許嫁は土地神さま。

夙多史

二章 憑かれに憑かれて(7)

「まったく、酷い目に遭ったよ……」
 放課後になると、帰宅部の僕はまっすぐにある場所へと向かう。そう、ご存知の通り白季神社だ。そのうち参拝部を作ってやろうかと水面下で画策中だったりもする。
「だから悪かったと言っている。謝ったのだからいい加減に許せ」
 隣を歩く小和が尊大に、しかしすまなさそうに言ってくる。彼女とは校門を出たところで合流したんだ。セーラー服はちゃんと返したみたいで、今は例の白装束を纏っている。どこで着替えたんだろうね?
「仕方がなかったのだ。奴らめ、わたしを捕まえて頭を捏ね繰り撫でると言ったのだぞ? なんとも恐ろしい屈辱だ。わたしはとても堪えられそうにない」
「そんな程度で済むの!? だったら小和が捕まればよかったんだ!!」
 扱いが違い過ぎるよ。僕なんてなにも悪くないのに……うっ、筆舌に尽くし難い拷問だった。思い出そうとすると脳内でドクターストップがかかるくらいに。
「わたしの神聖な頭髪が弄ばれるのだぞ! 髪は命だとお前は母に教わらなかったのか?」
 髪の毛は女の命だって話ならよく聞く。母さんから聞いたことはないけどね。やっぱり小和もそんな風に髪とか気にするのかぁ。……神様なだけに。
「今、なぜか無性にお前を引っ叩きたくなった」
「なんでだろうね。不思議だね」
 そうこうしている間に白季神社の入口が見えてきた。付近に民家はなく、田畑ばかりが広がっている。狭い農道や畦道で人とすれ違うことは滅多にないので、小和と歩いている場面を知り合いに目撃されることもなかった。校門前はちょっと危なかったけどね。
 入口に辿り着く。苔生した古い鳥居の先に、見上げても終わりの見えない石段が延々と続いている。千段ってことはどのくらいの距離になるんだろうか。とにかく神社の境内は山奥にあるんだ。度胸のない人はここでUターンしているね。
「なんとなくここまでついて来ちゃったけど、小和は先に家に帰っててもいいんだよ?」
「なぜだ?」
「いやだって、疲れるよ? 下る時とは違うんだよ? ちょっとした登山の覚悟がないと登れないよ?」
「ふん、馬鹿にするな。この上にあるのはわたしの社だぞ。主が自分の家に帰れないなど滑稽ではないか。たかが千の石段で神であるわたしが根を上げるものか!」

 三百段くらいで根を上げました。

「あうぅ、足が重いぃ~。神、疲れた」
「僕は君という存在がそろそろわからなくなってきたよ……」
 よく眠ればよく食べる。キャラメルを与えれば幸せな笑顔を見せる。からかうと怒るし、真面目な話をすると神妙に聞いてくれる。学校に突撃して警備員さんに追い回され、彩羽とは子供レベルの口喧嘩をする。見た目も感情も行動も人間と然程変わらない(一部普通とは言い難いけどね)。
 でも、明らかに人外の現象も引き起こしている。あの急成長を見なければ、僕は小和を神様だとは信じなかっただろうね。
「そもそもだ、成人。白季小和媛命はここにいるというのに、なぜわざわざ参拝に行くのだ? 祈りならわたしが直に聞いてやるぞ」
 小和は石段に腰掛けてだらしなく足を広げ、首だけ捻って僕を見上げた。
「う~ん、なんというか、日課なんだよね。ここを登ってお参りするの。やらないと気持ち悪いし落ち着かないんだ」
 言われてみれば、神様がいないとわかってる神社にお参りするのも変な話だよね。変な話なのかな? 変な話だと思う。
 それでも日課だから簡単にはやめられない。石段を登り下りすることも僕の部活動さ。体力がつくし足腰もけっこう鍛えられる。虚弱体質を脱却できたのもそのおかげ。参拝部は運動部のカテゴリーで申請しよう。
「どうするの? 疲れたのなら先に帰る?」
「嫌だ」
 小和は脹脛をもみもみしながら即答した。
「お前が行くならわたしも行く。人間とて、他人が勝手に屋敷へ上がり込むことを嫌うだろう? それと同じだ」
 我が家の敷居は勝手に跨がせん、ということかな。いない時に僕以外の誰かが来たらどうするつもりなんだろう? まあいいか。たぶん来ないし。
 僕は一つ溜息。
「わかったよ。じゃあちょっと休憩してからにする? それとも僕がおぶって行こうか?」
「おぶってくれ」
 さっと僕に向かって両手を突き出す小和。どうしよう、子供っぽくて可愛い。そんな縋るような瞳(僕ビジョン)をされたら「やっぱりやらない」なんて言えないじゃないか。
 胸を打つ衝動のままに僕は小和を背中に担いで石段を登る。
 で、すぐに後悔した。
「ぜぇーはぁーっ……ぜぇーはぁーっ……し、死ぬ」
 流石の僕も、小っちゃくて軽いと言っても人一人、もとい神一柱担いで約七百段の石段を踏破するのは無茶だった。心臓が張り裂けそうだ。両手両膝を地面につけた絶望のポーズを維持してないとやってらんないね。
「……なにも変わりはないようだな」
 とててて、と小和は御社内に土足で駆け入ってどこか残念そうな口調でそう言った。地面と情熱的に見詰め合いながら息を荒げる僕なんてお構いなし。労いの言葉の一つくらいあってもいいと思うよ。
「昨日の今日でなにか変ってたらビックリだよ」
 だいぶ呼吸が落ち着いたので僕は立ち上がった。神社の景観はいつも通りだ。テニスコート二面ほどの面積内に台風がくれば吹き飛ばされそうな御社が構えられ、風化によってすっかりノッペラボウになった狛犬が二つ目の鳥居の間を睨んでいる。ある物と言えばそれぐらいしか列挙できない殺風景な場所。変わりようがない。
「そんなことはわかっている。だがせめて賽銭くらい増えてほしいと期待してなにが悪い」
 小和は御社の縁側に腰掛けてつまらなさそうに足をブラブラさせていた。なんかブログのアクセス数を気にする人みたいだ。
「むぅ、なんとかならないものか……」
 小和が難しい顔をして物思いに耽り始めたので、僕はその間にお参りを済ませておくことにした。財布から取り出した五円玉を賽銭箱に入れて、二拝二拍一拝っとな。
 まあ実際問題、賽銭が増えないってことは信仰がないことの表れだよね。信仰がなければ小和はいつか消えてしまう。小和が消えてしまったら白季町に未曾有の危機が訪れる。とても看過できない大問題だ。
 うーむ、信仰ってどうすれば集まるんだろう?
 その辺の人に『小和は神様なのです。崇めてください』と言い回っても無駄だろうね。誰も信じない。僕が変な宗教に染まったと思われるのはまだマシで、最悪、ただの変質者になってしまう。
 ……うん? 待てよ。別にそこにいる小和を神様だと認識してもらわなくてもいいんじゃないかな。小和も言っていた。『知らないうちは関係がどうなろうと影響しない』ってね。
 となると問題は小和自身とは別に神様の存在をアピールできるもの――
「「そうか!」」
 天啓というべき妙案を閃いた瞬間、僕と小和の声が重なった。
「成人、今し方信仰を集められる素晴らしい案を思いついたぞ!」
「奇遇だね、僕もだよ」
 オーシャンブルーの瞳を活き活きと輝かせる小和に、僕も自信満々に応答する。すると小和はニヤリと好事家みたいな笑みを浮かべ、
「ほう、どんな方法だ? お前から言ってみろ」
 僕の回答から促した。ふふふ、いいだろう。僕の妙案を聞いて腰抜かすなよ。
「まず、参拝者が来ない最大の理由は『場所』にあると思うんだ。こんな山奥、それも千の石段を登らないといけないからね。お年寄りはもちろん、面倒臭がり屋の現代若人は場所を知ってても登ろうとは思わないよ」
「一理ある。それで、どうするのだ?」
「引っ越せばいいと思うよ」
「できるかぁあっ!?」
 縁側からダイナミックジャンプした小和の両足が僕の顔面を蹴り抜いた。ど、ドロップキックだと? 小和は一体いくつの蹴り技を習得してるんだ?
 地面をワンバウンドして転がる僕。顔が靴型に凹んだように痛い……。
「な、なんでさ? 神様パワーで御社を移動させたりできないの?」
「社の移動は不可能だ。神域はあくまでこの地に在るのだぞ。別の場所に移せたとしても神域の加護は得られない。ちょっとした嵐で壊れてしまう」
「な、なるほど」
 よくわかんないけど、とにかく無理ってことだけはわかった。
「なら小和はどうするつもりなのさ?」
「噂を流す」
 ビッと僕に人差し指を突きつけて小和は自分の案を言葉にした。
「『白季神社で願掛けするとご利益がある』――そのような噂を流し、白季神社の存在を人間たちの記憶に大きく真新しい情報として刻み込むのだ。噂がうまい具合に広まれば千の石段を登ってでも叶えたい願いのある人間がやってくるだろう。その願いをこっそり叶えて回れば――」
「もっと噂が広まって、もっと多くの信仰が集まる……?」
「うむ」
 僕が引き継いだ答えに、小和は鷹揚な頷きを返した。
「こっそり、というところがミソだ。もし願いを叶えている場面を見られでもしたら人間は神の仕業だと思ってくれない。まったくもって不愉快なことにな」
 今度は人間の僕でも理解できたぞ。多くの人間は噂とか流行とかに敏感だからね。白季神社で祈れば願いが叶うと知ると、たとえ眉唾物だと思っていても『試しに』って気持ちでやってくるかもしれない。
 でもそれだけじゃダメだ。僕たちの目的は参拝者を一時的に増やすことじゃないからね。実際に願いを叶えて神様――白季小和媛命に僅かでも感謝の念を抱かせること。そうやって人々に信仰心を芽生えさせて初めて成功になるんだ。まったく誰だろうね、御社を引っ越しさせるだけで全部解決すると勘違いしていた馬鹿は。……僕か。
 それにしても小和は凄いね。傍目には無償でみんなの願いを叶えるって言ってるんだ。それがどれだけ大変なことなのか、凡人の僕では想像もできないよ。
 なんとかの玉を七つ揃えるでもなく、たかが千の石段を登るだけで願いが叶う。そりゃあたくさん人が集まるってもん……あれ?
 重大な問題点に、僕は気づいちゃったぞ。
「小和はここでお願いしたみんなの願いを叶えるつもりなんだよね?」
「そうだ」
「じゃあ、例えば『脱ぎ立てほかほかのギャルのパンティーおくれ』って願ったら叶うの?」
「成人、この社の裏手に墓穴にするには丁度いい穴が開いているんだが」
「埋めないで!?」
 さらりと殺人的な台詞を呟く小和の視線は、エベレストの山頂のごとく真っ白だった。
「違うよ! 『僕が』じゃないよ! 誰かがそう願ったらどうするのさ!」
「うっ、それは、その……」
 小和は眉をハの字にしてたじろいだ。今まで僕以外に参拝者がいなかったから、人々の『願い』の種類や方向性まで考慮できなかったみたいだ。
 回答に窮した小さな神様は、視線を横に反らし、頬をほんのりと赤らめ、
「わ、わたしが履いているのを、やる……とか?」
 白装束の前身頃を両手で掴んで持ち上げた。元々が丈の短いスカートみたいになっているだけに、たくし上げられたそこからおみ足が! おみ足がほとんど露わになってるよ! パンティーはギリギリ見えない生殺し的絶妙なバランス。恥じらう姿がなんというかエロい! くはっ! なぜだ、なぜ僕は今ビデオカメラを回していないんだ!
「――とでも言うと思ったかっ!」
 ゴン!
 小和の必殺技・フライング踵落としが石化したように見惚れて動けなかった僕の脳天に炸裂した。仰向けに倒れながら僕は思う。実は避けようと思えばできました。だけどその技は『布の中の布』が拝めるのです。痛みと引き換えに、枦川成人くんは一瞬の夢を見ることができたのでした。めでたしめでたし。
「な、なぜ蹴られたのに満たされた顔をするのだ? 気持ち悪いからもう一発だ!」
「おぐふっ!?」
 ああ、美少女に足蹴にされるってなんかゾクゾクするよね。まさか僕がこれほどのマゾヒストだったなんて……驚愕の真実だよ。世界が動くね。
「それはそれとして、僕が言いたいのはそういう欲望に塗れた願いとか、世界征服みたいに叶っちゃまずい願いとかも叶えられるのかってことだよ」
「なんでケロリと立ち上がれるのだ!?」
「これでも鍛えてるからね」
 まるでゾンビにでも出会ったように小和は戦慄している。失敬だな。僕は虚弱体質を直すために一生懸命努力したんだ。あの程度でくたばることはないよ。昨日の顔面減り込みパンチで気絶したのは、超常現象を目の当たりにした直後で動揺していたからだと思う。
 おっと、話が脱線しそうだ。
「で、小和はなんでもかんでも叶えるつもりなの?」
「……いや、なんでもは無理だ」
 小和は神妙な顔つきになって言の葉を紡ぐ。
「土地神にできることには限りがある。特に今のわたしは神気が弱いからな。あまり人間離れした事象は起こせない。世界征服だったか? そういった一個人ではどうにもならない願いは叶えられないのだ。あと変態的願望は全部却下だ」
 できることには限りがある、か。よく考えれば当たり前だ。小和は全知全能で万能な神様じゃないんだ。それぞれの神社でご利益が違うように、小和にも司っているものがある……と思う。確かお隣の緋泉市にある神社は『必勝』『厄除け』『恋愛』の神様だったかな。『厄除け』ってことで彩羽が足繁く通っていた時期もあったなぁ。
「じゃあ逆に、小和ができることってなんなの?」
「この人間の体で可能なこと以外だと、白季町内の探知くらいだな」
「……探し物の願いが多く集まるといいね」
 なんのご利益もない神様だった。
「なんだその残念そうな顔は! わたしだって神気さえ戻ってくればできることの幅は増えるのだぞ!」
「例えば?」
「例えば……えっと、しゅ、〈縮地〉が使えるようになるとか」
「〈縮地〉って?」
「どこにでも自由に瞬間的に移動できる術のことだ。白季町内限定だがな」
 凄いんだけど微妙だった。ゲームで例えるなら今の小和はレベル1なんだろうな。経験値いっぱい稼がないとね。
「とにかく、成人にも手伝ってもらうぞ。許嫁なのだからな」
「うん、なんとなくそうなる気はしてたよ」
 改めて確認しなくても、僕は人々の信仰を集める手伝いはするつもりなんだ。お昼休みに決断した気持ちは変わってないよ。今は亡きおじいちゃんも言っていた。『男が一度本気で決めたことはオナゴのメシを食わされようとも変えてはならん』ってね。
「――むっ?」
 その時、ピクッとなにかに反応した小和が鳥居の、石段の方に視線をやった。
「どうしたの?」
「喜べ成人。早速一人目の客だ。来い」
 言うや否や、小和は僕の手を引いて御社の中に隠れた。御社内は盆祭りで使えそうな大太鼓と小さな祭壇があるだけで、他はなにもない。どうでもいいけど、埃が雪のように積もっていて靴を履いてなかったら靴下が真っ黒になるところだった。
 僕と小和はこっそり戸を開いて表の様子を窺う。
「客って、まだ噂すら流してないのに?」
「(しーっ。黙っていろ。来るぞ)」
 人差し指を口の前で立てる小和に倣い、僕も息を顰めて参拝者が登ってくるのを待つ。
 石段を登る靴音と疲労による荒い息遣いが段々と大きく聞こえてくる。
 そして、お客様はやっとの思いといった感じで境内に姿を現した。
「(えっ?)」
 僕は小さく驚きの声を発した。
 参拝者は、興栄高校の制服を着た、長く綺麗な黒髪を揺らす僕のよく知る少女――
「(彩羽?)」
 だったのだ。

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