今宵、真紅の口づけを

2

「なんなのよアイツはっ!」
 夕食を終えて、エレオノーラの部屋でヴェルナは顔を真っ赤にして未だ怒っていた。床に座り込んで黒髪と同じ黒のワンピースをぎゅっと握り、赤い瞳に悔しさを滲ませて、大人びた顔を子供のようにふくれっ面にしている。
「まぁ、そんなに怒らなくても…」
 濃紺のワンピース姿のエレオノーラは床に座り苦笑しながら、帰宅後作ったジャムを小さく切ったパンケーキにつけてヴェルナに手渡した。
「あんたは良いの?魔族ってだけであんな言われ方をして!」
「んー…そりゃ嫌だけど。でも仕方ないよ。悪いことする魔族がいるんだもん。それに、お礼言ってくれたよ?」
 エレオノーラの言葉に、ヴェルナは肩の力が抜けたのか、大きな溜息をついて項垂れた。
「何のお礼?」
「私ね、お薬を渡したの。いつも飲む体力を回復させるあれ。そしらたお礼言ってくれた」
 ラズベリーの甘さが美味しいのと、そのときの嬉しい気持ちが合わさって、エレオノーラの顔が綻んだ。ヴェルナも一口パンケーキを頬張って、指についたジャムを舐めながら眉間に皺を寄せた。
「あんたってお人よし。そんなことしてやる必要ないよ。人間と魔族が仲良くする必要なんかないんだもん」
 ぶすっとふくれたヴェルナに、エレオノーラは首をかしげた。
「そう?私は仲良くても良いと思うけど」
 その言葉に、ヴェルナの顔が沈んだ。
「どうしたの?」
「私の目、怖い?嫌?」
 赤い瞳がエレオノーラを捉えて、不安げに揺れる。それにエレオノーラはふるふると頭を振って否定した。
「怖くなんかないよ。とっても綺麗。私も…そのうち同じ瞳になるし、大人はみんな同じでしょ?」
 赤い瞳は吸血族の象徴。
 成人する過程の中で変化していく。ヴェルナも、ほんの数ヶ月前まではエレオノーラと同じ青い瞳だった。
 16歳から20歳の間に、吸血族の子供は変化する。瞳が赤くなり、本能として血を求めるようになっていく。永い永い時間の中で、吸血族もそれなりに変化してきた。普通の食べ物で自身の体を保つことが出来、滅多なことでは血を欲したりしないが、成人へと変化する過程では、本来の欲求が湧き上がる。それは固体によって発生する時期が違い、エレオノーラは遅い方なのかもしれない。ヴェルナでさえ、遅くて周りの大人たちが心配していたほどだ。
 未だ体に何の変化のないエレオノーラは、それがどういうことかはいまひとつ理解していないのだが。
「でもあいつ、私の目を見て驚いてた…」
 ヴェルナは食欲がなくなったのか、手にしていたパンケーキを皿に戻して涙を滲ませた。エレオノーラは白い手でヴェルナの髪を撫でてふわりと笑う。
「人間から見たら、確かに驚いてしまう色かもしれないけど、私はヴェルナのその瞳の色好きだよ。パパやママや他の人よりも深くて綺麗な赤だもん。黒髪に凄くよく合ってる」
 それから、細いヴェルナの体を抱きしめて、体越しに言葉を伝えた。
「もう会うこともない人間の言葉なんか気にしないで。私はヴェルナが大好きよ」
「ん…ありがとう」
 ヴェルナもエレオノーラの体を抱きしめて、恥ずかしそうに顔を見て笑った。エレオノーラはこの強気なくせに純粋な幼馴染が大好きだ。いつも一緒で、どこに行くのも、何をするのも生まれたときから同じ。次第に大人になっていくお互いを、大きな変化に向き合っていくときに不安になるだろう自分を、ヴェルナと一緒なら大丈夫だと思える。青い瞳に映る赤い瞳の少女が家族と同じくらい大切な存在だ。
「でもなんでアイツあんなところにいたのかな?」
「さあ、道にでも迷ったんじゃない?」
「人間って間抜けね」
「帰巣本能なくなったんじゃないのかな?」
 肩をすくめてエレオノーラが言うと、ヴェルナは小さく吹きだして肩を揺らした。失礼なことを言った少年のことをネタに、二人の少女は好き勝手言って笑い合った。


「そろそろ寝ようかなぁ」
 ヴェルナが帰り、エレオノーラは鏡の前で長い髪を櫛で整えながら独り言を零した。窓から見える優しい月を眺めて、ふと思い出す。
 栗色の髪と瞳の少年のことを。
 魔族と分かったときの少年の顔がありありと脳裏に浮かび、それが悲しくてエレオノーラは溜息をつく。ヴェルナには気にするなと言ったけれど、実際気にしているのはエレオノーラも同じだ。
 魔族と言っても様々な者が一括りにされている。
 例えばサキュバス、インキュバス、サナタキア、ルシファーやベルゼビュート、アスタロトなどと言ったものから、人狼、魔女、妖精、吸血族まで、人間からすればすべて「魔族」。
 幼い頃から、それなりに人間との関わりはあまりしないようにと言われてきた。中には理解のある人間もいるが、吸血族が少ないながらも、人間の命を奪っていることも知っている。だから人間とは、本当の意味では分かり合えないことも知っていたつもりだった。
 でも、今日のように改めて嫌悪感を見せられたのは初めてで、それがエレオノーラにとっても悲しかった。
 嫌悪感と恐怖。それがあの栗色の瞳から自分に向けられていた。何もしていないのに……何ともないようなふりをしていたけれど、本当は悲しかった。
「でも、もう会うこともないし……お礼は言ってくれたから。気にしないでおこう」
 塞ぎこんでしまいそうで、エレオノーラはわざと大きな声で言って、椅子から立ち上がり大きく伸びをした。背中を隠す金色の髪が滑らかに揺れる。大きな鏡を覗き込んで、透き通る青の瞳をじっと見つめた。
「赤い瞳って、私に似合うのかな?」
 ヴェルナをはじめとする年頃を迎えた子供は、エレオノーラの周りで赤い瞳に変化している。最初は印象が大きく変わって戸惑うが、皆それぞれに似合っていて、まだ変化のないエレオノーラは羨ましい気持ちでそれを見ていた。
「大人になるってどんな感じだろう」
 もし……。
 もし、今度会うことがあったら。
 その時赤い瞳だったら。
 今日よりも驚かれて、冷たい目で見られるのかな……?
「って、会う事なんかないない」
 一人小さく笑って、エレオノーラは柔らかいベッドにもぐりこんだ。
 頭の片隅では、あの栗色の瞳のエルネスティが残ったまま、いつもより寝つきの悪い夜となった。

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