今宵、真紅の口づけを
2
美しい。その深い陶酔に満ちた顔。濃紅の瞳に滾る本能の炎。穢れなどなさそうな白過ぎる牙。
でも。
恐怖で叫びたくなるくらいに、おぞましくも感じる。
いつも愛らしくて活発な様子の幼馴染の姿はどこにもない。大好きなヴェルナは違う存在になってしまった。
そう感じてしまうくらいに、今目の前にいる少女はエレオノーラに異質に見えた。
花が咲く庭をゆっくりと、ふわふわと楽しげにさえ見えるほどに歩くヴェルナの瞳が、低い門扉の向こう側にいたエレオノーラを見つけた。
互いに何も言わない時間が少し過ぎた。青と赤の視線が交錯する。片方は怖くて怯えた色を纏い、もう片方は深くて濃い恍惚の色を湛えていた。
「エレオノーラ?」
にっこりと、ヴェルナは微笑んだ。それは美しくて無邪気な残酷さを持ってエレオノーラに向けられる。それに背筋どころか全身が冷たくなる。初めてこれほどまでの恐怖を感じて、何も言えなくなったエレオノーラは目を逸らす事も出来ないまま、自分の身体を抱きしめることしか出来なかった。
「どうしたの?こんなところまで来て」
口調はいつもと変わりない。優しいヴェルナだ。静かに門を開き、エレオノーラの前まで来ると、へたり込む少女に合わせるようにしゃがみこんだ。ふんわりと、漆黒のドレスが地面に広がった。間近に覗き込んできた赤い瞳が、やはりいつもと違って一層深く紅の色を見せていた。その奥には、底知れないほどの欲望が見える。
「ねぇ、どうして泣いてるの?」
ヴェルナはどこまでも優しくエレオノーラに問いかける。まるで何もなかったかのような様子にエレオノーラは涙を拭いて問いかけた。
「何、してた?」
「え?」
「今まで、何してたの?」
震える声で問うと、一瞬虚を疲れた顔をしたヴェルナが微笑んだ。あの妖艶な笑みで楽しそうに。
「食事だよ」
「しょく…」
もう何も言えなかった。人間の命を奪う事が「食事」と言い切ったヴェルナに、何も言えないし何を言って良いのかも分からなくなってしまった。
あんなに、嫌がっていたのに。泣いてたのに。なのに…。
「どうして?」
涙でろくに見えない視界で、エレオノーラはヴェルナに問う。
「どうしてこんな事になるの?私達の中に何があるの?教えてよ。泣いてたよね?ヴェルナ悩んでたよね?なのになんでこんな事になるの?」
しゃくりあげながら何度も同じことを言う幼馴染を、黙って見つめていたヴェルナは、ふと、いつもの表情になった。そして、苦しそうに眉間に皺を寄せて、赤い瞳に涙をためた。
「そんな事分かるわけないじゃない。私だって…分からないの。ただ、欲しかったの。おかしくなりそうな位に赤い血が欲しくて、気付いたら、奪ってたの…人間の命…」
「言わないでッ!」
夜の静けさの中にエレオノーラの悲鳴じみた声が響いた。ヴェルナの言葉を遮り、耳を塞いでうずくまる。
「言わないで…お願いだから。まだ知りたくないよ。こんなの知りたくない…怖いの。怖くておかしくなりそう…」
長い金色の髪を掻き毟るようにエレオノーラは声を絞り出した。八つ当たりだと分かっている。こんなひどいことを言うつもりもなかった。でも止まらない。怖くて仕方のない心が悲鳴を上げて、自分の言いたくない言葉も溢れさせる。
「私が、怖い?」
静かなヴェルナの声がエレオノーラの鼓膜を打った。ハッとして顔を上げた青い瞳に映ったヴェルナの顔が、今にも泣き出しそうなほどに歪んでいた。
「私が怖い?エレオノーラ」
「…ちが…違う。ヴェルナが怖いわけじゃない」
嘘。
「私達の種族の事が怖いだけで、ヴェルナの事じゃないの」
嘘ばっかり。
「でも、今は私を見て怖がってるよ」
その通り。
ヴェルナを見て、恐怖を感じたくせに。何を言ってるの?私はヴェルナが怖かった。
心の奥から聞こえてくる真っ黒な自分の声に、エレオノーラは混乱して頭を抱え込んだ。誰かに助けて欲しい。そう思って瞼をギュッと閉じて、視界を遮った。
「私が怖いんでしょう?もう認めていいよ。私そんな事であんたを嫌いになんてならないから」
優しいヴェルナの声がして、柔らかな金色の髪の毛をゆっくりと撫でる手の感触がした。いつもと何も変わらない、ほっそりとしたその手の感触に、エレオノーラは泣きじゃくった。
「ヴェルナ…ヴェルナ…ごめんなさい」
「謝る事なんてないの。私も自分は自分で怖いんだから。どうしようもないんだよ、こればっかりは」
くすくすと笑いながら、何度もヴェルナは金色の髪を撫でる。自分にも言い聞かせるように話す声が次第に震え始める。
「我慢できないんだ…これだけは本当に我慢できないの。自分の中から、こんなにも何かを欲しいなんて思う衝動があるなんて…思いもしなかった。エレオノーラにはまだ分からないかもしれないけど…」
分かりたくない。そんな事一生分からなくていい。
言葉は出ないけれど、何度も同じことを叫んでいた。視界をゆっくりと明けて俯いていた顔を上げると、そこには優しい笑顔の幼馴染の姿があった。思わずその姿にすがり付こうとして、エレオノーラは見つけた。
胸元に、赤い染みのあることを。黒いドレスは、胸元にだけ白いレースがあしらわれている。そこに赤い赤い染みがついている。その赤がなんなのか、少女の混乱した思考でも明確に理解できた。
「エレオノーラ?」
ヴェルナはその濃紅の瞳をきょとんとさせて見つめいている。その前で、エレオノーラは再び身体の奥底から震えてしまうのを止められず、驚愕して目を見開いたままふらりと立ち上がった。何度か深呼吸を繰り返すが、一向に鼓動も身体の震えも治まってくれない。
でも、もうここにはいたくない。こんなヴェルナは見たくない。
「ごめん、先に帰ってて。少し考えたいの…」
か細い声でそれだけ言って、一切ヴェルナを見ないでエレオノーラはまた走り出した。どこに行くかも分からないまま、人間の街の中を泣きながら走った。静かな街の中に嗚咽を漏らして、少女はただそこから離れたかった。
でも。
恐怖で叫びたくなるくらいに、おぞましくも感じる。
いつも愛らしくて活発な様子の幼馴染の姿はどこにもない。大好きなヴェルナは違う存在になってしまった。
そう感じてしまうくらいに、今目の前にいる少女はエレオノーラに異質に見えた。
花が咲く庭をゆっくりと、ふわふわと楽しげにさえ見えるほどに歩くヴェルナの瞳が、低い門扉の向こう側にいたエレオノーラを見つけた。
互いに何も言わない時間が少し過ぎた。青と赤の視線が交錯する。片方は怖くて怯えた色を纏い、もう片方は深くて濃い恍惚の色を湛えていた。
「エレオノーラ?」
にっこりと、ヴェルナは微笑んだ。それは美しくて無邪気な残酷さを持ってエレオノーラに向けられる。それに背筋どころか全身が冷たくなる。初めてこれほどまでの恐怖を感じて、何も言えなくなったエレオノーラは目を逸らす事も出来ないまま、自分の身体を抱きしめることしか出来なかった。
「どうしたの?こんなところまで来て」
口調はいつもと変わりない。優しいヴェルナだ。静かに門を開き、エレオノーラの前まで来ると、へたり込む少女に合わせるようにしゃがみこんだ。ふんわりと、漆黒のドレスが地面に広がった。間近に覗き込んできた赤い瞳が、やはりいつもと違って一層深く紅の色を見せていた。その奥には、底知れないほどの欲望が見える。
「ねぇ、どうして泣いてるの?」
ヴェルナはどこまでも優しくエレオノーラに問いかける。まるで何もなかったかのような様子にエレオノーラは涙を拭いて問いかけた。
「何、してた?」
「え?」
「今まで、何してたの?」
震える声で問うと、一瞬虚を疲れた顔をしたヴェルナが微笑んだ。あの妖艶な笑みで楽しそうに。
「食事だよ」
「しょく…」
もう何も言えなかった。人間の命を奪う事が「食事」と言い切ったヴェルナに、何も言えないし何を言って良いのかも分からなくなってしまった。
あんなに、嫌がっていたのに。泣いてたのに。なのに…。
「どうして?」
涙でろくに見えない視界で、エレオノーラはヴェルナに問う。
「どうしてこんな事になるの?私達の中に何があるの?教えてよ。泣いてたよね?ヴェルナ悩んでたよね?なのになんでこんな事になるの?」
しゃくりあげながら何度も同じことを言う幼馴染を、黙って見つめていたヴェルナは、ふと、いつもの表情になった。そして、苦しそうに眉間に皺を寄せて、赤い瞳に涙をためた。
「そんな事分かるわけないじゃない。私だって…分からないの。ただ、欲しかったの。おかしくなりそうな位に赤い血が欲しくて、気付いたら、奪ってたの…人間の命…」
「言わないでッ!」
夜の静けさの中にエレオノーラの悲鳴じみた声が響いた。ヴェルナの言葉を遮り、耳を塞いでうずくまる。
「言わないで…お願いだから。まだ知りたくないよ。こんなの知りたくない…怖いの。怖くておかしくなりそう…」
長い金色の髪を掻き毟るようにエレオノーラは声を絞り出した。八つ当たりだと分かっている。こんなひどいことを言うつもりもなかった。でも止まらない。怖くて仕方のない心が悲鳴を上げて、自分の言いたくない言葉も溢れさせる。
「私が、怖い?」
静かなヴェルナの声がエレオノーラの鼓膜を打った。ハッとして顔を上げた青い瞳に映ったヴェルナの顔が、今にも泣き出しそうなほどに歪んでいた。
「私が怖い?エレオノーラ」
「…ちが…違う。ヴェルナが怖いわけじゃない」
嘘。
「私達の種族の事が怖いだけで、ヴェルナの事じゃないの」
嘘ばっかり。
「でも、今は私を見て怖がってるよ」
その通り。
ヴェルナを見て、恐怖を感じたくせに。何を言ってるの?私はヴェルナが怖かった。
心の奥から聞こえてくる真っ黒な自分の声に、エレオノーラは混乱して頭を抱え込んだ。誰かに助けて欲しい。そう思って瞼をギュッと閉じて、視界を遮った。
「私が怖いんでしょう?もう認めていいよ。私そんな事であんたを嫌いになんてならないから」
優しいヴェルナの声がして、柔らかな金色の髪の毛をゆっくりと撫でる手の感触がした。いつもと何も変わらない、ほっそりとしたその手の感触に、エレオノーラは泣きじゃくった。
「ヴェルナ…ヴェルナ…ごめんなさい」
「謝る事なんてないの。私も自分は自分で怖いんだから。どうしようもないんだよ、こればっかりは」
くすくすと笑いながら、何度もヴェルナは金色の髪を撫でる。自分にも言い聞かせるように話す声が次第に震え始める。
「我慢できないんだ…これだけは本当に我慢できないの。自分の中から、こんなにも何かを欲しいなんて思う衝動があるなんて…思いもしなかった。エレオノーラにはまだ分からないかもしれないけど…」
分かりたくない。そんな事一生分からなくていい。
言葉は出ないけれど、何度も同じことを叫んでいた。視界をゆっくりと明けて俯いていた顔を上げると、そこには優しい笑顔の幼馴染の姿があった。思わずその姿にすがり付こうとして、エレオノーラは見つけた。
胸元に、赤い染みのあることを。黒いドレスは、胸元にだけ白いレースがあしらわれている。そこに赤い赤い染みがついている。その赤がなんなのか、少女の混乱した思考でも明確に理解できた。
「エレオノーラ?」
ヴェルナはその濃紅の瞳をきょとんとさせて見つめいている。その前で、エレオノーラは再び身体の奥底から震えてしまうのを止められず、驚愕して目を見開いたままふらりと立ち上がった。何度か深呼吸を繰り返すが、一向に鼓動も身体の震えも治まってくれない。
でも、もうここにはいたくない。こんなヴェルナは見たくない。
「ごめん、先に帰ってて。少し考えたいの…」
か細い声でそれだけ言って、一切ヴェルナを見ないでエレオノーラはまた走り出した。どこに行くかも分からないまま、人間の街の中を泣きながら走った。静かな街の中に嗚咽を漏らして、少女はただそこから離れたかった。
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