今宵、真紅の口づけを

1

 三週間ほどが過ぎた。
 ますます寒くなってきた大陸の奥まったこの国に、ちらちらと雪が舞い落ちる。白くて儚いその結晶に、空を見上げてエレオノーラは白い息を吐いた。
「さむ……」
 質の良い白いロングコートに黒いマフラーと手袋。どれも父と母からの贈り物。白い肌に冬の風に踊る煌く金色の髪。長い睫毛の下で妖艶に輝く真紅の瞳を持つ少女は、いつもの場所で待っていた。大好きな少年を。
 あれから時間は少しだけではあるが経ち、エレオノーラとエルネスティは、数日おきに会っている。まだどこかぎこちない雰囲気もあるのだが、それでも互いが求め合う気持ちのままに時間を分け合っていた。
 ヴェルナも双子達も、フェリクスにリクも、あの日のことを誰にも言わなかった。エレオノーラが人間の少年に恋をしているなど、両親が知ればきっと嘆き悲しむだろう。ある程度覚悟していたエレオノーラは、どういったわけで皆が何も言わないのかは分からないが、まだ変化のない自分の体と状況に感謝した。
「エレオノーラ」
 空ばかり見上げて雪を見ていた少女に、背後から声がかかる。自分の中に染み込んでくるその声に振り返ったエレオノーラが、愛らしい笑顔を見せた。
「こんにちは」
 真紅の瞳を幸せそうに細めて笑う少女に、声をかけたエルネスティも思わずふんわりと微笑んだ。栗色の瞳を穏やかに笑ませた少年の笑顔は、いつも無愛想に見えるくらいに表情のない顔を一変させる。
 飾り気のない、ただ穏やかな滲むような笑顔が、エレオノーラにとっては何よりも愛しくて宝物だった。しみじみとその笑顔を見て、少女は自分の中にある少年への気持ちを感じる。
「いつまでも笑ってんなよ」
 ニコニコと自分を見つめてくる少女に、どことなく恥ずかしくなったエルネスティは、少し顔を赤らめて視線を空に流した。薄く雲の張った空から舞い散る白い軽やかな雪を見て、ふるっと身震いして肩をすくめた。濃紺の膝丈のコートを着ているが、手袋もマフラーもしていない少年はとても寒そうに見える。エレオノーラは自分のマフラーを解いて、背の高い少年の首にふわりとかけた。
「何だ?」
 きょとんとしたエルネスティが、自分の首にマフラーを巻きつけようと背伸びをしているエレオノーラを見下ろした。
「すごく寒そうだから」
「……おまえが寒くなるだろ」
「私は大丈夫。たくさん着てるもの」
 見上げてにっこりと笑う少女にエルネスティは何度か断ったが、頑固なほどに拒否されて仕方なくマフラーを借りる事にした。柔らな手触りのそのマフラーに、少しだけエレオノーラからいつも香る花の匂いがする。それに心底癒されている自分を発見して、思わずといった様子で小さく笑った。
「……何?」
 今度はエレオノーラがきょとんとした。真紅の瞳で、笑うエルネスティを見上げて首をかしげている。その様子が、少年にはたまらないくらいに可愛く見える。白い頬を寒さで赤くして長い睫毛の下にある真紅の、本来ならばエルネスティが忌み嫌うその色でさえ、エレオノーラのものだと思うと愛しくて仕方がない。
 寒いなか、魔族側の森にまでわざわざ足を運ぶことを辛いとも面倒だとも思わない。それどころか、ここに来るまでの道が楽しくて楽しくて寒さなど気にもならないのが、自分でもおかしくてたまらなかった。
「どうして笑ってるの?」
 クスクスと笑いの治まらない少年を見ていたエレオノーラの顔が困惑したようになる。それにエルネスティはやっと笑いを治めて、そっとエレオノーラを抱き寄せた。
「……え?」
 不意にエルネスティの腕の中に引き込まれたエレオノーラが、目を丸くして自分より上にある少年の顔を見上げる。栗色の艶やかな髪の毛に雪がはらはらと舞い落ちる様子が、強い陽射しもないのにとても眩しく見えた。
 その雪の中に、優しさを湛えた瞳がある。自分だけに向けられるその穏やかで優しい眼差しに、少女の鼓動は早鐘のように甘く刻まれる。体を駈け巡る血も熱くなってしまったかのように、エレオノーラは真っ赤になって俯いた。
 こんな風に腕の中に入れてくれることに、とてもじゃないがまだ慣れない。幸せな事ではあるが恥ずかしくていたたまれなくもなる。手を繋ぐだけでも精一杯だったエレオノーラは、その腕の中で身動きも出来ないくらいに緊張してしまう状況だった。
 そんなエレオノーラをエルネスティは優しく抱き締める。決して強くなく、緩やかな力でエレオノーラを包み込み、その細い身体を守ってやる。それがエルエスティにとって何よりも安心できる事だから。
 まだ、一緒にいることが出来る。
 エレオノーラがいつも思うことを、エルネスティだって思っている。明日かもしれないといつも思う不安を、少年が感じていないわけがない。
 だが、もう心は決まっている。どんな状況でもどんな結果になろうとも、エレオノーラから離れるなんて事はない。出来ない。自分のできる事をしてこの時間を守ると。もう何度も心に決めた。実際に何が出来るかなんて分からない事ばかりでも、少年が決めたことに揺らぎはない。
 一緒にいたいから。
 そう思うだけで、少年はまた笑っていた。幸せで。こんな風に誰かを好きになったことなどないエルネスティには初めてのことだから、どこかおかしくて仕方のない自分がいる。
「また……笑ってる?」
 エルネスティの身体が僅かに揺れているのを感じて、エレオノーラが顔を上げた。目許を細めて小さく笑っている少年を見たとき、エルネスティが何気なく、片方の腕を上げてエレオノーラの頭を抱きこんだ。自分のコートに頬を触れさせるようにそっと。
「もう少しだけ、このままでいさせて」
 そう言ったエルネスティの穏やかな声に、エレオノーラは無邪気な笑みを零して頷いた。
 その少女の鼻先に、ふわりと甘い香りが触れた。一瞬の間を置き、エレオノーラの真紅の瞳が見開かれていく。揺れ惑いながら限界まで開かれたその瞳を、エルネスティが見ることはない。
 温かな腕の中で、気づかれないようにエレオノーラは身体に力を入れる。震え始めてしまった自分の身体を抑え込もうと、息を飲んで必死に堪えた。涙が一気に下瞼を乗り越えようとしたが、それも懸命に耐えた。
 とうとう来た。
 そう思った少女は、両腕を伸ばしてエルネスティの身体を抱き締めた。
 温かくて優しい腕の中を確認するように。
 そして、たまらなく甘い、今までの少年からは感じないその芳醇な香りを堪能するように、自分の中に沸き上がりうねるような「欲」を封じ込めるために。
 人間から香った初めての香りは、エレオノーラにはたまらなく媚薬だった。
 

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