今宵、真紅の口づけを

5

 夕食後、今日はエレオノーラがヴェルナの家にいた。二人は、歩いてすぐのお互いの家をよく行き来しては、寝る前まで一緒に過ごしている。
 エルネスティと言い合ったヴェルナは、あれからちゃんと家に帰っていたようだ。エレオノーラがヴェルナの様子を見に行った時にはもうかなり落ち着いていた。
 女の子らしい、天蓋付きの花柄のベッドにごろんと横になっていたヴェルナは、スカートの裾が乱れるのもかまわずに寝返りを打っては溜息をついている。エレオノーラが尋ねてきた時から、かれこれ半時間はそうしている。エレオノーラは特に問い詰めたりせず、母親の持たせてくれたクッキーを食べながらその様子を見ていた。そして何度目かの溜息をついたヴェルナに静かに問いかける。
「ヴェルナ、どうかした?アーツに何か言われたの?」
「ううん。そうじゃない」
「じゃあ何?」
 エレオノーラが首を傾げながら聞くと、ヴェルナは困ったような顔でエレオノーラの水のような青い瞳を見た。
「友達になってって言われたの」
「友達?…アーツに?」
「うん」
 こくりと頷いたヴェルナは、また大きな溜息をついて天井を見上げた。赤い瞳がなぜか頼りなげに天井から下げられた硝子細工の照明を眺めた。透明度の高い硝子から、珊瑚色の優しくてぬくもりのある光が部屋全体を照らし出している。
「別に、悪いことじゃないんじゃない?」
 エレオノーラは、はっきり言うと何をそんなに溜息をつくことがあるのか分からなかった。人間でも吸血族でも他の種族でも、友達が出来ることの何がそんなに悪いのか。
 しかしヴェルナは明らかに戸惑って困っているようにさえ見える。
「なんでそんなに悩んでるみたいなの?」
 柔らかいクッションに凭れながらエレオノーラは問う。でもそれにヴェルナはあいまいな笑みを浮かべて口を開いた。
「仲良くなっても良いことなんかないと思うもの。…エレオノーラも気をつけて」
 いきなりそんなことを言われてエレオノーラは言葉を詰まらせた。
 気をつけるって、何を?
 ヴェルナの言っていること、言いたい事がまるで分からなくてエレオノーラは聞き返そうとしたが、窓を見ているその赤い瞳を見ると、言葉が出なかった。
 何かを我慢しようとしているような、渇望しているような、不安と共に揺れている瞳は、いつもの明るく元気なヴェルナらしくない色を滲ませていた。
「エレオノーラ」
 ヴェルナがゆっくりと視線をエレオノーラにめぐらせて、にっこりと笑う。
「早く、大人になりたい?」
「え?」
「エレオノーラが悩んでることくらいは知ってるつもりだよ。変化のないことに」
 静かに優しい声でヴェルナは言うと、体を起こしエレオノーラの傍まで来て、ぴったりと肩をつけるように寄り添った。
 長い睫毛を伏せて、小さな声でヴェルナは語りかける。
「私だけ先に変化があったこと、本当は凄く嫌だったんだ。…エレオノーラと一緒に大人になりたかった。でも今は…大人になんかなりたくないの。だからエレオノーラが羨ましい」
「私が…羨ましい?」
 思いもよらないヴェルナの言葉にエレオノーラは目を丸くした。全く逆のことを考えている幼馴染の考えが理解できない。深い色を湛えた赤い瞳に、また渇望と不安を滲ませて、ヴェルナは見上げるようにエレオノーラを見た。
「私もまだちゃんと大人になることがどんなことかは分からないけど、それでも、子供の方がよかったって思うの。自分が穢れていくようで怖いんだ。だから、エレオノーラには、もう少しそのままでいて欲しい」
「よく分からないけど…でも、ヴェルナがそんな風に思ってるなんて知らなかった。私ばっかりが悩んでるって思って、ヴェルナやエーヴァを羨ましく思ってたんだよ」
「ないものねだりかな、私達」
 クスクス笑うヴェルナは、細い腕を伸ばして横からエレオノーラの体を抱きしめた。そのまま長い金色の髪の毛を撫でて呟く。
「私が変わっても、エレオノーラは私のことを今のままで見てくれるかな?」
 俯いた顔は見えないが、僅かに涙声になっているヴェルナの様子に、エレオノーラもまたその腕を回して抱き締め返した。
「何をそんなに不安に思っているの?私は、ヴェルナが大好きだし、それは変わらないから」
「ありがとう。今日は変なことがあったから、ちょっとおかしいんだ。ごめん」
「変なこと…でも、謝ってたよ。エルネスティ」
 エルネスティの言葉と、うっすらと赤くなった顔と、野いちごをくれた大きな手。
 そして何より、エルネスティの微笑みを思い出してエレオノーラの顔が綻ぶ。見上げたヴェルナはその顔を見て、また複雑な色を瞳に燈した。
「私はあんまり好きじゃないよ、あいつ」
「良いよ。でもアーツは嫌いじゃないでしょ?」
「…それは、まぁ」
「じゃあ、アーツとは友達になれそう?」
「……それも、まぁ。あんまり自信ないけど」
「だったらまた会おうよ。私がエルネスティの相手しておいてあげるから」
 エレオノーラはそう言って、自分でおかしくて笑ってしまった。
 相手しておいてあげる。じゃなくて、自分がエルネスティに相手して欲しいだけなのに。もっと知りたい気持ちは今日のことでまた深くなった。何を考えているかよく分からない少年のあの優しい微笑みに、エレオノーラはすっかり惹かれてしまっていた。
 でもまだ、それを完全には自分では気付いていない。気にはなってるが、理由がエレオノーラの中でふわふわと漂い、捕まえようとすると逃げてしまう。
 まるで気付かない方が幸せだと言うように。
 でも気になって、想うだけで、温かい気持ちになれる事が嬉しくて仕方なかった。しかし反対に魔族である自分を、完全には受け入れてもらえることはないだろうとも思っている。今はまだ青い瞳を見て、僅かでも微笑んでくれる。しかし赤い瞳になった時には、ヴェルナのように睨まれてしまうかもしれない。そう思うと変化した後にエルネスティに会うのが怖い。大人になりたい気持ちには変わりないけれど…悩む。
 栗色の髪と瞳の少年は、エレオノーラの心に悩みと想う気持ちとを与えてくれたようだ。
「エレオノーラ?」
「何?」
 綻ぶ顔のままにヴェルナを見たエレオノーラに、ヴェルナは首を振ってまたエレオノーラを抱き締めた。
「あんたはそのまま優しい子でいてね…」
 エレオノーラには聞こえないほどのヴェルナの声は、唇から零れずにヴェルナの中に飲み込まれた。

 

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