今宵、真紅の口づけを

2

 エレオノーラが自分の気持ちに混乱している時に、不意に店の扉が開いた。弾かれたように視線を向けた先にいたのはヴェルナだった。
「ヴェルナ…」
「エレオノーラ?」
 二人は同時にお互いの名前を呼び、そして驚いた顔を笑ませた。ヴェルナの細い体を包むような、濃い紫の踵まであるロングワンピースが良く似合っている。そして今日も黒髪に映える濃紅の瞳がエレオノーラには眩しく見えた。
「ヴェルナまでどうした?調子悪い?」
 リクが問いかけると、ヴェルナは心の底から幸せそうな顔で笑う。それをエレオノーラは不思議に感じた。エレオノーラもヴェルナも、リクが好きだ。小さい頃から何かあればこの医術を学ぶ青年に癒してもらってきたし、相談なんかもしてきた。エレオノーラにとっては兄のような存在である。
 しかしヴェルナの湛える色は、それだけではない。明らかな愛情を向けるその顔に、エレオノーラは初めて気付いた。
「少しだけ、眩暈がするの」
 ヴェルナの顔色は確かに普段と比べて良くない。エレオノーラは慌てて立ち上がって、ヴェルナをソファーに座らせた。リクもヴェルナに近づき、そっとヴェルナの額に手を当てる。
「熱はないかな。眩暈だけ?」
「うん。食欲はまだあるよ。さっき少し食べてきた」
「そう。じゃあいつもの薬と、眩暈に効くものも出してあげる」
 リクがにっこりと笑って、ヴェルナの黒髪を撫でると、ヴェルナはくすぐったそうに笑って頷いた。
「ヴェルナ大丈夫なの?言ってくれれば私が取りに来たのに」
 エレオノーラが隣に座りながら言うと、ヴェルナはゆるく頭を横に振って笑う。
「大丈夫。歩けるし。来たかったから」
「来たかった?ここに?」
「ん…リク先生に会いたかったの」
 潤む瞳がまっすぐにリクを見つめて、細められる。その顔はエレオノーラでさえドキッとするほどに艶めいていた。ヴェルナはリクに視線を止めたまま、エレオノーラの肩に頭を凭れ掛けた。さらさらとした黒くてまっすぐな髪の毛がエレオノーラの金色の髪の毛と混じる。
「ヴェルナ…好きなの?」
 小声で聞いたエレオノーラに、目だけで見上げるヴェルナはその赤い目を見開いて、思わずといったように笑い出した。
「何?私変なこと言った?」
 笑われたエレオノーラはキョトンとする。
「今頃…気付いたの?」
「え?」
「私はもうとっくに知られてると思ってた」
 ヴェルナは口元を押さえて肩を揺らして笑っている。楽しそうに笑う様子に、エレオノーラも笑いがこみ上げてきた。
「ごめん、…私って鈍感だね」
「本当だよ。でも、それがエレオノーラの良い所なのかもね」
 二人で目を合わせては笑い合う。それが心地よくてまた笑いが湧き上がる。そんな事を繰り返していると、ふとヴェルナが視線を伏せて呟いた。
「でもさ、何かを求めてるわけじゃないんだ」
「…え?」
 顔を伏せたヴェルナを覗き込むようにしてみると、ヴェルナはちらりとエレオノーラを見る。涙の浮かんだ赤い瞳で。
「リク先生とどうにかなりたいわけじゃないよ。無理だって分かってるし。でも、好きなだけなら自由でしょう?」
「それはそうだけど…まだ分からないじゃない」
「私達とどれだけ年が離れてる思う?こんな子供相手にしてくれないよ」
 ヴェルナの言う事ももっともかも知れない。でも、エレオノーラは思う。
 同じ吸血族なら、まだ可能性はある。
 それは自分とは違うヴェルナの恋に対する応援の気持ちであり、羨ましい気持ちであり、八つ当たりのような嫉妬も含んだものだった。
 成長の焦り、好きになった人との可能性のある展望、嫉妬、エルネスティに向けられた自覚したばかりの自分の気持ち。
 目まぐるしい感情の波がエレオノーラの中で、黒いものを持ち合わせて渦を巻く。
 大好きな幼馴染にまでそんな風に思ってしまうことが、悲しくて情けなくて、エレオノーラは口をつぐんでそのまま黙り込んでしまった。
 白い手が無意識に力がこめられて握られていく。それをヴェルナは不審な目で見た。
「どうかした?」
「え?ううん。なんでもない。ヴェルナ、諦めちゃダメだからね」
 にっこりとエレオノーラが笑うと、ヴェルナは花の咲いたように可愛らしい笑顔を向けて小さく頷いた。
 しばらくすると、二人の少女がなにやら笑い合っているのを、楽しげな表情で見ていたリクが、二人分の薬を手に傍に寄って来た。
「俺も話に入れてくれないの?」
「リク先生はダメ。これは女の子の話だから」
 エレオノーラが言うと、リクは肩をすくめて小さく笑い、それぞれに薬の入った紙袋を差し出した。
「じゃあ、諦めよう。俺はどう頑張っても男だしね。はい。こっちがカトリネので、こっちはヴェルナ」
「ありがとう」
 気の合う二人は同時にお礼を言って立ち上がる。リクはヴェルナの顔をじっと見つめて、穏やかな口調で問いかけた。
「まだ、来ない?」
 何が来るのかも分からない言葉にエレオノーラが黙っていると、ヴェルナは少しだけ困った顔になって答えた。
「まだ良く分からないけど、少しだけ…」
「そうか。あまり我慢はしないで。自然な事なんだから、自分を責める必要もない」
「はい…」
 俯いた拍子に、黒髪がヴェルナの顔を隠してしまって、エレオノーラには分からなかった。ヴェルナの声が震えてること以外には。
「さあ、エレオノーラは早くカトリネに飲ませてあげて。ヴェルナはそれ飲んだら今日は寝ておく事。森になんか行ったらいくら俺でも怒るからね」
 にっこりと、いつもの笑顔で言うリクに、頭を下げて二人は店を後にした。
 夏の太陽の下に出た二人は、少ない言葉を交わしながら帰路に着く。
 エレオノーラはさっきのリクとヴェルナのやり取りが気にならない訳ではなかったが、何となく聞けないままに、世間話をするだけにとどまった。

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