今宵、真紅の口づけを

4

 走った末に行き着いたのは、結局いつもの川のある場所だった。森の半ばほどに近いそこに戻ってきた二人は、大きく呼吸をしながらその場に座り込んだ。何も考えずに走ったせいか、エレオノーラの着ている喪服もすっかり汚れてしまっている。息が苦しくて何度も咳き込みながらも、少年を心配する少女は問いかける。
「大丈夫……?」
 その言葉にエルネスティは返事をしない。ただ呼吸を整えているだけなのか、それとも何も話したくないのか分からないが、視線を伏せたまま黙り込んでいた。エレオノーラはそれ以上何も言えなくなって、同じように視線を伏せて澄んだ川の流れを見つめるしかなかった。
 エルネスティの心の中を図り知ることなんて出来ない。きっといろんな感情がせめぎ合っているはず。
 エレオノーラとしてはそれを分けてほしいと思うが、エルネスティの本当の辛さを分かる事など出来ないし、少女自身も知ったばかりのことを受け入れることに、困難だと思ってしまうくらいに衝撃を受けているのも確かだった。
 頭を抱え込み、まるでその場にエレオノーラがいることも忘れたかのように、エルネスティは両腕で視界を遮っている。時々肩が震えるのは何かを我慢しているのだろうか。
 心配そうに見つめているエレオノーラの前で、エルネスティは声を絞り出した。
「なんでだよ……」
「え?」
「なんでおまえの周りにあいつらがいるんだよッ」
 怒鳴り声に近い声で言い放ったエルネスティは、視線は上げない。頭を抱えたままで、それでも我慢できないように言う。
「俺の家族を奪っておいて、あいつらはおまえに笑いかけてたのか!?平気な顔しておまえと話してたのか……なんなんだよ……あいつらなんなんだよッ!」
 その声が震えてくる。必死に耐えようとしている心の代わりに滲む涙の気配を、痛いくらいにエレオノーラは感じてしまう。
 フェリクスとは仲が良いとは言いきれなかったが、リクとは確かに楽しい記憶しかない。穏やかで聡明な青年はエレオノーラもヴェルナも双子達も皆大好きで、良く話をしたり、幼い頃は遊んでもらったものだった。明るい赤の瞳が綺麗で、憧れでもあった。
 いつの記憶も思い出されるリクは、笑っていた。
 その裏で、エルネスティは泣いていた。
「ご……ごめん、なさい。ごめんなさい…」
 決してエレオノーラが悪いわけではないし、エルネスティもそれを責めている訳でもない。でもエレオノーラは謝るしかできなかった。長い金髪を地面につけるようにして、蹲ってエレオノーラは何度も謝るしか出来なかった。涙がまた溢れてくる。少年の気持ちを思えば自分の痛みなどたいしたことではないが、涙を我慢で出来なかった。
 震えて泣く少女を、エルネスティはどうにもしてあげられない。自分のことで精一杯だった。気持ちを落ち着かせようとしても、やはり逸る鼓動は嫌な刻み方をするし、頭に浮かぶのはあの二人の吸血族の男達。どちらも憎くて憎くてたまらない相手だ。それを知らなかったエレオノーラを責めるべきではないと分かっていても、言葉が口から放たれるのを止める事ができなかった。零れた言葉はどうにもならないが、それを繕うことも出来ないでいた。とにかく今は、自分の中にあるこの嫌悪感と憎悪をなんとかしないと、もっと少女を傷つけてしまいそうだった。
 でも、それでも離れたくない気持ちだけはしっかりと根底にある。だから、言葉も出ないこの重たい空気の中、身じろぎ一つしなかった。
 真っ赤になった瞼が重たくて、少女は何度も瞼を擦りながら泣きじゃくっている。少年は時々大きな呼吸をして、自分を治めようと懸命だった。
 川の流れていく音が遠くに聞こえる様な感覚の中、二人はかなりの間黙り込んでいた。
 次第に日が傾きはじめ、一緒にいられなくなってくる。視線を重ねないまま、エルネスティは幾分落ち着いた様子でエレオノーラに言った。
「送ってく」
「え、良いよ。暗くなっちゃうから、エルネスティが危ない」
 暗くなれば、この森の中は下等な魔物が出没する。そんな中を一人で人間の少年が歩いていては危険すぎる事だった。
「俺なら大丈夫だから。送らせて」
 エルネスティも泣いていたために、その綺麗な目が腫れていた。それがエレオノーラにはまた心の痛むことである。
 またうちの近くに行ったら、この人は嫌な思いをするんじゃないだろうか。
 もう何一つ少年を傷つける事を排除してしまいたい少女は、それを考えると躊躇ってしまう。魔族側に近づくべきではないと思い、エルネスティとここで分かれることを決めた。
「また明日、会える?」 
 渋々ながら納得した少年にそう言うと、少しだけ微笑んでくれた。
「さっきも約束しただろ。会いに来る」
「うん……じゃあここで、また明日」
 キュッと、エルネスティの大きな手をその細い手で握り、エレオノーラは目を閉じた。少年らしい感触を忘れないように、刻むように感じながら願う。
 明日も、今日の私でありますように。
 いつ変わるか分からない自分の体に不安を感じるが、また明日という約束は少女を強くしてくれる。瞼を持ち上げて真紅の瞳を笑みの形に変えたエレオノーラは、エルネスティに向かって花のような笑顔を見せた。
「大好きだよ、エルネスティ」
 単純で、でも一番伝えたい言葉を口にする。鮮やかな愛情を湛えたその笑顔にエルネスティは目を見開き、それからまた少しだけ泣きそうな顔になった。そのまま繋いでいるエレオノーラの手を引っ張り、思わずよろめいた少女の身体を受け止めて頬に唇を寄せた。
 感謝と愛情を含んだその頬の熱に、エレオノーラは目を丸くして驚く。何が起きたのか一瞬分からなかった。ただ温かくて優しいものが、肌を通して心を満たしてくれたのを理解した時には、それはもう離れてしまったのだが。
「じゃあ、また」
 エルネスティは恥ずかしいのか、ちらりとエレオノーラを見てそのまま背中を向けて歩き出した。
 背筋の伸びたその後ろ姿に、エレオノーラは顔が綻んでしまうのを止められなかった。

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