小和様、今時それで幽霊のつもりなんですか? シーツに子供のラクガキの方がまだマシな顔らしき絵が描かれていてある意味怖いけど、等身大のてるてる坊主にさえ見えないよ!
小和様は両手を振ってシーツをゆらゆら動かしている。まさかこれが昨日言っていた『良い考え』なのだろうか。うわぁ、出オチ。
「な、なるくん、私、幽霊見えてるよ! 布のオバケみたいなの! どどどどうしよう!」
はい? もしかしなくても彩羽さん、気づいてないんスか?
「えっと……あっ、僕には見えないよ! てことは本物だ。彩羽、早く除霊術を!」
「う、うん!」
咄嗟に機転を利かした僕を誰か褒め称えてください。
「悪霊、退散!」
気合い一声。投擲された三枚の護符は、当然のようにまっすぐ飛ぶことはなくその辺にへろへろと舞い落ちてしまった。
「うぅ……やっぱり……」
彩羽は涙目だった。しかし――
「ぐわー」
オバケ役の小和がこの上ない棒読みの悲鳴を上げて苦しむ素振りをした。小和様、演技下手だなぁ。
「う、嘘。効いてるの?」
彩羽さん、あなたはどこまで騙されやすいんですか!
「効いてるよ彩羽! 速くトドメだ!」
「わかった!」
調子が出てきたのか、いい返事をした彩羽はチャキリと破魔刀を両手で構えた。
「……えっ?」
流石に焦る僕。
「ちょ、彩羽、それは危ないって」
「毎日素振りしてるから平気だよ。ちゃんと扱えるからなるくんは見てて」
そういうことじゃなくって! そんな切れ味抜群そうな業物でバッサリやっちゃったらいくら相手が神様でも黄泉送りだよ絶対!
「えやぁあああああっ!!」
タン! と床を蹴った彩羽は裂帛の気合いと共に大上段から破魔刀を振り下ろす。対する布オバケの小和は後ろに飛ぼうとしたが、シーツに足を取られてすっ転んでしまった。
「危ないっ!」
血の雨を未来視した僕が駆け出そうとした瞬間――バキッ! 彩羽の大振りは小和から十センチくらい外れた位置の床を砕いていた。やっぱり重くて上手く狙いを定められなかったみたいだ。
ほっとしたのも束の間、彩羽はすぐに第二刀目を振り翳した。僕は即座にジェスチャーで小和に逃げるよう指示。なんとか立ち上がった小和は慌てて逃げようとし――壁にぶつかった。
「ふにゃっ!?」
そんな可愛い悲鳴を上げて、小和は一目散に廊下の奥へと消えて行った。
「逃げた!? 追うよなるくん!」
彩羽のテンションが大変なことになってる! 作戦的には成功なんだろうけど、これはこれでどう収拾をつけたらいいのかわからなくなってきたよ……。
上手な誘い文句を思いつかなかったからストレートに「彩羽、除霊術の特訓をしよう!」と高校生にもなって恥ずかしい台詞で口説いてみたら、「うん、いいよ」の二つ返事と邪気のないスマイルをいただきました。後ろ暗いことなんてなにもないのになぜか心がチクっとしたよ……。
学校から三十分ほど歩いた距離に件の日本屋敷はあった。
敷地の周囲は高い塀で囲まれているけど、壊れた正門が半開きの状態だったからいくらでも侵入可能だ。
「えっと、ここで特訓するの?」
いかにもな雰囲気の日本屋敷を前にして彩羽が不安げに眉を顰めた。彼女は普段のセーラー服姿だけど、いつもと違うのは背中に竹刀袋を担いでいることだ。中身は竹刀なんか比較にならないほど危ない真剣の破魔刀。怖いから振り回さないでね。
「そうだよ。打ってつけの場所だと思わない?」
昨日下見をした感じだと、変質者とか指名手配犯とかが隠れ住んでることはなかった。でも子供が遊んだっぽい真新しい形跡がそこいらに残っていたから、最近も秘密基地として小学生の間で大流行してるんだろうね。
門をくぐると荒れ果てた日本庭園が視界に飛び込んでくる。底の割れた池、朽ちた並木道、築山や石庭は過去の面影を残さないほど崩れ去った後だ。そしてその先に進めば迷いそうなくらい大きくて立派お屋敷が構えられている。下見の時も思ったけど、全盛期はさぞかし立派なお屋敷だったに違いない。
でも、今はボロい。
どのくらいボロいかと言えば……数百年の歴史を感じてしまうほどだ。
「なるくん、ここって勝手に入っていいの?」
彩羽は身を縮こませて過剰に辺りを警戒している。もしかして怖いのかな? 物置棟は平気なのに。
「どうせ誰も住んでないんだし大丈夫だよ。それより彩羽、除霊術の準備はバッチリ?」
「うん。今日は護符もたくさん持ってきてるし、破魔刀もあるから危なくなったら私がなるくんを守ってあげるね」
間違って僕が斬られないようにだけは細心の注意を払っておこう。
ガタッ。
屋敷の中から、なにかが倒れたような音が聞こえた。
「ひゃっ!? な、なにかいるよ……」
「猫じゃないの?」
既に腰砕けになりかけの彩羽に僕は適当に返した。今の物音はたぶん、いや十中八九この屋敷に前もって潜伏している小和だろうね。
昨晩、二日連続のコンビニ弁当晩餐会の席で(下見してたら遅くなったのです)、僕と小和は具体的な作戦を立案した。
『僕が彩羽をその屋敷に連れて行く。小和はお化け役になって適当に脅かす。彩羽が除霊術を使う。小和はやられたフリをしていなくなる。うん、完璧』
『待て成人。お前は神をやられ役に使うつもりか!』
『よく聞いて、小和。神様はゲームとかだとよくラスボスに割り振られるんだ。ラスボスとは最大で最強の障害。それを乗り越えてこそ明日がある。だからやられ役はやられ役でも、彩羽が霊媒体質を克服するためのラスボスに小和がなってあげるんだよ!』
『お、おおぅ……なんかよくわからんが、悪くない役かもと思えてきた』
『でしょ。僕もできる限りサポートするよ』
『いや、その必要はない。幽霊役ならばわたしに良い考えがある。成人ごと驚かせてくれよう。フフフフフフ』
最初は難色を示していた小和だけど、最後の方では随分と乗り気になったもんだ。
「さあ、彩羽、早速だけどこの屋敷に潜んでいる悪霊を退治しに乗り込もう!」
彩羽を不安にさせないように努めて明るく誘導する友達想いの僕。なんとなく冒険っぽい感じがして段々楽しくなってきたよ。
いざ行かん! と意気込んで玄関の扉を開ける僕だったが――
「……」
彩羽はというと、なんの反応もなくただ黙ってその場に佇んでいた。
「あの、彩羽さん……?」
「キシャーッ!!」
「取り憑かれてる!?」
さっき驚いたのがいけなかったのか。今さらながら彩羽の精神力を計算に入れてなかったことに気づいたよ。あとやっぱりいるんだね、幽霊。
前途多難だこりゃ。
彩羽が正気に戻ってから僕らは屋敷の中に足を踏み入れた。
電気は当然通っていないので薄暗く、懐中電灯で照らしても廊下の終端が全然見えない。まるでどこまでも続く無限回廊だ。どんだけ広いんだよって言いたくなる。
漏れなく破れている障子戸、罅割れたり崩れたりしている土壁、軋む床。さらにあちこち埃っぽくて蜘蛛の巣だらけときた。心なしか空気も冷たいし、肝試しをやるならその辺の墓地よりも断然ここの方が雰囲気出るね。オススメ。
「だ、だだだ大丈夫だよなななるくん。わ、私ががが守ってああげるるからね」
「落ち着こうね彩羽! また取り憑かれちゃうよ!」
僕にしがみつくようにして歩く彩羽は見ていて心配なほどびくびくしていた。顔からは色が失われ、隙間風に煽られる度に「ひうっ」と短い悲鳴を上げている。
彩羽が実はこんなに怖がりだったなんて知らなかった。なんとなく申し訳ない気分になってきたよ。僕が頑張らないと……あっ、それじゃ意味ないのか。
「彩羽、その、無理だったら引き返してもいいんだよ?」
「ううん、せっかくなるくんが私のために考えてくれたことだもん。私、頑張るから」
彩羽は怯えてこそいるが、黒くて大きな瞳は強い意志の光を宿していて、右手に持った破魔刀を何度もぎゅっと握り直している。
本当に一直線で一生懸命なんだよね、彩羽は。
「それに、なるくんとこうしているとなんだか懐かしくて……嫌じゃ、ないから」
「懐かしい?」
彩羽と肝試しなんてした覚えはないんだけど。
「子供の頃、なるくんは私の修行にいつも付き合ってくれたでしょ?」
「あ、ああ、そうだね」
「ヨガのポーズも一緒にしてくれたし」
ごめん、ポーズを取った時のスカートの中身に集中力を削がれてました。
「滝浴びの時も、私が躊躇ってたら先に打たれてくれたよね」
透けた着物を凝視してしまってすみません。
「禅寺で座禅した時、私の代わりにたくさん叩かれてくれた」
煩悩多々の僕をお坊さんが注視してただけなんて口が裂けても言えない。
「なるくんとの修行は楽しかったなぁ」
「まあ、一人だと面白くないもんね。僕にとっても自分の虚弱体質を克服するための修行になったわけだし、彩羽がいてくれてよかったよ」
「ホント? なるくんも楽しかった?」
「うん、それなりに楽しんでたかな」
あの頃の素直な気持ちを吐露すると、彩羽は「えへへ」となぜか照れたように笑った。さっきまでの怯えはどこかに吹き飛んだみたいだ。今なら変な幽霊に取り憑かれることもないだろうね。
「今もね、あの頃みたいで楽しいの。ちょっと怖いけど」
少し弾んだ口調でそう言って微笑む彩羽の周囲だけ、明かりが灯っているように僕には見えた。
直後――ギシッ、と。
廊下の先から、床の軋む音が響いた。
「な、なに? 猫?」
彩羽の表情に怯えが戻る。まずい。彩羽の精神は安定していてもらわないと困るんだ。憑依的な意味で。
「ほら彩羽、落ち着いて除霊術の準備をするんだ。もしも幽霊だったら彩羽だけが頼りなんだからね」
「わ、私だけが……でも、私の除霊術は」
「効くよ。効くって信じるんだ。彩羽に足りないのはその自信なんだよきっと」
彩羽を煽って一時的にでもその気にさせることが僕の役目。お芝居だと知っていても本気にならないといけない場面だ。
「……わかった。やってみるよ。私はできる。私はできる。私はできる」
彩羽は目を閉じて自己暗示した後、胸式呼吸を数度繰り返して精神を安定させる。それからキッと敵が潜む前方を睨み、右手に破魔刀、左手に三枚の護符を構える。
かなり様になってはいるけど、あの日本刀ってけっこうな重さがあったと思うよ。果たして素人の彩羽が片手で振れるのかな?
僕がそんなどうでもいい心配をしていると――ギシッ。ギシッ。
床を踏み締めたような軋み音が段々と近づいてくる。正体はわかってるから不思議じゃないけどさ、幽霊って足ないんじゃないの?
彩羽の生唾を呑む気配が伝わる。なんだろう、僕まで緊張してくるね。
やがて軋み音は止まり、薄闇の中からそいつは現れた。
ベッドのシーツを頭から被っただけの小和様が。
「……」
「……」
うん、ちょっとタイム。
小和様、今時それで幽霊のつもりなんですか? シーツに子供のラクガキの方がまだマシな顔らしき絵が描かれていてある意味怖いけど、等身大のてるてる坊主にさえ見えないよ!
小和様は両手を振ってシーツをゆらゆら動かしている。まさかこれが昨日言っていた『良い考え』なのだろうか。うわぁ、出オチ。
「な、なるくん、私、幽霊見えてるよ! 布のオバケみたいなの! どどどどうしよう!」
はい? もしかしなくても彩羽さん、気づいてないんスか?
「えっと……あっ、僕には見えないよ! てことは本物だ。彩羽、早く除霊術を!」
「う、うん!」
咄嗟に機転を利かした僕を誰か褒め称えてください。
「悪霊、退散!」
気合い一声。投擲された三枚の護符は、当然のようにまっすぐ飛ぶことはなくその辺にへろへろと舞い落ちてしまった。
「うぅ……やっぱり……」
彩羽は涙目だった。しかし――
「ぐわー」
オバケ役の小和がこの上ない棒読みの悲鳴を上げて苦しむ素振りをした。小和様、演技下手だなぁ。
「う、嘘。効いてるの?」
彩羽さん、あなたはどこまで騙されやすいんですか!
「効いてるよ彩羽! 速くトドメだ!」
「わかった!」
調子が出てきたのか、いい返事をした彩羽はチャキリと破魔刀を両手で構えた。
「……えっ?」
流石に焦る僕。
「ちょ、彩羽、それは危ないって」
「毎日素振りしてるから平気だよ。ちゃんと扱えるからなるくんは見てて」
そういうことじゃなくって! そんな切れ味抜群そうな業物でバッサリやっちゃったらいくら相手が神様でも黄泉送りだよ絶対!
「えやぁあああああっ!!」
タン! と床を蹴った彩羽は裂帛の気合いと共に大上段から破魔刀を振り下ろす。対する布オバケの小和は後ろに飛ぼうとしたが、シーツに足を取られてすっ転んでしまった。
「危ないっ!」
血の雨を未来視した僕が駆け出そうとした瞬間――バキッ! 彩羽の大振りは小和から十センチくらい外れた位置の床を砕いていた。やっぱり重くて上手く狙いを定められなかったみたいだ。
ほっとしたのも束の間、彩羽はすぐに第二刀目を振り翳した。僕は即座にジェスチャーで小和に逃げるよう指示。なんとか立ち上がった小和は慌てて逃げようとし――壁にぶつかった。
「ふにゃっ!?」
そんな可愛い悲鳴を上げて、小和は一目散に廊下の奥へと消えて行った。
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