死神の愛を。

12

「じいじっ」
 昼下がりの聖堂にノエルの元気な声が響き、小さな体で店主に抱きついてきた。
「ノエル。元気になりましたか?」
 店主は優しく目を細めてノエルを抱き上げた。ノエルは店主の綺麗な顔を覗き込むと、大きな目をにっこりと笑みの形に変えてギュっと抱きしめてくる。
「うん。もう腕も治ったよ。じいじが痛いの取ってくれてたから早く治ったの。ありがとう」
 階段から落ちたノエルは、普通よりも治りが早かった。勿論店主が癒してあげていたからなのだが。
 すっかり元気になったノエルが今日、久しぶりに聖堂へと遊びに来た。店主は朝から、店の中の古い者たちが笑いを堪えるのに大変なほど、ノエルに会えるのを心待ちにしていた。
「良かったですね。たまには私も役に立つでしょう」
「じいじはいつも私を助けてくれるよ」
「そうですか?でも今回は一番レイにお礼を言わなくてはいけません」
 その言葉に、ノエルは暗い顔になり、涙を滲ませ始める。店主はノエルを向かい合わせになるように自分の膝の上に座らせて、その大きな淡い緑色の瞳を見つめた。
「ノエル。レイはあなたを助けてくれました。レイがいなくなって、お家の中も、みんなも寂しいかもしれませんが、それは悲しむばかりではいけませんよ」
「どうして?」
 涙声のノエルに、店主は優しく微笑み、柔らかい髪を撫でた。
「レイは悲しんで欲しくてあなたを助けたのではありません。あなたにこれから笑って、たくさんのことを学んで、大人になってもらうためです。この先色々なことがあるでしょう。それを、一生懸命頑張って欲しいから、レイはあなたのことをお空で見守ることにしたのですよ」
「ん……良い子になれば、レイは喜んでくれる?」
 純粋な瞳で見上げられた店主は、小さく笑って答えた。
「そうですね。ノエルは今でも十分お利口ですが、これからもそうであれば、レイは喜んでくれると思いますよ」
 店主の言葉を受けて、しばらく考えていたノエルは、ふと微笑んで、店主に再びきつく抱きついた。
「分かった。レイに怒られないように頑張る」
 小さな腕で大きな店主を包むように抱きしめてくる少女を、店主もまたその腕の中に収めてにっこりと笑んだ。
 レイがいなくなって、ノエルはしばらくご飯も食べられないほどに落ち込んでいた。ただ病気で急に死んだということにしていたのだが、店主が会いに行ったある日、ノエルは店主に、本当のことを教えてほしいと訴えた。大きな瞳は、少女とは思えないほどの強い光が見え、店主はその心に嘘をついていけないと思い、本当のことを話した。
 勿論シエルが元は妖精だった事は話していないが、ノエルが、本当は命が危なかったのを、レイが代わってくれたのだと。
 ノエルはそれを聞いてたくさん泣いた、泣きつかれて眠るまで、店主のそばを離れなかった。でも、眠る寸前、ノエルは店主に「本当のことを話してくれてありがとう」と、涙にぬれた瞳で微笑んだ。
 店主は子供ながらにその事実を受け入れようとしてるノエルに感心し、そんなノエルを助けてくれたレイに対して、もう一度弔いの言葉を紡いだ。

「ノエル、今日は何をして遊びましょうか?」
 店主はひょいっとノエルを抱えて立ち上がり、その優しげな目元をさらに優しくして問いかけた。
「もうすぐパパもママも来るから、そしたら公園に行きたい。じいじのおにぎりを持って。この間食べられなかったし」
「いいですよ。では一緒に作りますか?」
「うん!」
 ノエルの元気な声を受け、店主は小さく笑って、二人でおにぎりを作ることにした。その後、すぐやって来たシエルと凛子は、おにぎりを握る店主に度肝を抜かれてしまった。
「ご主人、そんなことできるんですね…」
 呆けた顔のまま言ったシエルを軽く睨んだ店主はその後ふわりと笑った。
「私の特技は料理と裁縫です」
「は…?」
 シエルも、さすがに凛子も唖然とした。ノエルはきょとんとしたまま、そんな大人たちを順番に見るだけだった。





 夜も更けた頃、寝室で眠っていた店主は、何か重みを感じて、ふと瞼開けた。
 暗い中に見えるのは、黒に近い青の髪の毛と、その前髪から見え隠れする青紫の綺麗な瞳。青白い顔に似合わない、妙に血色の良い唇が楽しそうに弧を描いていた。その整った顔が至近距離にあって、店主は思わず端正な顔に不快感を露わにした。
「アンリ…私は男に組み敷かれる趣味はありません」
 店主に覆いかぶさるようにしているアンリを、店主はごく弱い光を放って横に弾いた。
「いたっ。もうせっかく久しぶりに来たのに、こんな扱いしなくてもいいじゃないですか」
 尻餅をついたアンリがお尻をさすりながら店主に文句を言う。店主はだるそうに起き上がりながら、長い髪の毛をかき上げてちらりとアンリを見た。
「だったらもっと時間と現れ方を考えなさい。何時だと思っているのですか」 
 不機嫌極まりない店主に、アンリはニヤニヤと笑って四つんばいのまま擦り寄って行った。
「なんですか?寝起きの顔を見られるのも好きではありませんよ」
「あなたの怒った顔も好きです」
「………お前は馬鹿なのですか?」
 店主は呆れではなく、そんな考えのアンリに哀れなものさえ感じながら言った。
 この死神は使い物になっているのでしょうか?
「ぼくはこれでも優秀な死神ですよ」
 にっこりと笑われて、店主はむっとした顔になる。
「だから、勝手に人の思考を読まないで下さい。いい加減にしないと怒りますよ」
「それは困ります。今日ぼくは一つお知らせに来たんですよ」
 さっと店主から離れたアンリは、畳の上に正座をして姿勢を改めた。店主は枕元の明かりを灯して、近くにあった肩掛けを羽織りながらアンリに視線を流す。
「なんですか?」
「はい。レイのことです」
「レイ?何かありましたか?」
「悪いことではありません。…そうですね、早ければ来年、遅くても五年のうちには、転生します」
「それはまた…異例ではありませんか」
 魂の転生は最低でも10年はかかる。魂そのものの浄化が終わるまでの時間がかかるためだ。
 アンリは驚く店主に、ふふん、と少し自慢げに笑って言葉を続けた。
「僕が頑張って最高神にお願いしましたから。褒めてくださいよ。超大変だったんです」
「お前にしては粋な計らいですね」
「でしょう?それと、まだあります」
「まだ?」
 店主が聞き返すと、アンリの青白い顔が、花が咲き綻ぶかのように笑みを浮かべた。
「ノエルの弟か妹になって、生まれてきます」
 その言葉にさすがに店主も目を見開き言葉を失った。アンリはしてやったりといった顔で店主の整った顔を見つめる。
 少しして、店主はその顔に安心したような、それでいてわずかに泣きそうな顔をして微笑んだ。
「そうですか…。ありがとうございます。本当に、お前にしては粋なことをしましたね」
「お前に『しては』、は余計ですよ。僕はこれでも慈悲深い死神ですからね。感謝してください」
「そうですね、死神の愛を深く感じますよ。お礼にお茶でも入れましょうか」
 店主がにっこりと笑うと、アンリもあどけない笑みを見せて立ち上がった。
「貴方のお茶は美味しいですから、僕は断りませんよ。頂きます」
「では、下に下りましょう」
 深夜に、死神と妖しげな骨董屋の店主は小さなお茶会に興じた。
 近い将来、会える新しい命のことについて、あれこれと話しながら飲むお茶はとても美味しかった。

 了
  

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