今宵、真紅の口づけを
4
長い沈黙があった。
二人ともその場で立ったまま、何も言わない重い空気だけが通り過ぎる。エレオノーラの中の否定と肯定もどちらも拮抗したように引かず、答えは一向に出ない。混乱した思考で、ふと目線をあげてエルネスティを見ると、自分を見つめている栗色の瞳とぶつかった。
何の感情も読めないその綺麗な瞳がいつから自分を見ていたのだろう。全く気付かなかったことにエレオノーラは驚いた。自分も魔族の端くれだし、人間に比べれば気配や感覚に訴えてくるものに対しては敏感なはずだ。
それなのに、全く気付かないままでいたなんて。それほど考え込んでいたと言うことか。
「あ、あの…」
思わず何か言いかけて、エレオノーラは再び黙り込んだ。
何を言うつもり?謝るの?更に文句を言うの?
そう思うと、言葉が出てこない。唇だけが、何か言いたげに小さく震える。それを見ていたエルネスティは、小さく溜息をついて掻き毟るように栗色の髪の毛をかき上げた。無造作に結われていた髪の毛が乱れて顔の輪郭を隠した。
「悪かった…」
「……え?」
「いや…だから。きついこと言って…ごめん」
小さく呟くような言葉は謝罪。それにエレオノーラは弾かれたように頭を下げて謝る。
「私の方こそごめんなさい。何も知らないのに叩いたりして」
「それは……痛かった」
「…だよね」
叩いたエレオノーラの手も痺れたほどだ。痛くないわけがない。実際エルネスティの日焼けした頬はうっすらと赤くなっている。
いたたまれなくなって、穴があったら入り込んでしまうのでないかと思うほどに塞ぎこんだエレオノーラを見て、エルネスティは小さく笑った。喉の奥で呆れたような、でもどこか面白がっているような笑い方に、エレオノーラは少しだけ顔を上げる。
「お前…面白いな」
「何…が?」
キョトンとしたその青い瞳が面白いのかエルネスティはまだ笑っている、でも小さくクスクスと。大笑いしないのはエルネスティの笑い方なのかなと、エレオノーラは頭の片隅で思った。目尻の下がった優しい表情にほっとして温かい気持ちになりながら。
「あんだけ怒っていながら今は泣きそうになって俺に謝るし…面白い」
「そう…かな?」
自分では分からない。先ほどのような感情の変化の仕方も滅多にないものだから、そんな風に言われたのも初めてだ。
ただ、赤い瞳に憧れるエレオノーラは、自分の理想を汚されたように思って腹が立った。いずれ変わると思っても焦りの中から抜け出せない少女には、ヴェルナの、他の大人たちと比べても美しい濃紅の瞳は神聖なもののようにさえ感じていた。深くて底の見えない血の海のような赤い、紅い瞳。それがどれだけ羨ましいものか、エルネスティには分からないだろう。
それと同時に、森の中で助けてくれた、優しいエルネスティが見せた感情にショックを受けたのもあった。初めて会った時よりも何倍にもあたる嫌悪感と不快感、憎しみのようなものをまともに感じて、心の中に突き刺さる刃。
痛みと切なさ。それがエレオノーラをあんな行動に走らせた。
エルネスティは長衣の下の、腰元に括りつけていた袋からごそごそと何かと取り出した。それをエレオノーラに差し出す。
「やる」
「え?」
見るとそれは、瑞々しい野いちご。宝石のような輝きを見せる果物にエレオノーラは思わず笑顔を見せた。
「良いの?」
「ん」
「…ありがとう」
大きなエルネスティの手は片手で難なく野いちごを蓄えていたが、エレオノーラには多すぎた。いくつか地面に落としてしまい、慌てて座り込んでそれらを拾おうとすると、先にエルネスティが拾い上げてくれた。川の水で野いちごについた汚れを流したエルネスティは、エレオノーラにそれを返さず、自らの口に運んだ。
「ん…うまい」
表情は相変わらず殆どないが、それでも美味しいのか穏やかな顔を見せる。そのまま藍色の長衣をふわりと広げてその場に座り込み、野いちごを食べる少年の傍に、エレオノーラもしゃがみ込む。
「エルネスティ…」
顔は見ないままに、エレオノーラは野いちごを水で洗いながら問いかける。冷たい水が気持ち良い。
「なんだ」
「どうして…私達のことが嫌い?」
聞いてどうなるものでもないけど、聞かずにはいられない。もっと傷つくことを言われるかもしれない。でも、エルネスティのことをもっと知りたいと思う気持ちの方が強かった。
それにエルネスティは答えない。じっと流れる水面を見つめたまま、眉間に皺を刻んでいる。
「言いたくないなら…いい。ごめんなさい」
「お前のせいじゃない」
ポツリと、エルネスティは答えた。どこか押し殺したような声にエレオノーラは大きな青い瞳を揺らめかせる。
「お前でも、あの子のせいでもない。俺のことだから…気にするな。それに」
「…それに?」
エレオノーラが聞き返すと、エルネスティはいくらか間を置いて青い瞳を見て言葉を零した。
「お前なら、嫌じゃない」
嫌じゃない…。
その言葉は、エレオノーラの心の中に静かに染み込んでいくように馴染んだ。口下手だろうと思うエルネスティの言うことに嘘はないだろう。そう思うとエレオノーラは嬉しくなった。
自然と、青い瞳が幸せそうな色を湛えて、顔が綻んでいく。花の咲いたような笑顔にエルネスティは僅かに目を見開いた。
「何笑ってんだよ」
「…嬉しいから」
「嬉しい?」
「エルネスティに嫌われてないって思えたから」
素直なエレオノーラの言葉に、エルネスティは一瞬キョトンとした後、さっと頬に朱をはいて目を逸らした。
「変な奴」
ぶっきらぼうな声に、エレオノーラはくすくすと笑っての野いちごを口に放り込んだ。
「そうかな?嫌われるより嬉しいよ?…うん。いちごも美味しい」
太陽の下で笑う魔族の少女の笑顔は、陽射しに負けないほどに輝いていた。視界の端にそれを収めたエルネスティは眩しそうに見た後、不意に優しく微笑んだ。
「そっか」
そう言ったエルネスティの顔に、エレオノーラはこの間のように釘付けになる。笑っている時よりも更に優しい顔に、新しい一面を見たような気持ちになり、同時に胸に込みあがるような甘い感覚。いつまでも見ていたくなる優しいエルネスティの表情を、焼き付けるかのようにエレオノーラは見つめていた。
二人ともその場で立ったまま、何も言わない重い空気だけが通り過ぎる。エレオノーラの中の否定と肯定もどちらも拮抗したように引かず、答えは一向に出ない。混乱した思考で、ふと目線をあげてエルネスティを見ると、自分を見つめている栗色の瞳とぶつかった。
何の感情も読めないその綺麗な瞳がいつから自分を見ていたのだろう。全く気付かなかったことにエレオノーラは驚いた。自分も魔族の端くれだし、人間に比べれば気配や感覚に訴えてくるものに対しては敏感なはずだ。
それなのに、全く気付かないままでいたなんて。それほど考え込んでいたと言うことか。
「あ、あの…」
思わず何か言いかけて、エレオノーラは再び黙り込んだ。
何を言うつもり?謝るの?更に文句を言うの?
そう思うと、言葉が出てこない。唇だけが、何か言いたげに小さく震える。それを見ていたエルネスティは、小さく溜息をついて掻き毟るように栗色の髪の毛をかき上げた。無造作に結われていた髪の毛が乱れて顔の輪郭を隠した。
「悪かった…」
「……え?」
「いや…だから。きついこと言って…ごめん」
小さく呟くような言葉は謝罪。それにエレオノーラは弾かれたように頭を下げて謝る。
「私の方こそごめんなさい。何も知らないのに叩いたりして」
「それは……痛かった」
「…だよね」
叩いたエレオノーラの手も痺れたほどだ。痛くないわけがない。実際エルネスティの日焼けした頬はうっすらと赤くなっている。
いたたまれなくなって、穴があったら入り込んでしまうのでないかと思うほどに塞ぎこんだエレオノーラを見て、エルネスティは小さく笑った。喉の奥で呆れたような、でもどこか面白がっているような笑い方に、エレオノーラは少しだけ顔を上げる。
「お前…面白いな」
「何…が?」
キョトンとしたその青い瞳が面白いのかエルネスティはまだ笑っている、でも小さくクスクスと。大笑いしないのはエルネスティの笑い方なのかなと、エレオノーラは頭の片隅で思った。目尻の下がった優しい表情にほっとして温かい気持ちになりながら。
「あんだけ怒っていながら今は泣きそうになって俺に謝るし…面白い」
「そう…かな?」
自分では分からない。先ほどのような感情の変化の仕方も滅多にないものだから、そんな風に言われたのも初めてだ。
ただ、赤い瞳に憧れるエレオノーラは、自分の理想を汚されたように思って腹が立った。いずれ変わると思っても焦りの中から抜け出せない少女には、ヴェルナの、他の大人たちと比べても美しい濃紅の瞳は神聖なもののようにさえ感じていた。深くて底の見えない血の海のような赤い、紅い瞳。それがどれだけ羨ましいものか、エルネスティには分からないだろう。
それと同時に、森の中で助けてくれた、優しいエルネスティが見せた感情にショックを受けたのもあった。初めて会った時よりも何倍にもあたる嫌悪感と不快感、憎しみのようなものをまともに感じて、心の中に突き刺さる刃。
痛みと切なさ。それがエレオノーラをあんな行動に走らせた。
エルネスティは長衣の下の、腰元に括りつけていた袋からごそごそと何かと取り出した。それをエレオノーラに差し出す。
「やる」
「え?」
見るとそれは、瑞々しい野いちご。宝石のような輝きを見せる果物にエレオノーラは思わず笑顔を見せた。
「良いの?」
「ん」
「…ありがとう」
大きなエルネスティの手は片手で難なく野いちごを蓄えていたが、エレオノーラには多すぎた。いくつか地面に落としてしまい、慌てて座り込んでそれらを拾おうとすると、先にエルネスティが拾い上げてくれた。川の水で野いちごについた汚れを流したエルネスティは、エレオノーラにそれを返さず、自らの口に運んだ。
「ん…うまい」
表情は相変わらず殆どないが、それでも美味しいのか穏やかな顔を見せる。そのまま藍色の長衣をふわりと広げてその場に座り込み、野いちごを食べる少年の傍に、エレオノーラもしゃがみ込む。
「エルネスティ…」
顔は見ないままに、エレオノーラは野いちごを水で洗いながら問いかける。冷たい水が気持ち良い。
「なんだ」
「どうして…私達のことが嫌い?」
聞いてどうなるものでもないけど、聞かずにはいられない。もっと傷つくことを言われるかもしれない。でも、エルネスティのことをもっと知りたいと思う気持ちの方が強かった。
それにエルネスティは答えない。じっと流れる水面を見つめたまま、眉間に皺を刻んでいる。
「言いたくないなら…いい。ごめんなさい」
「お前のせいじゃない」
ポツリと、エルネスティは答えた。どこか押し殺したような声にエレオノーラは大きな青い瞳を揺らめかせる。
「お前でも、あの子のせいでもない。俺のことだから…気にするな。それに」
「…それに?」
エレオノーラが聞き返すと、エルネスティはいくらか間を置いて青い瞳を見て言葉を零した。
「お前なら、嫌じゃない」
嫌じゃない…。
その言葉は、エレオノーラの心の中に静かに染み込んでいくように馴染んだ。口下手だろうと思うエルネスティの言うことに嘘はないだろう。そう思うとエレオノーラは嬉しくなった。
自然と、青い瞳が幸せそうな色を湛えて、顔が綻んでいく。花の咲いたような笑顔にエルネスティは僅かに目を見開いた。
「何笑ってんだよ」
「…嬉しいから」
「嬉しい?」
「エルネスティに嫌われてないって思えたから」
素直なエレオノーラの言葉に、エルネスティは一瞬キョトンとした後、さっと頬に朱をはいて目を逸らした。
「変な奴」
ぶっきらぼうな声に、エレオノーラはくすくすと笑っての野いちごを口に放り込んだ。
「そうかな?嫌われるより嬉しいよ?…うん。いちごも美味しい」
太陽の下で笑う魔族の少女の笑顔は、陽射しに負けないほどに輝いていた。視界の端にそれを収めたエルネスティは眩しそうに見た後、不意に優しく微笑んだ。
「そっか」
そう言ったエルネスティの顔に、エレオノーラはこの間のように釘付けになる。笑っている時よりも更に優しい顔に、新しい一面を見たような気持ちになり、同時に胸に込みあがるような甘い感覚。いつまでも見ていたくなる優しいエルネスティの表情を、焼き付けるかのようにエレオノーラは見つめていた。
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