今宵、真紅の口づけを

3

 ようやく繋がった。
 心から、繋がりを持てた。通じ合えた。
 その幸せすぎる出来事に、エレオノーラもエルネスティも、何も言えずにただ互いの身体を抱き締めた。背の高いエルネスティがエレオノーラを包み込み、その滑らかな髪の毛に頬を埋める。少年の穏やかな呼吸が少女の髪の毛に触れて、それにエレオノーラはドキドキしてしまう。自分を抱き締めてくれる最愛の存在を、身体全てで感じられるなんて、これ以上の幸せがどこにあるのだろうか。広い胸も腕も、手を回して感じるエルネスティの背中も、今のエレオノーラの世界。視界に映る無造作に結われた栗色の髪、緊張したような表情、でもどこか優しく見下ろしてくる栗色の瞳。
 赤い瞳を見つめている瞳に、自分が映っている。それに喜びが湧き上がる。もう触れるどころか会うことも叶わないと思っていたのに、と、エレオノーラは泣きながら五感の全てで少年を感じている。
「ごめんな」
 ポツリと、エルネスティは呟いた。
「…何が?」
「こないだ…ひどいこと言った」
「……良いの。私こそヴェルナを止められなくて、ごめんなさい」
「お前が悪いんじゃない。……仕方なかったんだ」 
 そう思うことで自分をなんとか抑えてきた少年は、エレオノーラに言っていると言うよりも、自分に言い聞かせているといった様子で小さく言った。
 静かな川の流れと、森の中を吹く風の音しか聞こえない。本当なら寒いはずなのに、温かくて心地良い感覚しかない。
 どれくらいそうしていたのだろう。エレオノーラの涙が治まり、穏やかな笑みで少年を見上げると、少年もまた先程よりも穏やかな笑顔を見せてくれた。互いにまだ抱き締めあったまま、クスクスと笑いが零れてくる。恥ずかしいのに、離したくなくて、でもやっぱり恥ずかしい。ゆっくりと名残を惜しむように互いの腕を解き、そしてその代わりに、しっかりと手を繋いだ。
 でも途端に、さみしさと現実が襲ってくるように感じる。
「……もう少しだけ、一緒にいられるね」
 エレオノーラが、言った。本当はこんな事をしては後から自分がもっと辛くなるのは目に見えている。ヴェルナとアーツの一件で、思い知らされたはずなのに。幸せの中にどうしても現れてくる現実に、赤い瞳を伏せて消え入りそうな声で言ったのを、エルネスティは黙って聞いていた。
 少年も、そんなことは百も承知だった。いずれ変わる少女の姿を、ヴェルナを通して見てしまった衝撃もかなり大きかった。アーツを失い、そして見た吸血族の姿。母親と姉を奪われたときは、その場いたエルネスティから吸血族は獲物、母と姉を連れ去った。だから、本当にその瞬間を見たのは今回が初めてだった。きっとこうやって母も姉も殺されたのだと思う。自分を抑え切れなかったあの日のことを思い出すと、胸の中に暗闇がたちこめる。
 でも考える事は、どれだけ悩んでも一つしかない。
 諦めたくない。離したくない。好きだから。
 この目の前の少女に対する、自分の全てをかけてでも守りたいと思う気持ちが、消えないうちは共にありたいと、少年は思っていた。
 今日会えたのは偶然だけど、近々森に行こうとは思っていた。会えるなんて最初から思ってなくて、何度でもエレオノーラに会えるまで、森に通うつもりだった。
 迷う事などない。そう、少年は結論を出した。
「俺が守る」
「え?」
 不意に、しっかりとした声でエルネスティはエレオノーラに告げる。自分を奮い立たせるかのように言った少年の目には、強い決意とその裏に隠れた僅かな戸惑いが見える。何をどうすれば良いかなんて、相変わらず分からない。でも何もしないより、諦めてしまうより、傍にいたいと思う気持ちのほうが大きい。
「お前の事は俺が守る。守りたい。傍にいたいから」
 まっすぐな視線を受け止めて、エレオノーラは息を飲んだ。自分の中にある本能に、エルネスティは真っ向から挑んでくる。いつか、もしかしたら明日かもしれないその変化を、受け止めようとしてくれている事が怖くて、でも嬉しくて、勇気をもらったような気がする。
 いつか、思ったことを思い出す。
 自分に、本能に逆らってやる。
 そう思ったときの気持ちが湧き上がってくる。急速に広がっていく感情に少女は戸惑い、真紅の瞳を伏せて考えた。
 どこまで耐えられるのかな。血を求める自分に。
 今はまだほしいと思わないそれを、一旦求めだしたらどうなるかなんて、本当のところは分からない。でもあのヴェルナを見てしまえば、それはどうにも抗えない事なんだと実感してしまっている自分もいる。
 そのときに、目の前にこの人がいたら。そう考えただけで、戦慄が走る。
 でも。
 でも。
 守りたい。
 私もこの人を、守りたい。
 少女の出した結論もまた、同じだった。どうすれば良いかなんてやはり分からないけど、今心を通わせた最愛の人との時間、人生、命を守りたい。
 純粋すぎるほどに純粋な二人の想いは、互いを思う気持ちと共に、更に重なり合う。
 何も言わないまま、再びつながった赤と栗色の瞳が、ふんわりと微笑みあった。

 

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