今宵、真紅の口づけを

4

 今日もエレオノーラは、一人で森に来ていた。
 あれから数日、ヴェルナの調子も良くなり始めている。あと少しもすれば、外に出る事も大丈夫だとリクが言っていた。相変わらず、血を求める本能はあるらしいが、日によって違うらしい。それがどんなものなのか想像すらできないエレオノーラは、本当の意味でヴェルナを理解できない事が心苦しかった。そんなエレオノーラにヴェルナは濃紅の瞳に温かい色を乗せて、
 『大丈夫だよ』
 と言ってくれる。
 そして、今日の朝も鏡を見て安堵する自分がいた。鏡に映された青い瞳。いずれはなくなるその青に、エルネスティを想っては、恐れる。今は何よりも大切な自分の瞳は、エルネスティとのたった一つのつながりのようにさえ感じていた。
 川は今日も陽射しを受けて、キラキラと水面を輝かせている。それを見ながら、あたりの気配に神経を廻らせる。
 今日は会えるかもしれない。
 なぜかそんな事を考えて、エレオノーラはここまで来た。やがて、足音がかすかに耳を刺激した。間違うはずもない。切ないほどに胸が震える。少しずつ近くなる気配に、エレオノーラの鼓動が早くなり、心地良いと思える嬉しさがこみ上げてきた。緑の濃い草木の中から現れた栗色の髪と瞳の少年に、エレオノーラはふわりと微笑んだ。その顔は泣きそうにも見えるが、幸せを語っているものだった。
「こんにちは」
 エレオノーラが言うと、エルネスティは僅かに頬を緩めて頷く。今日も無造作に結われている髪の毛に、背中には弓矢。いつも纏っている長衣はないが、薄い長袖の白いシャツと藍色のズボン姿だった。黙ったまま、静かにエレオノーラの前に立ったエルネスティは、じっと顔を見つめて言った。
「なんかあったのか?」
「え?」
 見かけによらず低いその声にエレオノーラの心臓が跳ね上がる。
「何もないよ?…私どこか変?」
「いや…何となく。何もないなら良いけど」
 気になっているような言い方ではあるが、エルネスティはそれ以上エレオノーラに言わなかった。背の高いエルネスティを見上げると、明るい栗色の髪の毛が陽光に輝いている。キラキラと光を反射する様子は、まるで自分とは住む世界が違うんだと言われているように感じるほど綺麗だった。
 ダメね、私…どうしてこんなに後ろ向きなんだろう。
 自分の考えに本当に呆れ返って、エレオノーラは小さく笑った。
「何、笑ってんだ」
「え?あ、違うの。今日もアーツは迷子?」
 年上の穏やかな青年を思い出してエレオノーラは問う。それにエルネスティは小さく笑った。
「お前にまでそんなこと言われるなんて、あいつどうしようもないな」
 目尻が下がって優しい印象になったエルネスティが嬉しくて、エレオノーラも笑った。こんな時間がもう終わる事を、自分の中の暗闇が囁いているのを知りながら。
 川原で二人並んで腰を下ろす。陽射しは強いが、木の枝の大きく張った場所を選んだので、エレオノーラはそれほど辛くなかった。
 どちらからともなく、ほんの少し、近づいて座る、でも肩が触れるほどの距離には行けない。そこまでの勇気はない。どちらにも。
 エルネスティが腰に括りつけていた袋から、さくらんぼを出した。瑞々しいその赤い果物はここに来るまでに、人間の領地で生っているという。大きな掌にそれを載せて、エレオノーラの前に差し出した。
「いつもありがとう」
 にっこりと笑ってエレオノーラがさくらんぼを一つ取る。エルネスティも空いている方の手で同じように取り口に放り込んだ。
「美味しい…」
「ん。うまい」
 同時に呟いてしまって、それがおかしくて、それでいて何となく恥ずかしくて、お互い目線を逸らしてしまった。木漏れ日と風と川のせせらぎと、美味しい果物とエルネスティ。
 それがエレオノーラにはたまらなく幸せで、切なくて悲しい。
『もう会わないほうが良い』
 ヴェルナの言葉が暗闇から顔を覗かせて、エレオノーラを非難する。勿論ヴェルナは自分を思って言ってくれた事は分かっている。でも、賤しい自分がその温かい言葉を屈折させてしまっていた。
 好きなのがそんなにいけないの?
 赤い瞳が怖い。
 青い瞳のままでいたい。
 あれほど憧れていたのに、心を占める半分以上の感情は、数日前に比べて、境界線がないほどに変わってしまっていた。じわじわと侵食するように、エレオノーラを蝕む。
 日を追うごとにエルネスティが好きで、会えない日の方が多いけれど、でも想うだけで幸せで、もう細胞にまで息づくこの想いを、今更どうしたらいのか分からない。
 もう遅いみたいだよ、ヴェルナ…ごめんね。
 心配してくれた幼馴染に心の中で謝ると、また涙が滲んできそうで、エレオノーラは金色の髪の毛を揺らして顔を俯けさせた。
「おい、どうした?」
 それにエルネスティは怪訝な顔で、控えめにエレオノーラを覗き込んだ。
「エルネスティ…」
「なんだ」
 潤む瞳だけで、上目遣いになりながらエレオノーラは問いかけた。
「どうして、魔族が、私の種族が嫌い?」
「……え?」
 赤い瞳が嫌いだと、吸血族が嫌いだと言ったあのきつい栗色の目を思い出してエレオノーラは聞いた。自分たちの本能で、エルネスティも犠牲になった一人なのか。人数自体が少ないから、昔に比べたらそれほど多くの人間の命は奪っていないだろう。でも確かに犠牲はある。普段は口数の少なく無愛想なこの少年は、それでもむやみやたらと憎んだりはしない。そんな人間が、あんなに優しく微笑まない。そこが好きなのだから。
『お前なら嫌じゃない』
 そう言ってくれたエルネスティが好きで、どうにもならない速度でエルネスティに落ちていく。だから、親友の言葉を受け入れられない。きっとヴェルナは怒るだろう、泣くかもしれない。でも逆らえない、自分に。
 ならば、知りたい。
 傷つく事を覚悟で、エレオノーラは聞いた。その青い瞳が涙で揺れながら、それでも栗色の瞳から視線を外さずに。

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