今宵、真紅の口づけを

4

 普段は無造作でも括られている栗色の髪の毛を下ろしているエルネスティが、目を見開き目の前にいる少女を見つめている。深夜。誰もが眠っているだろう時間に現れたエレオノーラを一瞬幻覚かとも思ったが、どうにもあり過ぎる現実感に一気に血の気が引いた。
 この時間にここにいる、そして何よりもその瞳。今まで見たこともないほどに妖しく輝く真紅の瞳は、どうしても過去の記憶に結びつく。今でも鮮明に覚えているその赤い瞳と同じ輝き方をしているエレオノーラの瞳を、エルネスティはじっと見返した。
 少女は何も考えられなくなっていた。身体の中から湧き上がっている本能も何も影を潜めるほどに、ただ目の前の少年の視線に動けなかった。震えてしまう身体をなんとか立たせているだけで必死だった。涙で視覚的にははっきりと見えない少年の、全身で感じる視線は刃物のようにエレオノーラを傷つける。でも、その瞳に自分を映してくれているのがどこかで嬉しいとも感じている。やはりどれだけ自分の中に忌まわしき姿があっても、少年を思う気持ちは消えない。
 身動きも出来ないまま見つめ合っていたのだが、ふとエルネスティがベッドから降りようとした。僅かに軋んだ音を聞いて、エレオノーラは自分の意思に反して叫んでいた。
「来ないでッ」
「……エレオノーラ?」
「ごめんなさい……出て、行くから……だから、そのまま、そこにいて……お願い」
 今エルネスティに動かれたら、正直自分は何をするのか分からなかった。表層に出てきているのはエルネスティを想う本当の自分。でもすぐそこに、血を欲しがる自分がいる。一瞬でそれに飲み込まれそうなほど危うい感覚の少女はそれを怖がり少年に動くなと訴えた。
 しかしエルネスティはそのままベッドを降りた。そしてゆっくりとエレオノーラに近づく。
「だめ、来ないで。お願いだから……」
 エルネスティが一歩近づけば、エレオノーラは一歩下がる。そんなことを繰り返して、さして大きくない部屋の壁に、少女は背中を押し付けてしまっていた。
「俺なら、いい」
 もう下がれないエレオノーラの目の前まで来た少年が、静かにそんなことを言った。その声は穏やかで優しい。
「な……に?」
 聞いた言葉が信じられなくて、真紅の瞳を見開いたエレオノーラはじっと最愛の少年の顔を見上げた。
「俺ならかまわないって言ったんだ」
「かまわない?……なんでそんなことを言うの?なんで……?」
 僅かに首をふりながら言葉を零した少女の目からまた大粒の涙が溢れた。それを見た少年は視線を伏せる。
 エレオノーラに明らかな変化があったことは少年には分かっていた。必死に隠そうとしていたエレオノーラではあったが、エルネスティにはなぜか分かってしまった。小さな仕草や眼差しで、纏う雰囲気で、もう今までのエレオノーラではないと直感的に感じていた。
 とうとう来た。
 そう思ったのはやはり少年も同じだった。透き通る水のような青い瞳から真紅の瞳に変わり、そして求めるものがある。エルネスティの中に流れるものと同じ赤い血。エレオノーラが自分を含めて誰か人間の命を襲う日は近い。そう感じたエルネスティは悩んだ。どうすれば少女を止められるのか。何日も眠れないくらい悩んだが、吸血族でさえそんなことは分からないのだから、少年に分かるはずもなかった。
 それならば。
 エルネスティは思う。それならば、自分もアーツのようになっても良いのではないか。幸いエルネスティに家族も身よりもない。幼くして母親を亡くした自分を育ててくれたのは年の離れた姉だった。その姉もいなくなり、一人になってしまったエルネスティを、アーツの家族を含む周りの人間が助けてくれた。優しく穏やかな人間関係を持っていたエルネスティは、この町の人たちに育まれて大きくなってきた。
 少女が人間を襲うのは一回ではないだろう。でも自分がその中に入れば、一人減らす事ができる。
 ならば、かまわない。
 エルネスティはそう決断した。死ねば母と姉に会えるのだろうか。と、そんなことも思ってみたりした。
「欲しいなら、俺から奪え」
 はっきりと言いきった少年の目はまっすぐで、澄んだ色をしている。純粋にエレオノーラを想っている綺麗な瞳を向けられて、少女は息を飲んだ。
 この人は本気だ。本気で私に殺されても良いと思っている。
 それを理解した途端、総毛立った。少女とまるで逆のことを思っている少年を見つめている真紅の瞳は、激しく混乱した。
「守るって……」
「ん?」
「守るって、言ってくれてたのに、なんでそんなことを言うの?」
「守りたい気持ちは変わってない」
「じゃあ、なんで……」
「それなら方法を教えてくれ」
 やけに低い声で、エルネスティはエレオノーラの言葉を遮った。その顔には苦悶がありありと見える。一瞬泣きそうな顔も見せて、少年は俯き、昂ぶる感情を抑えるように息を吐いた。
「俺には分からなかった。どれだけ考えても良い方法なんて思いつかなかった。それなら、おまえが望むこの血を奪ってくれても良いと思ったんだ」
「そんな……ひどいよ……私にエルネスティを殺せって言うの?自分の好きな人を殺せって言うのッ!?」
 エレオノーラの叫ぶような声が部屋の中に響いた。それ以上何も言えなくなった少女は顔を白い手で覆い、その場に蹲ってしまった。
 細い肩を震わせて泣く少女を見て、少年の心も張り裂けそうなくらい痛む。泣きじゃくっているエレオノーラを抱き締めたい。無意識にそう思って、少年は一歩近づき跪いた。震える手で、エレオノーラの金色の髪をそっと撫でてみる。滑らかな質感は、会えば笑ってくれていた少女と同じ。愛らしい笑顔の持ち主であると安心できる。
 こんなに泣かせるつもりはなかったのに。
 そう、少年は心の中で呟いた。守ると言った。守りたいとも思っている。でもその方法が分からないのでは、何もしようがなかった。
 自分が情けなくて、渇いた笑いが零れた。
「ごめん……約束破って」
 小さく零れた言葉があまりにも情けなくて、エルネスティは涙を堪える事ができなかった。髪を撫でている方とは反対の手で、震える口元を覆い隠して漏れる嗚咽を堪えた。それでもどうしても声が喉から零れる。
 少年の泣く声に、エレオノーラは顔を上げた。俯いてしまっているので、エルネスティの顔を見ることはできないが、その肩が震えている。背の高い少年が身体を小さくして泣いている姿にエレオノーラは、そっと腕を伸ばした。
 まっすぐで癖のないエルネスティの髪を細い指で梳く。初めて見た下ろしている髪すらも愛しい。そしてやはり、この人を守りたいと思う。私にはこの人を殺す事なんてできないと。
 エレオノーラも無意識に少年を抱き締めたいと思い、上半身を近づける。そのとき、また鼻を掠めたのは甘い香り。たまらなく神経を刺激する甘い香りに、視線はそれこそ無意識に移る。少年の首に。
 だめッ!
 エレオノーラは目を逸らして立ち上がり、気がつくとその場から逃げるように部屋を飛び出していた。
「エレオノーラッ」
 エルネスティの呼ぶ声にも振り返らず、階段を走り降りて勢い良くドアを開けて。静かな街の中に溶け込んでいった。

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