今宵、真紅の口づけを

1

 すっかり夏の太陽になったある朝、エレオノーラの妹、双子の片割れのカトリネにも変化が現れた。
「カトリネも変わったよ、エレオノーラ」
 赤より少し緋に近い紅緋べにひ色の瞳になったエーヴァが、エレオノーラに新鮮なミルクの入ったカップを手渡しながらニコッと笑った。
「そう。で、カトリネは?」
 当の本人がいないことを不思議に思いながら、エレオノーラは尋ねる。エーヴァからもらったミルクは濃厚な風味と甘さが美味しい。
「なんか調子が悪いって起きて来ないの」
 エーヴァもミルクを一口飲んでからそう言った。
「調子が悪い?」
「うん。変化はその人それぞれみたいだから、私にはなかったことだけど、カトリネは体調が悪くなる子なのかも」
 心配そうに言ってエーヴァは二階に通じる階段を見上げた。
「たいしたことないと良いけど。薬は?」
 エレオノーラが聞くと、エーヴァは頭をふるふると横に振った。紅緋色の瞳がすいっとエレオノーラに向けられて、ドキッとするほどに綺麗だった。
「今日に限ってないの。だからママが後から買いに行くって」
「リク先生のところ?」
「うん」
「ふーん…」
 エレオノーラはそのまま黙り込み、しばらくすると青い瞳に笑みを湛えてエーヴァを見た。
「じゃあ、私がこの後買いに行くよ」


 夏といっても、それほど暑くはない。湿気のない分過ごしやすいのがこの大陸の特徴らしい。清清しい風にエレオノーラは爽やかな気分でのんびりとした風景を眺めて道を歩く。しかしやはり太陽そのものは苦手だ。
 リクの作る薬のおかげで昼間でも活動できるのはありがたい。でなければ、きっと会うこともなかった。
 エルネスティと。
 初めて会ってからもう三月ほどではあるが、その間に会ったのはたった数回だった。待ち合わせをしているわけでもないし、エレオノーラたちが森の、あの川の傍にいて、狩りに来ているエルネスティとアーツが偶然会う。それくらいのことだ。しかしその間に、少しだけエルネスティの事を知ることが出来た。年はエレオノーラより一つ年下の17歳。普段から無愛想でエレオノーラよりずっと背が高いことで、勝手に同じか年上だと思っていたエレオノーラはとても驚いた。それにエルネスティがむっとしていたのがおかしかった。アーツは19歳だと言う。
 エルネスティは変わらずヴェルナの瞳を見ると嫌悪感を栗色の瞳に滲ませるが、それ以上のことはなく、アーツもいるために、そこそこ四人で仲良く出来ているように思う。アーツはヴェルナの事をとても気に入っているようで、ヴェルナと話す時の嬉しそうな顔を見るだけで、エレオノーラも幸せになるほどである。一方のヴェルナは、人間から寄せられる好意に戸惑うのを隠し切れないらしく、どことなくいつもよりそっけない態度で接しているのも、エレオノーラは面白いと感じている。
 太陽の陽射しを反射して更に輝く長い金髪と、ホリゾンブルーと白のストライプのAラインのワンピースが夏の風に揺れている。裾をひらひらと躍らせながら、エレオノーラはエルネスティのことを考えるとほんわかとした気持ちになる。自然と緩んでしまう頬をそのままに、向日葵の咲く道を、リクの店に向かって足取りも軽く進んでいった。
「リク先生、こんにちは」
 古い木の扉を開けてエレオノーラが挨拶をすると、焦香色こがれこういろの髪の毛を揺らしてリクが振り返った。端整な顔が少女を見てにっこりと微笑む。
「いらっしゃい、エレオノーラ。今日はどうした?」
 にこやかな笑顔で迎え入れてくれたリクは、今日はモノクル型の眼鏡をかけていて、フィンチ型よりも知的さが増していた。
「カトリネが変化し始めたのは良いんだけど、調子が良くないみたいで…何か良い薬はないかと思って。食欲もないみたいだし」
「そう、それは可哀想だね。じゃあ調合してあげるから待っててくれるかな」
「はい。ありがとうございます」
 エレオノーラは頭を下げて、店の隅に用意されているソファーに腰を下ろした。小さいが、リクの店はとても居心地が良い。薬草や他のたくさんの薬になるものが溢れている店内には、草木の香りと、なんだか不思議な、心の落ち着く香りが充満している。二つほどある丸い形の大きな窓からは、四季の陽射しが入り込んできて温かな雰囲気を醸し出す。その中で、ゆったりとして優しげなリクの仕草は、本当に綺麗でそつがない。
 長い指で小さな薬剤棚をいくつも開けて迷いなく素材を取り出し、時々考えながら分量を量り、使い慣れた道具で飲みやすい形へと変えていく。その間も、優しい明るめの赤い瞳はとても楽しそうに笑みの形に保たれている。
 その目が、不意にエレオノーラに向けられた。
「エレオノーラは、元気?」
「え?」
 言われた事が分からず、青い瞳が虚を突かれた様になる。それにリクはくすくすと笑った。
「分からないなら、大丈夫かな」
 そう言われて、この間、自分の家の庭で言われたリクの言葉を思い出した。
「心配してくれてたんだよね、リク先生。ありがとう」
「俺は勝手に心配してるだけだから。でも、本当に心配は要らないよ。そのうち必ず変化はあるから」
 手元に視線を戻しても、優しい声のままにリクはエレオノーラに話しかけた。
「うん。カトリネにまで先を越されたのは情けないけど。でも…」
 そこまで言ってエレオノーラは言葉を濁した。
 大人の象徴に憧れは勿論ある。カトリネの変化に心が沈んだのも本当だ。だが、まだ青い瞳でいる事に、僅かではあるが安心している日々を送っているのも事実だった。朝起きた時に真っ先に鏡を見る。そして見慣れた青い瞳に安堵している自分がいるのだ。
 それが誰を想って安堵しているのかは、エレオノーラは何となく知っている。が、誰にもいえない。ヴェルナにでさえ。
「エレオノーラ?」
 リクの呼ぶ声に、エレオノーラは我に返って慌ててにっこりと笑った。それにリクは、少しだけ意地悪げに唇に弧を描く。
「何か違う事考えてただろう」
「…そんな事ないよ?」
「本当?エレオノーラもお年頃だし…誰か好きな人ができた。とか?」
 小さい頃からエレオノーラをよく知っている青年は、楽しげに顔を綻ばせて言う。それにエレオノーラの頬が一気に赤くなってぶんぶんと頭を振った。
「違うもん。そんなんじゃない」
「ははは。そういうことにしておいてあげよう」
 リクは声を立てて笑い、自分の妹のような存在の少女を愛でて薬を調合させた。エレオノーラは真っ赤になった顔を、白い手で隠すようにして俯きながら大きな溜息をついた。
 好きな人という言葉が、幾重にも重なっていく。それは決して明るい意味を持つとは限らない。混沌とした空気を纏いながらエレオノーラの中に溜まっていく澱は、優しくも切なくて、冷たくて温かい。
 そこに煌びやかに見えるのは、明るい栗色の髪の毛と瞳。
 思わずはっきりと見えたその残像に、エレオノーラは目を見張った。水のような青い瞳が一点を見つめて身動きすら出来なくなる。
 自覚。
 した瞬間だった。
 

「今宵、真紅の口づけを」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く