今宵、真紅の口づけを

3

「ヴェルナ…?」
 次の日の夕方、エレオノーラはヴェルナの部屋に見舞いに来ていた。
 ドアをノックするのも、正直言えば怖い。もしかしたら、ヴェルナが変わっているかのもしれない。そんな訳ないと思っても、感情が変われば雰囲気が変わる事もあるのかもしれない。
 馬鹿なことを考えいているとは、自分でも思っている。
 控えめなノックの後、少ししてから小さく返事が聞こえた。それは元気はないものの、ヴェルナのいつもの声だった。それに大きく安堵して、ドアを開けた。
 ヴェルナはベッドの中にいた。元々色白ではあるが、今日の顔色は白すぎて思わずエレオノーラは息を飲んだ。そんなエレオノーラに、ヴェルナは濃紅の瞳を嬉しそうに笑みの形の変えた。そして細い腕を伸ばして小さな声で言う。
「こっち来て」
「うん」
 儚さのあるその様子にエレオノーラは驚きつつ静かに歩み寄り、柔らかな絨毯に膝をついて視線をヴェルナに合わせた。近くで見ると一層白いその顔に、疲れきった赤い瞳が潤んでいる。エレオノーラは言葉が出ないまま、自分の青い瞳から涙を滲ませた。
「なんで泣いてるの?」
 ヴェルナはクスクス笑ってエレオノーラの頬に指を添えてゆるゆると動かした。エレオノーラがくすぐったくて思わず笑うと、ヴェルナは満足したように微笑んだ。
「笑ってて。エレオノーラは笑ってて」
「え?」
「私ももうすぐ元気なるから。そしたらまた森に行こう?」
 森。
 それに思い出すのは、二人の人間。思わず顔に出てしまったのか、ヴェルナは戸惑いを見せて微笑んだ。
「会ったら…襲っちゃうかも」
 自分で言ってて呆れた様子で笑うヴェルナは、ひとしきり笑った後、小さく溜息をついた。
「欲しいんだ…」
「え?」
「血が欲しいの。凄く。抑え切れないくらい」
 少し低められた渇望の声は、エレオノーラの中に恐ろしい勢いで浸透していく。血流に乗り、体の隅々まで行き渡り、神経を逆なでするように総毛立つ悪寒をエレオノーラに与えた。
「ヴェルナ…」
 なんと言って良いか分からない。でも、エレオノーラは何かしなければと思った。こんなに困惑しているヴェルナは初めてだった。どちらかと言えば、性格的に焦ったり困ったりするのはエレオノーラの方で、ヴェルナはそれを見て手助けしてくれたり、時には怒ってくれたり同じ年なのに頼れる存在だった。
 柔らかいベッドに身を沈めているせいではない。ヴェルナが小さく見えるのは。
「私にできる事はある?」
 ないのは分かっていても聞かずにはいられない。震える声で問いかけると、ヴェルナは少し考えてから、にっこりと笑った。
「本当に森に行きたい。あの子たちのいない方に行こうよ。川がないのは残念だけど、でもお花は咲いてるでしょう?」
 いつもよく行く川の場所は、エルネスティやアーツがいるかもしれない。だが、ヴェルナの言う川から反対の方向には小さいが花の咲き乱れる場所があった。
「そうだね。行こうか。だから早く元気になってよ?私寂しい」
 今度はエレオノーラがヴェルナの頬をくすぐるように触れる。病的に白いが温かな感触にエレオノーラ自身がホッとした。
「分かった。…でも、こんなの本当に勘弁して欲しいよ。凄く辛い。食べられないし眠れないし…」
「本当だね…皆もなのかな?カトリネは少しましみたいだけど、それでもいつもに比べてあんまりご飯食べないなぁ」
「人それぞれらしいから。エレオノーラは軽く済むと良いね」
 何気なくヴェルナは言ったのだろう。でもエレオノーラは一瞬笑えなかった。成長する事に対する恐怖はそう簡単には消えないし、下手をすれば大きくなるだけだ。
「エレオノーラ?」
 キョトンとしたヴェルナの顔に、慌てて笑顔を浮かべてエレオノーラは首を横に振った。
「私の時はどうなるのかな?考えるだけでも怖いな…」
「エルネスティの事?」
 ヴェルナはあっさりと、本当にあっさりと言った。あまりにもあっさりし過ぎていて、エレオノーラが聞き逃してしまうほどに。しかしかろうじて聞けた言葉に、エレオノーラは目を見開いて言葉を失った。
 それにヴェルナは意地悪そうに目を細めて笑う。
「私が気付かないわけないじゃない。あんたと違って」
「……い、いつから…?」
「んー…割りと最近?何となく思ってたけどね」
 濃紅の瞳に自分が映りこんでいるのをぼんやりと見ながらヴェルナの言葉を聞く。自分でも最近気付いた事をヴェルナに見透かされていた事が恥ずかしくて、でもそこまで見ていてくれたことに嬉しくも思えた。
 ヴェルナはエレオノーラの長い髪の毛を指で梳きながら言葉を続ける。
「今はまだ会っても大丈夫だと思うよ。赤い目になってすぐこんな風になるとは限らないし。でも、そうなるともっと好きになるでしょう?それが心配なの…だって本当に欲しくなるんだ。アーツの事を考えたら喉が渇く…喉じゃない、体が渇くの。自分でもおかしくなりそうなほどにね」
 実際感じているヴェルナの言葉はとても重たかった。体に鉛を落とし込まれたような苦しさがエレオノーラの中に広がっていく。
「我慢できないの?それ…」
 悪あがきだと言える言葉が勝手に口をついで出てきた。それにヴェルナは少し考えて泣きそうな顔になった。
「ない、と思う。毎日少しづつ耐えられなくなってる。私もそのうち…」
 言葉を宙に放り投げて笑うヴェルナは、一層儚くて綺麗な微笑を見せた。エレオノーラは黙ってその顔を見て、きゅっとヴェルナの手を握った。
 沈黙が過ぎて、大きく息を吐き出したヴェルナが、ゆっくりと体を起こして少し高くなった視線をエレオノーラに止めた。
「私は、もう会わない方が良いと思う」
 はっきりと、ヴェルナは言った。まっすぐと水のような青い瞳を見て、意思の強い視線は一瞬も外さない。
 あえて、誰とは言わない。でもエレオノーラは痛いほどに理解している。そして暗闇が一気にエレオノーラを飲み込もうとする。その暗闇の出口は一つしかない。
 もう会わない。
 それが最善だと分かっていても、頷けない。頷けるわけない。そう叫んでいる自分がいた。
 また、栗色の瞳が浮かぶ。切ないほどに鮮やかに。そして青い瞳からは、大粒の涙が零れた。

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