今宵、真紅の口づけを

3

『また明後日』 
 そう、エルネスティはエレオノーラに言った。
 初めての約束は、青い瞳に涙を滲ませるほどに喜びを与えた。時間は今日と同じくらい。場所も同じ。
 小さな小さなその言葉は、エレオノーラが今まで聞いたどんな言葉より魅力的だった。
 夕方が来て、離れなければいいけない時間が来るまで、二人はずっと手を繋いだままだった。恥ずかしいけど、離すにはあまりにも勇気がいって、どちらからも離すことなんてできないままに時間が来てしまった、という方が正しいのかもしれない。 
 特に何も話さなかった。でも楽しかったと、エレオノーラもエルネスティも感じていた。
 名残惜しそうに、最後の最後まで、互いの体温を共有し合って、その日は別れた。


 帰りの道で、ヴェルナはエレオノーラを心配そうに見て尋ねた。
「どうだったの?エルネスティ…怒ってた?」
「ううん。怒ってなかった。あまり話しはしなかったけど、いつもと同じだったよ」
 知らずに顔が綻んでしまっているエレオノーラを見て、ヴェルナが途方もなく不安になっていることは気付かない。
 赤い瞳に映る青い瞳の少女は、見た目のままに純粋で愛らしい。その瞳が恋したのが人間。ヴェルナはそれが悲しかった。
 きっと、エレオノーラが好きになるくらいなのだから、エルネスティだって悪い子ではないはずだ。
 ただ種族的に分かち合う事はできないだけで。
 でも、だからこそヴェルナは悲しくなる。好きな人と分かち合えない結末しかないのに、それでも気持ちを止める事ができない幼馴染が、愛しくて、切ない。
 生まれた時から一緒の時間を過ごしてきて、きっと家族以上に、恋愛や成長に対する事、日々の事を分かってきた。ヴェルナにとっても、エレオノーラはこの世でとても大切な存在なのだ。
 だから、幸せになって欲しい。
 それが何よりも願う事。
「ヴェルナ?」
 思い悩むように目を伏せていたヴェルナを、エレオノーラは覗き込むようにして見つめた。
「あ、…ごめん。なんでもないよ」
 赤い瞳を細めて笑うヴェルナを見て、エレオノーラはアーツの事で何かあったのかと不安になった。それを尋ねてみると、ヴェルナは小さく笑った。
「大丈夫だったよ。血が欲しいなんて思わなかった」
 冗談めかして答えたヴェルナだが、ふと、表情が暗くなった。
「ヴェルナ?どうしたの?」
 エレオノーラが歩きながらヴェルナの手をそっと握る。それにヴェルナも力を入れて握り返してきた。少し、指先が震えている。
「アーツがね、私と会いたいって言ってくれるの」
「…うん。だよね」
 あれほど愛情を湛えた翡翠色の目を見れば、それは当然の事だと思う。
「でも、いつ私が暴れだすか分からないから無理だって言ったの。もう会わないって」
「ん。アーツはなんて?」
「それでもいいって」
「そっか…」
 やはり。と言う思いしかない。エレオノーラの前で言った言葉は、嘘なんかなかった。ヴェルナになら、と言った青年の顔は、清清しいほどに綺麗だった。
 ヴェルナは、アーツのことは本当に大切な友人だと思っているようだ。あまり会ってはいなかったが、それでも会えば聞き上手なアーツは、色々な話をヴェルナから聞いては、そのたびに笑ったり、適切な返答を返したり、短い時間でも密度の濃い会話をしてきていた。どこまでも穏やかな翡翠色の瞳は、限りない愛情を持ってヴェルナをみつめ、ますます恋心を募らせていった。どこか抜けたような青年ではあるが、それでもやはり少女たちより年上なだけはあって、会話をするうちにその包容力を感じさせていた。
「お兄さんみたいで、私も最初よりはアーツが好きだよ。でも、怖い」
 ヴェルナの声が震える。変化してきている少女は、エレオノーラよりももっと怖いだろう。最初の大きな一歩になってしまうかもしれないのだ。大切な友人が。
 いつ、どこで我慢が効かなくなって、血を求めてしまうかも分からない。俯いたヴェルナは大きな息を吐いて、それからエレオノーラを見た。赤い瞳が、不安に揺れている。
「どうしたら良いの?」
 か弱く震える声でヴェルナはエレオノーラに問いかける。それにすぐには答えられない青い瞳もまた、不安に揺らいで涙を浮かべてしまう。
「私も…分からない。でも、私なら………会うかもしれない」
 その言葉にヴェルナは目を見開く。
「自分が相手を傷つけてしまうかもしれなくても?」
「………」
 ヴェルナの言葉に、エレオノーラはハッとした。
 今私…なんて言ったの?
 自分の唇から零れた言葉にゾッとしてしまう。会いたいなんて、そんなことを思ってはいけない。人を殺してしまうかもしれない状況で、会いたいなんて思うのがおかしい。
 どこまで自分勝手なんだろう。浅ましいみっともない自分が恥ずかしかった。
「ごめん、私変なこと言った…」
 エレオノーラはまっすぐヴェルナを見ることが出来ず、俯いたまま小声でそれだけ言うのがやっとだった。
 ヴェルナは、揺れ動く幼馴染の気持ちに、泣きそうになってぐっとその瞳を閉じた。
 友人として好きなだけでも、やはり会わないという決断をするのは悲しい。それならそれが好きな人なら?
 ヴェルナにも想い人がいる。それを考えると、エレオノーラの気持ちは痛いほどに分かるつもりだ。だから、傷つく前に、離れて欲しい。そう思うのも事実。
 でもきっと、もう手遅れなんだよね。
 ヴェルナは心の中でそう思って、切なくて言葉が出なかった。
 青い瞳は、俯きがちに前を見て、黙って歩く。その横顔は、何か思いつめたような色を見せていた。
「エレオノーラ」
「なに?」
 ヴェルナの呼びかけに青い瞳は無理に微笑んだ。
「ううん。なんでもない…私はエレオノーラの味方だよ」
 その言葉に一瞬キョトンとしたエレオノーラは、花が綻ぶように微笑んだ。
「ありがとう」
 潤む青い瞳で、赤い瞳を見つめる愛らしい顔を見て、ヴェルナはもう何も言わないと決めた。でも、いつまでも誰よりも、自分だけはエレオノーラの傍にいようと。

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