今宵、真紅の口づけを

3

 ヴェルナの調子が良くないようだ。
 眩暈と食欲不振が酷いらしく、外に出てはいけないとリクが言っていた。エレオノーラは毎日お見舞いに行くのもヴェルナに悪いだろうと思い、今日は一人で森の中に来ていた。
 夏の太陽が良い感じに枝葉に遮られて、エレオノーラに降り注ぐ。長い金色の髪の毛が緩やかな緑の香りを含んだ風に踊る。一人で森の中に入るのはあまりないので、正直言うと少しだけ怖いのだが、家には自分よりも先に変化した妹達がいる。それをずっと見ているのも気分的にしたくなかった。妹達に罪はないと分かっていても、やはり小さな小さな嫉妬心はなくならない。
 ゆっくりと、川の傍まで来た少女は、何をするでもなくただ流れる水面に視線を止めてぼんやりとしていた。
 ここにいたら、会えるかな。
 心の片隅でそんな事を期待しながら、手で冷たい水の感触を確かめる。透明な水の中に、小さな魚達がついと動くさまが可愛かった。
 膝下丈のスカートを手で押さえながら、その場に座り込んいると背後に気配を感じる。それはエレオノーラがまさに今考えていた人物のもので、高鳴ってしまう胸を抑えきれないままに振り返った。
 明るい栗色の瞳がその青い瞳を捉えて、小さく驚いたのか大きく目を開く。それから表情の読めないいつもの顔になったエルネスティは静かに歩み寄ってきて、しゃがみこんでいるエレオノーラの横に腰を下ろした。エルネスティは夏ではあるが、今日も怪我をしないようにと、淡い青の薄手の長衣を纏っていた。
「…今日は一人なのか?」
 ぶっきらぼうな少ない言葉はいつもと同じ。しかしエレオノーラは全く気にならない。会えた事が嬉しいから、話かけてきてくれた事が何よりも胸に染み込んでいった。
「うん。ヴェルナの調子が悪くって。エルネスティは?」
「アーツがいるにはいるけど…」
 そこで言葉を濁したエルネスティは頭をかきながらぼやいた。
「あいつまたどっかに消えた…」
 情けなさそうに言ったエルネスティに、エレオノーラは小さく笑った。それにエルネスティも僅かに唇の端を上げた。エルネスティはふっと息を吐くと、腰に括りつけていた水筒の水を喉を鳴らして飲んだ。
 その横顔を、エレオノーラは自分でも気付かないうちに眺めてしまっていた。エルネスティが不審に思うほどに見つめてしまって、眉間に皺を寄せられてしまった程だ。
「人の顔じろじろ見て、なんなんだお前は」
「ごめん…なんか久し振り、だったから…」 
 顔が赤くなるのを止められず、俯いたエレオノーラの耳に、エルネスティの僅かに笑う声が聞こえた。
「久し振り…そうだな。俺は結構ここには来てるんだけど」
「そう、なの?」
「ん。ここは気持ちが良い。緑と水があって、暗くない」
 水辺を見つめて、柔らかい色になった栗色の瞳がエレオノーラに止められる。その顔がふわりと微笑んだ。エレオノーラが見ていたいと思ったあの微笑みに。
「そっか…」
 何も言えなくなったエレオノーラはまた顔を俯かせて、白い両手を胸の上で合わせた。心臓がどうにかなりそうに高鳴っている。息が苦しくなりそうなほどの鼓動に、エレオノーラはどうして良いか分からなくなる。
 自分の気持ちを自覚してから初めて見るエルネスティは、思っていたよりずっとエレオノーラの中に入り込んでくる。穏やかに温かく、そして切なく。見ているだけで精一杯な少女は、話す事など到底出来そうになかった。
「…お前、なんか今日おかしいぞ?」
 不思議な顔で、エルネスティはエレオノーラの顔を覗き込んできた。間近に見えたその栗色の瞳に、思わずエレオノーラは後ずさった。顔を真っ赤にしたり青くしたり、挙動不審とも取れるエレオノーラの行動に、エルネスティは何を思ったのか、スッと距離をとった。人二人は軽く入れるだろう間のあいたエルネスティに、エレオノーラは慌てて取り繕う。
「あ、あのっ、違うの。これは…そのいきなり近くに顔が見えて…だから、あの…」
 何か言おうとすればするほど、思考は止まり言いたい事が遠のいていく。それにエルネスティは俯いて答えた。
「いや、俺の方こそ悪かった…」
「…っ…違うよっ。エルネスティは悪くないの!!」
 どうにかしたくてエレオノーラは声を荒げてしまった。エルネスティは驚いてその栗色の瞳で青い瞳をじっと見つめる。エレオノーラは自分の声の大きさに自分も驚いてしまって固まってしまった。
 川の音と枝葉の揺れる音が二人の間に穏やか過ぎるほどの音色を奏でる。お互い何も言わないままに時間が過ぎていった。
 エレオノーラは赤い顔のままにすっかり俯いて、エルネスティは空を見上げたり、川を見たり、なんとも心もとなさげにあちこちを見ては、時々ちらりとエレオノーラを視界の端に捉えていた。
 その真っ赤な顔のエレオノーラを見て、自然と顔を優しげに緩ませているのを、エルネスティ自身は気付いていない。
 魔族なのに、自分の忌み嫌う吸血族なのに、不思議とエレオノーラには何も感じなくなっている。その水のような青い瞳のせいだろうか。エレオノーラの性格のせいだろうか。理由はエルネスティにも分からない。
 でも、初めて会った時の感覚ではない何かが、ゆっくりと育っていて、エルネスティはいつの間にか、この森に来るときにはエレオノーラに会えるのではないかと期待している。
 だから、今日会えた事は驚きと嬉しかった気持ちの両方があった。でもそれを出すのは恥ずかしくて、いつも通りに振舞おうとしていた。
 だが今日はエレオノーラの様子がおかしい。今までなら元気に、それこそエルネスティが呆れるほどに話しては笑うのに、おとなしくて言葉にも覇気がない。ヴェルナが調子が悪いと言っていたから、もしかしてエレオノーラ自身も体調が悪いのかと心配になって顔を覗き込んでみた。 
 そこでエレオノーラも焦ったのだが、同じ位エルネスティも焦った。近くで見たエレオノーラの瞳があまりにも綺麗で。
 吸い込まれそうなほどの透明感のある青。金髪碧眼の容姿など人間にもたくさんいる、しかしこの少女の青さはある意味尋常ではないほどに美しかった、息を飲むほどの、と言う表現がぴったりだとエルネスティは思った。
 どこか遠くで聞こえる小鳥のさえずりを耳にしながら、年の近い少年と少女は沈黙をどうにか出来ないかと、それぞれが考えあぐねていた。

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