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今宵、真紅の口づけを

5

 長い沈黙があった。いつまで続くのか分からないほどの重い沈黙が。
 息が苦しくて、指先の感覚がなくなる。冷たくなっていくような感覚の中で、エレオノーラは黙ったまま、愛しい栗色の瞳を見つめていた。
 その栗色の瞳が、揺れている。僅かに、でもはっきりと、揺らいで震えている。こんな瞳は勿論初めて見た。でもそれすらも愛しいと感じるほどに、エレオノーラはエルネスティに溺れているのだと自覚した。
 呼吸すらままならない沈黙を、エルネスティの大きな溜息が破った。肺の中の空気を全て吐き出すような大きな溜息をついたエルネスティは、エレオノーラから目を逸らし木漏れ日に目を細めて、静かな声で話し始めた。
「母を、失った」
「お母さん…?」
「俺が七つの頃。お前の種族の誰かに、殺された。…それと、姉も」
 小さな声で、迷子のような心もとなさと、声に滲む憎しみ。エルネスティには自覚はないだろうが、その瞳がきついものになっている。しかしそれも仕方のないことなのだが。
「姉は、三年前だ。俺には父親はいない。だから母が亡くなった後は姉だけだった。その姉も殺されたんだから…嫌いになっても仕方ないだろ?」
 静か過ぎる声に、エレオノーラは全身が震えた。エルネスティの感情が流れ込んできたように、その細い体を取り囲み、食い尽くされそうになる。静かな怒りと悲しみと憎しみだけが、純粋なほどに栗色の瞳からエレオノーラの青い瞳に投げかけられる。
 やはりと言う思いもあったが、まさか家族の二人を自分の種族が奪っていたとは思わなかった。エレオノーラにも勿論家族があり、何よりも大切なものだ。誰一人欠けても、深い悲しみの底に落とされるのは明確すぎるほどに明確で、考えただけでも恐ろしい。それをエルネスティは二度も体験している。幼い頃と、最近と。
 涙が、溢れた。
 自分が泣くのは筋違いなのは分かっている。エルネスティの家族を奪った者と同じ血が流れるこの体から流れる涙は、エルネスティには何の意味もない。それどころか、汚らわしい涙なのかもしれない。
 でも、止められない。感情が波を立てうねり、地の底まで引き摺られてしまう。周りの穏やかな川のせせらぎも、緑から注ぐ木漏れ日も、青い空も色をなくし、何もかもが遠のいて行ってしまう。
 謝りたい。とにかく謝りたい。
 何をと言われたら、それも分からないけど、それでも謝らずにはいられない気持ちになる。
 エレオノーラが声も出さずに涙を流してると、エルネスティは苦しそうにそれを見つめた。その瞳に少しだけ光るものを滲ませながら、ゆっくりと続けた。
「赤い瞳を…覚えている。闇夜に輝く真っ赤な目が、俺が母に抱かれて見た光景だ。俺を庇うようにして抱きしめてくれていた腕の中は、赤い目が奪って行った。何度も俺の名前を呼んで手を差し出してくれた母を、どこかに連れ去ってその廻る血を飲み干したんだろう。いくらかして見つかった母はすっかり冷たくなってたよ。姉の時も同じだ。赤い瞳しか記憶にない。どこまでも、俺から家族を奪っていく。ほんと…なんなんだよ…」
 無造作に結ってある髪の毛を掻き毟りながら、何度も大きく呼吸を繰り返して、エルネスティは黙りこんだ。その肩が震え始め、嗚咽がエレオノーラの鼓膜に突き刺さった。それに心臓を掴み上げられたようになり、エレオノーラは無意識の言葉を零した。
「ごめんなさ…」
「謝るなッ!」
 エレオノーラの言葉を、エルネスティが遮った。いつもと違う感情を剥き出しにした声で。俯いて、顔は見せないままに。
「謝らないでくれ。お前が謝ると…あいつらと、お前が同じになってしまう。同じ種族なんだと思い知らされる。俺は、お前を憎みたくない。お前なら…嫌じゃない。お前だけは…嫌じゃないんだよ。だから、そのままでいさせてくれ…頼むから謝るな」
 泣きながら、エルネスティは搾り出すように言った。
 エレオノーラにはエルネスティの真意は理解できない。心が揺らぎ過ぎてまともな思考もないせいだが、でもエルネスティが謝るなと言うのなら…その思いで、言いかけた言葉を飲んだ。重苦しいものが喉を通り、体の奥底に沈んでいく。でも自分のためじゃなくてエルネスティのためならそれも苦にならない。
 また沈黙が出来た。先ほどと違うのは、二人とも泣いている事ということ。声も出ないままに二人とも涙を流した。
 しばらくそのままに時間が過ぎて、ふとエルネスティが立ち上がった。見上げるエレオノーラには、その顔は見えない。背の高いバランスの良い後ろ姿のまま、エルネスティは小さく言った。
「ちょっと、気晴らしに行ってくる。少ししたら戻ってくるから………うろうろして迷子になるなよ」
 まだ涙の滲む声でそれだけ言うと、エレオノーラの返事を待たずに、緑の中に消えてしまった。
 エレオノーラは、それからまた泣いた。エルネスティの消えていった方向を見つめたまま、声を出して子供のように泣きじゃくった。
 自分のしたことじゃないけれど、やはり種族の持つ本能が怖くて、それが自分にも芽生えるのが怖くて、エルネスティの過去が悲しくて、そのエルネスティを好きなった運命が切なくて幸せで、泣かずにはいられなかった。
 自分ではどうにもできない事ばかり。
 ふと青い瞳で見上げた空は、清清しいほどに晴れ渡り、目が痛くなる。
 どれだけ泣いても、怖さとエルネスティへの想いは変わらず、今この時でさえ、エレオノーラの中に降り積もる。
 泣いたあの人を抱きしめたい。でも私にはその腕がない。そんな資格もない。
 それが悲しくて、また涙が出た。
 混乱ばかりするその青い瞳に青空が映り、一層澄んだ色になる、心の澱みなどないように。

 


 

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