今宵、真紅の口づけを

4

 エレオノーラは信じられない思いで、目の前の人物を見ていた。少し前に会った人間のことを。
 栗色の髪の毛を緩やかな風に靡かせた、同じ色の瞳を持つ少年もまた、驚いた顔で金髪碧眼の少女を見ている。藍色の膝下ほどの長衣を纏い、背中に弓矢を携えたエルネスティは静かにエレオノーラの前に立って、じっとその栗色の瞳で見下ろす。
 エレオノーラは、以前自分に向けられたエルネスティの視線を思い出して、思わず体に力を入れてその青い瞳で栗色の瞳を見て返した。
「エレオノーラ?」
 いきなり低い声で言われて、エレオノーラはビクッと体を震わせた。木の根に腰を下ろしていたが、そのまま立ち上がり、長身のエルネスティを見上げて、小さな声で言う。
「……脚は、治った?」
「……あぁ」
「そう。……よかった」
 自然と目を合わせていられなくなって、地面に視線を落としてしまう。普通に話してくれているが、彼の中では私は魔族で嫌われている存在。
 そう思うと、先ほどの心の中の黒いものと合わさって、なんとも言えない悲しい気持ちになってきた。また、木の根に腰を下ろしたエレオノーラを、エルエスティは見つめたまま、小さく言葉を零した。
「あの時は、本当に助かった。ありがとう」
 言いながら、エレオノーラの隣に座った少年は、直接顔を見るわけではないがそれでも心配しているのか、やや視線だけはエレオノーラの方に向けて問いかけた。
「それで、何でこんな場所にいるんだ?ここから先は人間の領地に入るぞ」
「そうなの?」
「あぁ。俺は狩りの途中だったんだ。一緒に来ていた犬がいなくなって探してた」
 気に寄生するように生えている草木を手で遊びながら、エルネスティは言う。長めの栗色の髪の毛が、頭上の木の枝の間から零れ落ちる陽光に照らされて更に明るい色に輝いている。それをまぶしそうに見たエレオノーラはふと気付いて問いかけた。
「もしかして、この間も犬を探してたの?」
「……あぁ、周りを見すぎてて、転んだんだ」
 恥ずかしそうに、僅かに頬を染めて言ったエルネスティに、エレオノーラは思わず小さく笑った。長い睫毛に囲まれた青い瞳が細められ、さっきまで不安に彩られていたのが嘘のように、晴れやかな笑顔を見せた。
「笑うな」
 むっとした顔でエルネスティがエレオノーラを睨む。だがその睨み方は前と違って笑みを含んだもので、年が近いだろう彼を身近に感じられるものだった。
「ごめんなさい。だってそんな理由だとは思わなかったから。あれから結構心配したんだよ?」
「心配?なんの」
 キョトンとしたエルエスティに、エレオノーラは顔を顰めて軽く睨んだ。
「貴方のことに決まってるじゃない。ちゃんと家に帰れたのかなって」
 言われてエルネスティは「あぁ、なるほどな」と呟いた。
「で、だから何でお前はここにいるんだ」
 再び同じ質問を投げかけられて、エレオノーラは黙り込んだ。
 まさか婚約者と喧嘩をしたとはいえない。自分が大人になれなくて、それを揶揄されてしまって癇癪を起こして出てきたら迷子になってしまったとは、恥ずかしいにも程がある。
 思えば思うほどに、自分のしたことがいたたまれなくなってきて青い瞳に涙が滲んでしまった。
「お前泣いてるのか?」
 エルネスティが目を見開いてエレオノーラを見る。それにエレオノーラは顔を背けて目尻の涙を拭った。
「迷子になって…帰れなくなったの」
「は?」
 気の抜けたエルネスティの声が聞こえた。そのあと少し間があいて、笑う声がエレオノーラの鼓膜に届いた。
 見ると、エルネスティがクスクスと笑っている。決して大笑いをしているわけではないが、目元が下がり、最初の印象など消し飛ぶほどに優しげな顔で笑う様子に、エレオノーラは目が釘付けになった。
 こんな顔も出来るんだ。
 素直に感心してしまっている自分に驚きながらも、エレオノーラの胸は高鳴る。明るい栗色の髪と瞳が輝いて見えて、甘い感覚がふんわりとエレオノーラの中をたゆたう。ほんのりとしたその感覚の意味をエレオノーラは知らない、そして自分自身ではまだ気付いていない。
 しばらく、お互いが何も言わないままに時間が過ぎて行った。緑の中で、特に何を話すでもない時間は心地よくて、どちらも立ち上がろうとせずその時間を共有した。
 しかし、ふと前を見据えたエルネスティの視線が何かに止まって、それから長い指を口に咥えると澄んだよく響く音を出した。
「何?」
 目を丸くしたエレオノーラに、エルネスティはちらりと視線を流して一言告げる。
「見つかった」 
 首を傾げるエレオノーラに気配が伝わる。サクサクと小気味良いほどにリズミカルな足音が聞こえてきて、純粋に主を思う心を持った動物の姿が見えた。
 黒くて大きな犬が木陰から飛び出してきてエルネスティに飛びかかった。長い尻尾をぶんぶん振ってじゃれ付く犬を、エルネスティは抱きしめて、その顔に穏やかな笑みを見せる。そのまま滑らかな毛を撫でてやると、犬はますます尻尾を振って気持ちを顕にした。
 しかし、その純真無垢な瞳がエレオノーラの青い瞳に向けられると、途端に牙を剥き出しにして威嚇する。低い唸り声を上げながら飛び掛らんとする大きな体を、エルネスティが力を入れて制してくれた。
「いつもはこんなじゃないのにな…クリフ、落ち着けよ」
 クリフと呼んだ犬を、上から押さえつけるようにしているエルネスティが、訳が分からないと言った様子で言う。それにエレオノーラは青い瞳を伏せて呟いた。
「私が魔族だからだよ」
 そう言って、そのまま立ち上がりエルネスティに背を向けた。
「おいっ、エレオノーラ?」
 静かに自分から離れようとする少女を、エルネスティは声をかけて止める。しかしエレオノーラは振り返らなかった。
 今エルネスティの顔を見たら、さっきよりももっと泣いてしまいそうだから。フェリクスの言葉が、またエレオノーラに降りかかる。婚姻のためだけの関係ですら満足に果たせない自分。動物にまで、その本性を見透かされて牙を見せられて威嚇されてしまう自分。
「私って…役に立たないなぁ」
 そう零すと、比例するように涙が下瞼を乗り越えて、白い頬に流れ落ちた。
 少し離れた木の根の下で、犬を押さえながらじっと見つめている栗色の瞳に気付かず、エレオノーラはその場を離れて、感覚を研ぎ澄まして家のある方向に向かって歩き出した。

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