今宵、真紅の口づけを

4

 それから更に数日後、体調の良かったエレオノーラは、森へと向かった。体力はそれなりに落ちていたが、エルネスティに会いたいという気持ちの方が勝りどうにもならなかった。
 ゆっくりと慣れた道を歩きながら、しかし少女は不安だった。目的の場所にエルネスティがいるかも分からない。そしていたとしても、実際にあってくれるのかも分からない。ただ自分が会いたいというだけで、行動に出てしまった事を少しだけ後悔していた。
「私の目、どう思うのかな…」
 頼りない声が零れる。緑の中にあっという間に吸収されていくそれに、エレオノーラの重い溜息も混じる。毎朝、起きてすぐ鏡を見る習慣は、ここ数ヶ月ですっかり身についた。青から赤に色が変わった後もそれは続き、今日も習慣で鏡を見て、まだ慣れない色に戸惑った。
 夢なら良い。
 そう悪あがきをする少女は、鮮やかな自分の瞳を見て、涙を浮かべて俯くのが癖になってしまった。
 少しづつ、近づくその場所。神聖な、大切な場所に向かうが、そこに大好きな人の気配はない
「いないのかな」
 また、頼りない声で呟いたエレオノーラは、せっかく来たのだし、お気に入りの場所でもあるために、少し川でも眺めようかと歩を進めた。
 視界の開ける明るい川の傍は、誰もいなかった。木々のさざめきと川の音。それから緑の匂いに穏やかな太陽だけが、金色の髪の毛に赤い瞳の少女を見ていた。
 久し振りのその風景に、真紅の瞳が笑みの形に変わる。純粋な赤は太陽の下で異質なほどに輝きを放ち、妖しさを増す。長い睫毛の下で、今までのエレオノーラとは大きく印象を変えるその色は、日の下で生きるものではない少女を浮き立たせていた。
「赤い目になった途端、太陽も辛い…」
 軽く息の上がった体を休めるために、エレオノーラは木陰に腰を下ろして、リクのくれた薬の小瓶をスカートのポケットから取り出した。
 今までは子供用の作用の薄いものでよかったが、今は成人用のものに変わった。これもまた、変化を大きく自覚させるものだ。
 苦いのがいやだと言ったら、リクは笑って甘味を足してくれた。それがありがたくて、エレオノーラは薬を口に含む。
「…やっぱ苦い」
 かなりましになっているはずの味も、少女には苦い。でもリクのやさしさには感謝してそれを飲み干した。心地良い風が、ふわりとその金色の髪を撫でて通り過ぎたとき、気配を感じた。
 エルネスティだ。
 途端に胸の高鳴りが始まる。もう何日も会っていない少年の気配を全身で捉え、エレオノーラの感覚が震え始める。血流に乗るその愛しさで、そして怖さで、かたかたと体を震わせる少女の視界の端の木々がさわさわと揺れた。
「怖い…」
 エルネスティはヴェルナに伝えてくれた。待っていると。
 でも本当だろうかと思う気持ちもある。そして待っていてくれたとしても、こんな自分を見てどう思うのか。それは本当にエレオノーラに恐怖を与えた。
 エレオノーラは俯き、ただ近づいてくるその少年を待った。両手を膝の上で無意識に握り締め、それから下唇を噛んで、ギュッと、その赤を隠すかのように目を閉じた。
 やがて、エレオノーラに声がかかる。低い優しい声が少女のすぐ傍で。
「エレオノーラ」
 温かな色を含んだそれに、目を閉じていたエレオノーラはそのまま顔を上げずに小さく返事をした。
「おい。なんで下向いてんだよ」
 ややぶっきらぼうないつもの口調のエルネスティに言われて、エレオノーラは言葉を返す。
「だって…赤いから」
「…うん」
 エルネスティも小さく答えて、膝を地面につくようにしてエレオノーラの顔を覗き込んできた。
「目、見せて」
 穏やかな声でエルネスティは少女に問いかける。男の子らしい指で、エレオノーラの前髪をそっと梳くようにかき分け長い睫毛に伏せられたその瞳を見ようとした。
「だめ」
「でもいつまでも隠しておけるもんじゃないだろ」
「そうだけど…」
 かたくなに目を開けないようにしているエレオノーラに、エルネスティは安心させるかのようにその頭をなでた。
「俺も、正直ちょっと怖いけど、でも…見たい」
 正直な言葉に、エレオノーラはしばらく黙り込んでいたが、やがて顔を上げた。きつく目を閉じていたせいか、視界がぼやけて眩しさを強く感じる。何度か瞬きをして栗色の瞳に視線を流した。
 視線を流されたエルネスティは、その澄んだ栗色の瞳を大きく見開いて言葉を失った。
 見事なほどに赤くなった少女の瞳に、魔性のようなものを感じるほどに魅了されてしまったからだ。素直に綺麗だと、思ってしまった。
 しかし同時に、やはり思い出すのは家族の事。母と姉を奪った忌まわしい記憶が一気にエルネスティの中に吹き荒れて、呼吸が乱れるくらいに動揺してしまった。視線はそのままであるが、思わず震えてしまった手をどうにかしたくて、ぐっと祈るように握り締めた。
「ごめんなさい…赤くて」
 そのエルネスティの姿を見たエレオノーラが、小声で謝った。何か自分がしたわけではないが、この赤で不快な思いをさせてしまったことには変わりない。また俯き加減になった少女はそれだけ言うと、肩を震わせて泣くのを堪えた。
 しばらくの間、沈黙があった。向き合ったまま何も言わない時間が澱んだ空気のように二人を包み込む。
 やっぱり、会わなければよかったのかな。
 エレオノーラの心の中にそんな思いがわきあがってくる頃、エルネスティの手が、不意に少女の頬に触れた。
「ごめん」
 突然の温かい感触と言葉にエレオノーラは我に返って顔を上げた、その視線の先には、微笑んだ少年がいた。
「驚いて言葉が出なかった…ごめん」
「あ、いいの…驚かれるのは分かってたから…ごめんなさい」
「なんでお前が謝るんだ。何もしてないだろ」
「でも…エルネスティはこの色が嫌いでしょ」
 潤んだ赤い瞳でエレオノーラは問う。それに一瞬だけ栗色の瞳に闇を湛えたエルネスティは、小さく息を吐いて、また優しげに微笑んだ。
「確かにな。でも、嫌なだけじゃない」
「…どういうこと?」
 少女の瞳が虚を突かれたようになる。太陽に照らされたその赤い瞳に向かってエルネスティは告げる。温かな、エレオノーラの大好きな笑みで、優しく頬を撫でながら。
「お前なら、嫌な気持ちだけじゃない。綺麗だと、思う」
 その言葉がエレオノーラの中に安心を与え、幸せを与えてくれた。最愛の少年に認めてもらえたような気がして。

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