今宵、真紅の口づけを
3
身震いするような冷ややかさと、嫌悪感を湛えた栗色の瞳がエレオノーラとヴェルナに注がれている。木の傍に立ったまま身動き一つしないエルネスティを、エレオノーラもまた呼吸すら忘れたかのように見つめ返した。藍色の長衣と背中に携えた弓矢、森の中で迷子になったエレオノーラを助けてくれた時となんら変わりない姿なのに、今日は別人に見える。
その様子をヴェルナも黙って、そして自分たちに向けられている感情をまともに受けながら見つめている。
「エルネスティ?」
アーツだけは何となく雰囲気の悪さを覚えながらも、穏やかな笑顔で栗色の少年に話しかけた。それにエルネスティは我に返ったかのように視線をアーツに流して、ぎこちなく頷いた。
「お前が見えなくなったから心配したんだ」
そっけない声で言ったエルネスティにアーツはにっこりと笑う。
「ごめん。そこの木に鳥がいるんだ」
アーツの指し示す木を見上げたエルネスティは、何も言わずにその木の下で少し考えると、一番低い位置にあった枝に飛び上がりすいすいと登り始めた。枝の間を器用に何事もなく登っていき、しばらくすると今度はするする下りてくる。片手には、アーツの仕留めたのだろう鳥を持って。
息の一つも切れていない少年は、アーツに鳥を無言で手渡すと、ちらりとエレオノーラとヴェルナを見て、一瞬の、悪寒の走るほどの冷たい色を瞳に宿らせて視線を外した。
「ありがとう、エルネスティ」
アーツがにっこり笑うと、気まずそうな顔でエルネスティはまた頷いた。
「別に…帰る」
「え?もう?せっかくエレオノーラとヴェルナに知り合えたのに?」
アーツが二人の少女を見ながら残念そうに言うと、エルネスティは思わずといった様子で思い切りエレオノーラとヴェルナを睨みつけた。
「魔族になんか用はない」
あからさまな怒りを含んだ声音に、エレオノーラは驚いて目を見開き体を強張らせた。それはヴェルナも同じだったようだが、エレオノーラと違って、ヴェルナはその赤い瞳にエルネスティに対する怒りを燈らせて栗色の瞳を睨んだ。
「どういうことよっ!」
声を荒げたヴェルナに、エレオノーラは慌てて取り繕おうとして顔を見たが遅かった。ヴェルナの声が穏やかな森の中に響き渡るように、普段ニコニコと笑う唇から放たれる。
「この間も失礼だと思ったけど、今日も最低ねっ!私達があなたに何をしたの!?そこまで嫌われる理由が全く分からないわ。それに、エレオノーラはこの間貴方を助けたじゃない。そんな子にまであんな目つきをしてどういうつもり!?私達は会ったばかりの相手にそこまで敵意はないし、あったとしても見せないわっ」
いつも白い顔を真っ赤にして怒るヴェルナを、エルネスティは黙って見ていた。眉一つ動かさずに冷めた目でじっと見つめて、ヴェルナが言い終わると口の端を僅かに持ち上げて、蔑むように笑う。そして見た目に似合わない低い声で言う。
「その目だ」
「…何?」
「その目が気に入らない。赤い…おぞましい目。俺にはお前が誰だろうが関係ない。ただその魔族の、吸血族のその目が虫唾が走るくらいに嫌いなんだ」
抑揚のない声が、エルネスティの本気を感じさせる。その気迫に誰も何も言えなくなった。
しかしエレオノーラは、すぐ後ろでヴェルナの細い肩が震えているのを感じて、頭の芯が千切れそうなほどに怒りを覚えた。体の奥底からわき上がる感情で目の前が赤く染まりそうになる。
そのまま無言でエルネスティに歩み寄ると、白い小さな手をエルネスティの頬に思い切り打ち付けた。小気味いい音が森の緑に吸い込まれるように消えていく。
それにアーツもヴェルナも目を見張ってエレオノーラを見つめた。
「謝って」
震える声は、それでもしっかりとした口調でエルネスティに向けられる。
「ヴェルナに謝って!」
もう一度エレオノーラが言うと、エルネスティは叩かれた頬を押さえながら、きつい眼差しでエレオノーラを見て、小さく舌打ちをした。しかしそれはエレオノーラに向けられたと言うよりは、自分に対してしたもののように感じる。
「私たちは大人になれば必ず赤い目になるの。それはどうしようもないことなの。自分じゃどうしようも出来ないのよ。エルネスティがどうしてそこまで私達を嫌うのかは分からない。でも、さっきのは許せない…だから謝って」
涙の混じるその声に、エルネスティは無言で視線を逸らした。複雑な感情を見せる顔で、どこを見て良いのか分からないように栗色の瞳が彷徨う。
「エレオノーラ、もう良いよ」
小さな声がエレオノーラの昂ぶった感情を抑えるように聞こえた。振り返るとヴェルナが泣きながらエレオノーラを見て微笑んでいた。深い赤い瞳が揺れ動き、大粒の涙をポロポロと零している。
「もう良いよ。人間とは分かり合えないんだよ。だから、帰ろう」
「でも…」
「良いの、本当に」
ヴェルナは大きく息を吐き出してそれだけ言うと、エレオノーラの言葉を待たずに踵を返して走り出した。
「…ちょっと!ヴェルナっ」
エレオノーラが反射的にその背中を追いかけようとすると、アーツが動いた。
「俺が追いかける。運動は苦手だけど、それでもエレオノーラよりは速いはずだから」
明るい声で言って、あっという間にその姿をヴェルナの消えた森の中に紛れさせた。
取り残されたエレオノーラとエルネスティに、これ以上ないほどの気まずい空気が纏い付く。勢い余って叩いてしまったエルネスティの頬を見て、エレオノーラは何も言えなくなってうつむいた。
でも間違ってない。あれはエルネスティが言い過ぎたんだもの。
でも…エルネスティがここまで魔族、吸血族を嫌う理由を知らない。なのに自分の感情に任せて叩いてしまった。
それは……よくない事。だよね…。
否定と肯定がグルグルとエレオノーラの中で渦を巻く。それに思考が混乱して何を考えていたのかも分からなくなりそうだった。穏やかな川の流れる音と、エルネスティの気配と、少し苦手な太陽の陽射しがエレオノーラを包み込んでいた。
その様子をヴェルナも黙って、そして自分たちに向けられている感情をまともに受けながら見つめている。
「エルネスティ?」
アーツだけは何となく雰囲気の悪さを覚えながらも、穏やかな笑顔で栗色の少年に話しかけた。それにエルネスティは我に返ったかのように視線をアーツに流して、ぎこちなく頷いた。
「お前が見えなくなったから心配したんだ」
そっけない声で言ったエルネスティにアーツはにっこりと笑う。
「ごめん。そこの木に鳥がいるんだ」
アーツの指し示す木を見上げたエルネスティは、何も言わずにその木の下で少し考えると、一番低い位置にあった枝に飛び上がりすいすいと登り始めた。枝の間を器用に何事もなく登っていき、しばらくすると今度はするする下りてくる。片手には、アーツの仕留めたのだろう鳥を持って。
息の一つも切れていない少年は、アーツに鳥を無言で手渡すと、ちらりとエレオノーラとヴェルナを見て、一瞬の、悪寒の走るほどの冷たい色を瞳に宿らせて視線を外した。
「ありがとう、エルネスティ」
アーツがにっこり笑うと、気まずそうな顔でエルネスティはまた頷いた。
「別に…帰る」
「え?もう?せっかくエレオノーラとヴェルナに知り合えたのに?」
アーツが二人の少女を見ながら残念そうに言うと、エルネスティは思わずといった様子で思い切りエレオノーラとヴェルナを睨みつけた。
「魔族になんか用はない」
あからさまな怒りを含んだ声音に、エレオノーラは驚いて目を見開き体を強張らせた。それはヴェルナも同じだったようだが、エレオノーラと違って、ヴェルナはその赤い瞳にエルネスティに対する怒りを燈らせて栗色の瞳を睨んだ。
「どういうことよっ!」
声を荒げたヴェルナに、エレオノーラは慌てて取り繕おうとして顔を見たが遅かった。ヴェルナの声が穏やかな森の中に響き渡るように、普段ニコニコと笑う唇から放たれる。
「この間も失礼だと思ったけど、今日も最低ねっ!私達があなたに何をしたの!?そこまで嫌われる理由が全く分からないわ。それに、エレオノーラはこの間貴方を助けたじゃない。そんな子にまであんな目つきをしてどういうつもり!?私達は会ったばかりの相手にそこまで敵意はないし、あったとしても見せないわっ」
いつも白い顔を真っ赤にして怒るヴェルナを、エルネスティは黙って見ていた。眉一つ動かさずに冷めた目でじっと見つめて、ヴェルナが言い終わると口の端を僅かに持ち上げて、蔑むように笑う。そして見た目に似合わない低い声で言う。
「その目だ」
「…何?」
「その目が気に入らない。赤い…おぞましい目。俺にはお前が誰だろうが関係ない。ただその魔族の、吸血族のその目が虫唾が走るくらいに嫌いなんだ」
抑揚のない声が、エルネスティの本気を感じさせる。その気迫に誰も何も言えなくなった。
しかしエレオノーラは、すぐ後ろでヴェルナの細い肩が震えているのを感じて、頭の芯が千切れそうなほどに怒りを覚えた。体の奥底からわき上がる感情で目の前が赤く染まりそうになる。
そのまま無言でエルネスティに歩み寄ると、白い小さな手をエルネスティの頬に思い切り打ち付けた。小気味いい音が森の緑に吸い込まれるように消えていく。
それにアーツもヴェルナも目を見張ってエレオノーラを見つめた。
「謝って」
震える声は、それでもしっかりとした口調でエルネスティに向けられる。
「ヴェルナに謝って!」
もう一度エレオノーラが言うと、エルネスティは叩かれた頬を押さえながら、きつい眼差しでエレオノーラを見て、小さく舌打ちをした。しかしそれはエレオノーラに向けられたと言うよりは、自分に対してしたもののように感じる。
「私たちは大人になれば必ず赤い目になるの。それはどうしようもないことなの。自分じゃどうしようも出来ないのよ。エルネスティがどうしてそこまで私達を嫌うのかは分からない。でも、さっきのは許せない…だから謝って」
涙の混じるその声に、エルネスティは無言で視線を逸らした。複雑な感情を見せる顔で、どこを見て良いのか分からないように栗色の瞳が彷徨う。
「エレオノーラ、もう良いよ」
小さな声がエレオノーラの昂ぶった感情を抑えるように聞こえた。振り返るとヴェルナが泣きながらエレオノーラを見て微笑んでいた。深い赤い瞳が揺れ動き、大粒の涙をポロポロと零している。
「もう良いよ。人間とは分かり合えないんだよ。だから、帰ろう」
「でも…」
「良いの、本当に」
ヴェルナは大きく息を吐き出してそれだけ言うと、エレオノーラの言葉を待たずに踵を返して走り出した。
「…ちょっと!ヴェルナっ」
エレオノーラが反射的にその背中を追いかけようとすると、アーツが動いた。
「俺が追いかける。運動は苦手だけど、それでもエレオノーラよりは速いはずだから」
明るい声で言って、あっという間にその姿をヴェルナの消えた森の中に紛れさせた。
取り残されたエレオノーラとエルネスティに、これ以上ないほどの気まずい空気が纏い付く。勢い余って叩いてしまったエルネスティの頬を見て、エレオノーラは何も言えなくなってうつむいた。
でも間違ってない。あれはエルネスティが言い過ぎたんだもの。
でも…エルネスティがここまで魔族、吸血族を嫌う理由を知らない。なのに自分の感情に任せて叩いてしまった。
それは……よくない事。だよね…。
否定と肯定がグルグルとエレオノーラの中で渦を巻く。それに思考が混乱して何を考えていたのかも分からなくなりそうだった。穏やかな川の流れる音と、エルネスティの気配と、少し苦手な太陽の陽射しがエレオノーラを包み込んでいた。
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