許嫁は土地神さま。

夙多史

二章 憑かれに憑かれて(1)

 ピンポーン、という間の抜けたチャイムで目が覚めた。
 ベッドの脇に置いてある目覚まし時計を見ると、朝の七時だ。
 いつもより三十分も寝坊している。学校には余裕で間に合うけど、毎朝楽しみにしてるおめざTVの『昨日のにゃんこ』コーナーが終わっちゃってるじゃないか。僕の癒し! なんで起こしてくれなかったのさ母さん!
「……あっ、そうか。父さんも母さんも、もう遠くに行っちゃったんだった」
 朝五時に出発とか言ってたっけ。せめて挨拶くらいはしておきたかったな。とりあえず毎日仏壇と白季神社で無事を祈っておけば大丈夫だよね。
 なぜ僕はついて行こうとしなかったのかだって? 至って普通の理由さ。僕は故郷を離れたくないんだ。国内ならともかく海外だと尚更ね。英語の成績は関係ないよ。
 ウサギにツノと書いて兎に角、次からちゃんと目覚ましセットする癖をつけないとなぁ。
 そう思いつつ身を起こそうとして――僕は見事に凍りついた。

 すぐそこで、ていうか同じベッドで、白銀の髪をした美少女が眠ってたんだ。

 誰だっけこの娘?
 なんてボケてる場合じゃないよね。白季小和媛命、僕の妹――じゃなくて許婚でしょ。知ってる知ってる…………なんで僕のベッドで寝てるの!?
 確か小和には隣にある母さんの部屋が宛がわれたはずだ。もしかして寝惚けて僕の部屋に入ってきたとか? えっ? なにこの状況? これなんてラブコメ?
「すぅー すぅー すぅー」
 混乱し狼狽する僕のことなど露知らず、小和は安らかな寝息を立てている。吐息を漏らす度に発展途上のお胸様が申し訳程度に上下してるね。これはこれでそそるものがあるよ。
 小和が着ている服はフリル過多なピンクのネグリジェだ。彼女の衣類はどこに仕舞っていたのか母さんが下着から上着まで何種類も用意したのだ。ところでそのネグリジェ含め、どれもこれも昔無理やり着せられた苦い記憶があるんですよ。あれ、なぜか涙が……。
「んぅっ」
 身動ぎする小和。サイズが少し大きいのか、ネグリジェがずれて一方の肩が剥き出しになった。な、なんかエロい。
 ドキドキドキドキ。
 おかしいな、心臓の鼓動がピッチを上げてるよ。とりあえず落ち着いて深呼吸をしよう。すーはーすーはー。
 よし、まずは現状の確認が大事だと思うんだ。朝起きたら隣に女の子が寝ていて、この家には僕たちしかいない。
「……(ごくり)」
 ごくり、じゃないよ僕なに考えてるのさいくら許婚だとしても相手は神様だし眠ってる女の子にイタズラするなんて非道なマネをこの真面目紳士くんにできるはずなぁああああああああ手が勝手にッ!?
 ぷにっ。
 小和の瑞々しい果実のようなほっぺに、僕の指がぎゅうっと食い込んだ。柔らかくて温かい、押し返すでなく絡め取るようなもちもちの触感。か、快感だぁ。癖になりそう。
 この世の楽園に辿り着けたような至福の時をしばらく堪能していると――コンコン。部屋のドアが控え目にノックされた。
「――ッ!?」
 驚きに肩が跳ねる。な、なに奴? 親はボスニア・ヘルツェゴビナに行っていないはずだ。泥棒か? ノックする泥棒か? だとすればそいつはただのアホだ。
 いや待てよ。そういえば、インターホンの音が鳴ったような気がする。
「なるくん、彩羽だけど、起きてる? あ、勝手に上がっちゃってごめんね。その、なるくんのお母さんから家の鍵、預かってたから」
 ドア越しに聞こえてきた少女の声は、どこかのんびりしているも鈴を転がしたように綺麗で透き通っていた。
 ドアの向こうの存在は、お向かいに住んでいる僕の幼馴染の名を語っている。果たして本物か? 幼馴染の女の子が起こしにくる、なんてシチュエーションはノンフィクションの世界だけの特徴だ。実際、昨日までは母さんに文字通り叩き起こされてたからね。
 ていうかそもそも今の僕の状況がとても現実的じゃないんだよ。人外の美少女が現れて許嫁と言い出すわ、いると都合が悪いかのように親が海外転勤するわ、こんな見られちゃ百パーセント勘違いするだろうタイミングで計ったように別の女の子が現れ……
 ……今、見られちゃやばいよね?
「なるくんの返事がない。まだ寝てるようだ。こ、こういう場合はどうすればいいのかな? えっと……こっそり忍び込んで、そ、添い寝、とか?」
 えっ? なに二重の意味でドッキリな作戦を画策してらっしゃるんですか? どこかでカメラとか回ってたりしないよね? 父さんの転勤が僕を騙すための方便だとすれば……ありえる!
「なるくんのお部屋……ごくり。お、おじゃましまぁーす」
 物静かに、決して寝ている相手には聞こえないだろう音量で断りを入れ、そいつはゆっくりとドアを開いていく。邪魔するなら帰ってぇーっ!
「あ、あれ? なるくん、起きてる……?」
 恐る恐るな調子で入室してきた少女は僕と目が合い、きょとんと小首を傾げた。
 ストレートに長く伸ばした艶やかな黒髪。綺麗に整えられた睫毛。やや垂れ気味の目に黒真珠のようなクリッとした瞳。人形のごとく端整な相貌は、老若男女の誰が見ようとも美人だと評するだろう。
 しかし、特筆すべきはそこではない。高校の制服であるセーラー服を窮屈そうに押し上げる豊満で形のよいお胸様だ。世の男性ならばたとえ貧乳好きでも目が行ってしまうに違いない。幼い頃から成長過程を観察してきた僕ですらその誘惑に勝てないんだ。
 飯綱彩羽いずないろは。お淑やかで成績優秀、写真を撮れば美術館に飾れそうなほど端麗な容姿を持つ彼女だけど、困ったことにとある欠点のせいで『残念美人』と言われてるんだよね。
「あはは、おはよう、彩羽」
 自分でも引き攣ってるとわかる笑顔で挨拶しつつ、僕は咄嗟に布団で隠した小和を確認する。大丈夫、彩羽の位置からだとわからないはずだ。小和がちっちゃくてよかったよ。
 彩羽は慌てて「お、おはようございます!」とメイドさんのように低頭すると、柳眉を寄せ、少し頬を紅潮させた困り顔で僕を見る。
「なるくん、さっきの、聞こえてた?」
「ドッキリなら失敗だよ」
 キリッと余裕ある表情を作って僕は即答した。実はノックされた時点で心配停止のご冥福になりそうな勢いだったのは内緒。
「よかった。聞かれてないみたい」
 なぜそこでほっとしておっきな胸を撫で下ろしているのかがよくわからない。でもたゆんと揺れたから眼福眼福。
「ところで朝っぱらから部屋まで上がり込んでくるなんて、僕になにか用事でもあるの?」
 早く立ち去ってもらうためにはさっさと用件を聞くに限る。
「あ、えっとね、なるくんのご両親が海外に行っちゃったでしょ?」
「うん、そうみたいだね」
「だから、私が朝ごはん作って来たの。一緒に食べようと思って」
「なんですと!?」
 俯き加減で身をくねらせながらの彩羽の発言に、僕は戦慄した。
 ご存知の通り、枦川家は呪い的に女性のクッキングスキルが皆無だ。特に母さんはマイナス方向に振り切れてると言っても過言ではない。たかが味噌汁でゴウ・トゥ・ヘブンしかけるレベルだからね。
 彩羽は枦川一族じゃないけど、なにを血迷ったのかそんな母さんに料理を習ってしまったんだ。
 枦川一族最強の必殺料理人の一番弟子。加えて本人は母さんのゲテモノ料理を笑顔で「美味しい」と言える味音痴であらせられるから始末に終えない。今は亡きおじいちゃん曰く、『この娘、嫁にすれば一族の末代が決まるじゃろう……げふっ』だそうだ。その日からおじいちゃんが夢遊病患者よろしく深夜徘徊するようになったのにはなにかしら因果関係があるんじゃないかと僕は睨んでいる。
「もしかしてなるくん、私と一緒にごはん食べるの、嫌?」
 滝汗を掻いて黙り込む僕を不審に思ったのか、彩羽が潤んだ瞳で上目遣いに問いかけてきた。ぐっ、半端ない威力だ。危うく心臓を貫かれるところだった。この攻撃を天然でやっちゃう娘だから、家族同然に育ってきた者として心配だよ。
「そんなことないよ。すぐ支度するからリビングで待ってて」
 断れるはずもなくそう言うと、彩羽はぱあぁとブライトスマイルになった。一時的にでも彩羽が退室すれば策を打てる。小和を起こして許可するまで部屋に待機してもらうんだ。そうすれば万事解け――

「あーもう! うるさいうるさいうるさぁーい! 神の眠りを邪魔する者は祟るぞ!」

 バサッ! と布団を跳ね除け、不機嫌の沸点に到達した小和様が勢いよく立ち上がった。ふさぁと揺れる銀髪、ベッドから落ちる布団が、僕にはスローモーションに見えた。
「……っ」
 彩羽の目がみるみる丸くなっていく。その反応からして、やっぱり誰も彩羽に小和のことを伝えてなかったみたいだね。昨夜の今朝でそんな暇なかったし。
 小和は仏頂面で同じベッドにいる僕とドアの前に立つ彩羽を交互に睨み、状況がわからないといった風に小首を傾けた。それから顎に手をやってなにやらを思案し――顔を憤怒の色に染めて僕の胸倉を掴んだ。
「な、なな、なんでわたしの寝所に変態星人がいるんだ!」
「ここは僕の寝所だよ! そっちが勝手に忍び込んできたんじゃないか! あっ、まさか夜這い目的だったとか?」
「違うわボケェ!」
 胸倉を掴んだ手を激しく前後に動かす小和。頭がガクガク揺さ振られて目が回りそうだ。
「――ってそうだ彩羽!」
 僕は乱暴する小和を引き離して石化したように動かない彩羽を向く。彩羽は光を失った瞳で虚空を見詰めていた。小和が「なんだこいつは? ん? どっかで見たか?」と怪訝にしてるけど優先度は低いのでスルーする。
「あのう、彩羽さん……?」
 声をかけたけど反応がない。すっかりオブジェと化してるよ。それほど衝撃的だったのだろうか? 衝撃的だろうね。
 十秒ほどして、ようやく彩羽が動いた。手をスカートのポケットに入れ、そこから携帯電話を取り出してどこかに電話する。プッシュ音は三回だ。
「――あ、もしもし。はい、事件です。私の目の前に泥棒猫が一匹」
「どこにかけてんの彩羽!?」
 おめでとう、枦川成人は瞬間移動を覚えた。そんなナレーションが流れそうな挙動でベッドから飛び出し、彩羽から携帯を奪取する。とそこで急激に既視感が込み上げてきた。そうか、どうせこれも時報とか天気予報の類なんだろうね。彩羽は僕の母さんの影響をもろに受けてるから。
『――もしもし? 事件ですか? 今、泥棒と聞こえましたが大丈夫ですか?』
 本物まじもんだった。
「すすすすみません間違いですっ!!」
 僕は即座に通話を切った。なんか電話の向こうが物凄く慌しかったんだけど大丈夫だよね。十分後くらいに家の前にパトカーが止まったりしないよね?
 最悪のシナリオが頭の中を駆け巡っていると、小和が彩羽と対峙するように前に出た。
「成人、なんだこの乳デカ女は?」
「なるくん、これはどういうこと?」
 許婚と幼馴染の挟撃に僕はたじろぐことしかできない。なんで二人ともそんなに敵意剥き出しなんですか? これが噂に聞く『修羅場』ってやつ? あはは、ヨクワカンナイヤ。
「彩羽、この娘はその、なんと言うか……そうそう、実は生き別れの妹なんだ」
「誰が妹だ!」
「小和ってば照れちゃって可愛いなぁ。『おにいちゃん』って呼んでもいいんだよ?」
「呼ぶかボケェ!」
 ピョン! ウサギみたいに高く飛び上がった小和が空中で華麗に前転し、その小さな踵で僕の脳天を撃墜した。一瞬見えた白と水色の縞々模様を脳内フィルムに焼きつけながら、僕は床に大の字で倒れる。
「わたしはお前の許婚だろう!」
 地を這う愚かなる虫ケラを見下すように小和が僕を指差した。お願いします神様、もう少しだけでいいんで空気を読んでください。
「い、許嫁? 嘘……そんな……」
 彩羽が幽鬼のようにフラリとした動作で踵を返す。
「ごめんね、なるくん。ちょっと忘れ物しちゃった」
「え? 忘れ物?」
「うん。この前、通販で買った破魔刀を」
「どうする気!?」
 反射的に飛び起きた僕は彩羽の肩を掴んで引き留めた。一度見せてもらったことがあるけどアレ本物だったよ。破魔の力があるかどうかは胡散臭いけど、摸造刀なんかじゃなく歴とした真剣。家の外に持ち出せば間違いなくこんにちはポリスマン。
「落ち着こう、彩羽。ちょっと錯乱して頭が変になってるだけだよ。きちんと腰を据えて話を聞けば『なんだそんなことかはっはっは』って笑い合えるから、ね?」
「う、うん……なるくんがそう言うなら」
 彩羽は大きく息を吸って吐いて僕と向き合う。よかった、少し落ち着いたみたいだ。
「なんだもなにも、わたしが許嫁だということに変わりはないぞ、成人」
 余計なことを言わないでほしいよ、小和様……。
「それよりさっきからお前はなんなのだ? ここはわたしたちの屋敷だぞ。祟られたくなければ部外者は立ち去れ」
「わ、私はなるくんの幼馴染よ。あなたこそなんなの? いきなりなるくんのい、許嫁だなんて」
 睨み上げる小和と睨み下げる彩羽。二人の間で視線がぶつかり、激しく火花が散る様を僕は幻視した。触れたら火傷じゃ済みそうにない。双方から闘争の熱を孕んだ圧力を受け、僕はもう下がって見守ることしかできなかった。
「ふん、幼馴染か。だったら許嫁の勝ちだな」
「そんなことないもん! 私の方がなるくんと一緒にいた時間は長いんだから」
 一体なんの勝負なんだろうね。プライドVS家族愛ってところかな。
「わたしは成人と、せ、せ、接吻まで交わした仲だ」
「はうっ!? せ、せせせ接吻!?」
 いやアレは事故だから、と言える雰囲気じゃなかった。カクン、と表情が見えないくらい項垂れた彩羽がプルプルと小刻みに震え始めたんだ。
 怒ったから? 違う。寒いから? もちろん違う。
 ――まずい。
 僕は知っている。いや僕だけじゃない。『飯綱彩羽』という女の子を知る者なら即座にこれがなんの予兆なのか理解できる。
「ど、どうしたのだ? 泣いたのか? わたしが、泣かせてしまったのか……?」
 彩羽の異変に気づいた小和も、どうしたらいいのかわからずオロオロしている。
「キョ」
「ふぇ?」
「キョホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホゥッ!!」
「ふひゃあああぁあぁあああぁああぁぁあぁぁぁぁあああっ!?」
 突然、白目を剥いた彩羽が奇声を上げて小和に飛びかかった。盛大に絶叫した小和はなんとか彩羽の飛びかかりを回避すると、タタタタッと猛ダッシュで僕の背中に隠れる。
「ああ、またか」
 至って冷静に僕は溜息を吐く。正気を失ったと思われる彩羽は、スカートなのも気にせず部屋中をカエルのようにピョンピョン跳ね回っていた。
 これだよ。
 これが、彩羽が『残念美人』と言われてる最大の所以さ。
「ど、どうなってるんだ成人! こわッ! あいつこわッ!」
 彩羽の名誉のためにも、僕の背中で怯えてる小さな神様に教えておかないといけないね。
「簡単に言うと、アレは彩羽に幽霊が取り憑いたんだ」
「幽霊だと?」
「うん、彩羽は天性の霊媒体質だからね」
 飯綱家は先祖代々霊媒師の家系なんだ。特に彩羽のお母さんは有名で、いつも全国からお呼びの声がかかっている。彩羽は自分の体質をうまくコントロールできないから、突然憑かれてはおかしな行動を起こすんだ。おかげでみんな気味悪がって近づこうとしない。
「だ、大丈夫なのか?」
「うん、たぶん大丈夫だよ。彩羽は憑かれ易いけど抜け易いから。ほら」
 両手を床につけた蟹股姿勢の彩羽の瞳に光が戻る。
「あ、あれ? 私……もしかして、また……?」
 慌てて起立した彩羽は、僕を見てじわっと目尻を滲ませた。
「心配しなくてもいいよ、彩羽。被害はゼロだから」
「また、なるくんに見られ…………うぐっ、ふわぁあああああああああん!?」
「彩羽!?」
 今度は止める間もなく彩羽は走り去ってしまった。玄関の扉の閉まる音が聞こえたから外に出てしまったみたいだ。
「携帯、返しそびれたよ……」
 予想だにしなかった突発的な彩羽の行動に、僕はそんな暢気な感想しか呟けなかった。

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