今宵、真紅の口づけを

2

 一月ぶりに森の中に足を踏み入れたエレオノーラは、緑の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
 太陽の光が緑に間から注ぎ込まれてくる。苦手ではあるが、やはり少しばかり気持ちが良いと感じて、見上げた青い瞳をにっこりと笑みの形に変えた。
「やっと一緒に遊べるね」
 ヴェルナも嬉しそうに笑って森の中を共に歩いていく。行き先はいつもの遊び場。花が咲き小さな川が流れる場所は二人にとって話しをしたり果物を取ったりするお気に入りの場所だ。
 森の中央、エレオノーラが迷った所の手前にあるそこまでの道を、他愛もない話をしながらゆっくりと歩く。明るい森の中は、嘘のように穏やかでエレオノーラは久し振りということもあり、いつもより足も軽かった。
 やや広さのある川のそばにたどり着いた二人は、少しだけ離れた場所に誰かがいるのを見つけた。明るいシャンパン色の短い髪の毛の、萌葱色もえぎいろの長衣を来た人物が、空を見上げて立っていた。
「…人間?」
 ヴェルナが独り言のように呟く、それにエレオノーラも小さく頷いた。
「この間といい、人間が何しに来てるの?」 
 ヴェルナはエルネスティのことを言っているのだろう。赤い瞳に、ややきつい色を滲ませた。
「ヴェルナ…そんな言い方しなくても」
 エレオノーラは苦笑しながらも、そっとその人間の方に近づこうとする。それをヴェルナが慌てて止めた。
「あんたまた行こうとしてるの!?この間もそうやって嫌なこと言われたのに」
「んー…でも、この間はそんなに悪い子じゃなかったよ?エルネスティ」
「…どういうこと?」
 思わず言ってしまって、エレオノーラは口を押さえてヴェルナから目を逸らした。ヴェルナには、エルネスティに再会した事を言っていなかった。秘密にしたかったわけじゃない。ただエルネスティの言った言葉で、ヴェルナは傷ついた。だから名前を出したり話題に上げることを躊躇っただけのことなのだが。
 しかし、今言ったことで、ヴェルナはその大人びた顔に不快感を見せてエレオノーラを見つめている。
「エレオノーラ…隠してたことはそれ?」
 厳しい声に、思わずエレオノーラはヴェルナを見る。ヴェルナの深い、濃紅こいくれないのような赤い瞳が青い瞳を捉えて離さない。
「別に隠すつもりはなかったの」
「じゃあ何?」
「ヴェルナが、エルネスティのことよく思ってないから…話題にしたら嫌な想いするかなって思って」
 声が小さくなって震えてしまう。
 ヴェルナを怒らせるつもりなどなかった。
 すっかり俯いてしまったエレオノーラを、ヴェルナは呆れたように見て、それから笑った。金色の髪の毛をそっと撫でて覗き込むように、俯いているエレオノーラの顔を下から見た。
「エレオノーラって、本当に可愛い」
「…は?」
「私がそれくらいで本当に怒るわけないじゃない。そりゃ嫌いだよ、あんな失礼なことを言う人間は…でも話の中で出てくる位じゃ怒らないよ。気を遣いすぎ」
 明るい声で笑ったヴェルナは、艶やかな黒髪を耳にかけながら『でも嬉しい。ありがとう』とはにかみながら言った。
 エレオノーラはその笑顔に心底安堵して透き通る青い瞳に嬉しそうな色を見せて微笑んだ。そのまま二人で先ほどの人間に対して視線を移すと、まだその場所で立っていた。だが、今はエレオノーラとヴェルナに視線は向けられている。萌葱色の長衣にも負けない、翡翠のような瞳が少女達を見て、それから穏やかに笑いかけてきた。
「こんなところに女の子がいるなんて…」
 そう言ったところで、言葉を詰まらせる。その翡翠のような色をした瞳がヴェルナに縫い付けられるように止まり、大きく目を見開かれるのを、エレオノーラは見ていることしかできなかった。
「赤い目…」
 ポツリと呟いたその声に、とっさにエレオノーラはヴェルナを庇う様に自身の背中に隠す。
 また、何か言われる。ヴェルナが傷つけられる。エレオノーラの無意識に起こしたその行動に、ヴェルナは目を丸くしてエレオノーラを見て、それから泣きそうな顔をして微笑んだ。
 しかし、目の前の人間は、そんなエレオノーラの考えを覆す言葉を零した。
「綺麗な瞳だね。初めて見たよ」
 明るい声でそう言って、軽やかな足取りで二人に歩み寄ってきた。近くで見ると、年はエレオノーラたちとそう変わりはなさそうな感じのする柔和な雰囲気の人間。思わず肩の力が抜けたエレオノーラは小さく笑ってヴェルナを見た。ヴェルナも、その顔にほっとしたような色を浮かべてエレオノーラの顔を見て笑う。
「魔族の娘さん?」
「…はい」
 ヴェルナに問いかけた翡翠色の瞳の青年は、その男らしい手を差し出した。
「俺はアーツ。人間」
「は?」
 思わぬ手に、ヴェルナはキョトンとしてそれをじっと見つめた。それは勿論エレオノーラも同じだ。ニコニコと笑うアーツと名乗った青年に、どう反応して良いのか全く分からない。しかしそんなことは気にもしていないアーツは、エレオノーラを見て、また更に笑みを深めて言う。
「君も魔族?」
「あ、はい…」
「そう。こんな所で魔族の子に会えるなんて思わなかったよ。よろしく」
「………はぁ…」
 これ以上なんと言えば良いのだろう。気の抜けた返事でエレオノーラは返すしかなかった。
 アーツと握手を交わした二人は、なぜこんなところにいるのかと尋ねてみた。するとアーツは先ほど見ていた空を見上げてぼやいた。
「さっき鳥を仕留めたんだけど、あそこの木の上に逃げられて…上れそうにないから困ってたんだ」
「鳥?」
「そう、俺はあまり運動が得意じゃないから」
 情けなさそうに笑ったアーツに、二人も思わず笑う。穏やかな談笑がしばらくあった後、突然誰かの声が聞こえた。
 それにエレオノーラの胸が一気に跳ね上がった。
 この声、知ってる。
 そう思うのと同時に現れたのは明るい栗色の髪の毛と瞳。藍色の長衣を纏ったエルネスティだった。
「アーツ、どこに行ってたん…」
 生い茂る枝葉を煩わしそうに払いながら姿を見せたエルネスティは、アーツの傍にいた二人の少女を見て目を見開き言葉を宙に放り投げた。
 その瞳でエレオノーラを見て、そして赤い瞳のヴェルナを見る。
「お前…」
 その瞳が、最初に会った日のように冷たくて嫌悪感を露にしたのを、エレオノーラは見逃さなかった。
 

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