今宵、真紅の口づけを

6

「エレオノーラ」
 涙がようやく治まりはじめた頃、誰かの声が聞こえた。俯いていたエレオノーラは導かれるままその疲れ切った顔を上げた。
「アーツ…?」
 現れたのは、シャンパン色の髪の毛と翡翠色の瞳の青年だった。上下黒の服を着たアーツは、ゆったりとエレオノーラの前に歩み寄ってきて、その隣に腰を下ろした。優しい瞳で、泣きはらしたエレオノーラの顔を見て、くすりと笑う。
「可愛い顔が台無し」
「………どうして、ここに?」
 エレオノーラは腫れてしまった瞼を指で擦りながらアーツに尋ねた。アーツは少し首を傾げて、その翡翠色の瞳を細めた。
「エルネスティの代わり。ごめんね、俺で」
「代わり?エルネスティは?」
「アイツは帰った」
「帰った?」
 その言葉で、エレオノーラの顔から一気に血の気が引いた。
 私と会いたくないから?
 そんな事を考えてしまったからだ。小さく息を飲んだエレオノーラに、アーツは慌てて手をぱたぱたと動かした。
「あ、違う。俺が帰らせた。無理矢理ね」
「え?」
 キョトンとする青い瞳、アーツは少し言いにくそうに言葉を零し始めた。
「あいつの家族のこと、聞いたんだろ?」
「………うん」
「途中であいつに会って様子がおかしかったから聞いたんだ。そしたらそんなこと言ってたからさ。でも、エレオノーラが待ってるから戻るって言ってたんだけど…凄く辛そうで。俺が帰れって言った。エレオノーラのことは俺がちゃんと送るからって、何回も言って、そしたらやっと納得してくれた」
 翡翠色の瞳が伏せられて、悲しそうな色を湛えた。アーツはエルネスティとは幼馴染だから、全てを知っている。悲しい過去を見てきている人物だった。
「エレオノーラは悪くないんだよ」
 小声で、アーツは言った。この穏やかでのんびりとした青年らしく、優しい声で。
「確かにエルネスティから家族を奪ったのは吸血族だけど、エレオノーラは悪くない。だって関係ないだろ。だから、自分を責めることもないし、卑下する事もない。俺はエレオノーラには感謝してるんだよ」
「感謝?」
 何を自分がしたのだろう。感謝などと言う言葉を向けられる覚えもないエレオノーラは戸惑って顔を伏せた。
「あいつを助けてくれて、好きになってくれて」
「………えっ?」
 一瞬の間を置いて、顔を上げたエレオノーラの前にはいつもと違うアーツの顔があった。穏やかな包み込むような優しさは同じだが、それよりももっと大らかな微笑でエレオノーラを見るアーツは、森で迷子になったり、エレオノーラと同じように川ではしゃいだりしていた時とはまるで別人のような空気を纏っていた。
「エレオノーラ分かりやすいから」
 楽しげに笑うアーツが、そっと、滑らかな手つきでエレオノーラの金色の髪の毛を撫でた。ゆっくりと何度も。
「家族がいなくなってからエルネスティあんまり笑わなくなってさ。お姉さんが死んでから余計に。元々はあんなんじゃないんだ。子供の頃は笑顔が凄く可愛い子で…って、こんな事話したって知られたら怒られるな。でもまぁいいか」
 クスクス笑ってアーツは唇に人差し指を当ててエレオノーラを見た。それから、静かな声で話をした。
「森でエレオノーラに会ってから、少し雰囲気が変わってきたよ。前ほどじゃないけど話すようになったし、笑う。俺は幼馴染だけど、そこまであいつには入り込めななかったから、誰かがいてくれたらなって思ってて…それがエレオノーラだったみたいだ。だから、あいつに出会ってくれて嬉しいし、好きになってくれたなんて凄く嬉しいよ」
 翡翠色にエルネスティを心配して、気にかけてきたアーツの気持ちが溢れている。二つ年下の幼馴染の少年をずっと見てきたアーツもまた、苦しかったのだろうとエレオノーラは思った。
「でも私…」
「ん?」
「いつか、同じになるよ。エルネスティの嫌いな赤い目になって、血が欲しくなる体になる」
「ヴェルナみたいな赤い瞳?」
「ん…」
 ヴェルナの濃紅の瞳が脳裏に浮かぶ。紅い美しい瞳はエレオノーラの大好きな瞳、でも今は…好きなら好きな分怖さもある。ヴェルナが、ではなくて、大人の象徴であるあの瞳が。
「綺麗な瞳だよなぁ、ヴェルナのは」
 場違いなほどの楽しそうな声でアーツは言って、思い出しているのかエレオノーラが目を見張るほどに焦れた表情を見せた。
「アーツは、好きなの?」
「何が?」
 川を見たまま、アーツは聞き返す。
「ヴェルナを、本当に好きなの?」
「……好きだよ」
 はっきりと、アーツは言い切った。何の迷いもない声で言ってエレオノーラに翡翠色の視線を流した。
「一目惚れ。もう理由なんかないくらいに好きだよ、ヴェルナの事」
「そう…なんだ」
 エレオノーラは言葉が返せなくて、それだけ言って、向けられる視線に自分の視線を絡めているのが精一杯だった。こんなに純粋な想いを見せられて、苦しくなる一方、はっきりと言えるアーツが羨ましいとも思った。
 自分も言えたら良いのに。
 そう思うと、目頭が熱くなる。一気に溢れそうな涙を押し殺すように空を仰いで大きく呼吸した。
「ヴェルナは元気?」
 アーツは小石を川に投げ込みながらエレオノーラに問いかけた。しばらく会っていないのが寂しいのか、声が落ち込んだ様子になっている。
「だいぶ元気だよ。でも、アーツとヴェルナは、もう会えないかも…私も、エルネスティに会えなくなるだろうし」
「どうして?」
「赤い瞳になってしまうと、血が欲しくなるの。ヴェルナはもうなってる。私もいずれそうなる…だから、会えなくなるんだ…私達。人間に関わるのはいけないんだと思う……でも…」
「…でも?」
 アーツは驚きながらも、エレオノーラの言葉を待っていてくれる。何度か溜息をついたエレオノーラは、涙を我慢できずに震える声で呟いた。
「好きなの…エルネスティの事…」
 よく自分の体から、これほどまでの涙が出るものだと呆れながら、エレオノーラは膝を抱えて泣きじゃくった。しゃくりあげて泣くエレオノーラを見たアーツは、自分も苦しいはずなのに、大きな手でその細い背中をそっとさすった。労わるように、母親が幼子をなだめるように繰り返し背中に触れる温かな手は、エレオノーラの涙腺を更に刺激していく。
 しばらく黙っていたアーツは、ポツリと言葉を零した。
「俺はヴェルナなら…かまわないんだけどな」
 静かな森の天然の音楽の中に、はっきりと異質なほどに聞こえた言葉に、エレオノーラは一瞬泣くのを忘れるほどに衝撃を受けた。顔を上げて、青い瞳を見開き、翡翠色の青年を見た。
 アーツは、何も変わらない様子でその瞳に答えた。
「俺はかまわない。ヴェルナなら殺されても…それくらい好きだから」
 あまりにもあっけなく言ったことに、言葉も返せないまま見つめるしか出来ないが、その翡翠色の瞳の中にはヴェルナへの愛はあれど、偽りはなかった。

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