死神の愛を。

5

 店主の放った光が、ふわりとノエルを包む。そのまま駆け寄った店主の腕の中に、ノエルは静かに降りた。
「ノエル、怪我はありませんか?」
「……だい、じょうぶ…」
 ノエルは放心状態でそれだけを小声で言った。その体を抱きしめて店主も大きく息を吐く。
 滑り台は無残にも完全に倒れてしまっている。近くに人がいなかったことが店主には何よりもありがたい。もし誰かがいたら、自分の力をとっさには出せなかった。
 震えるノエルを抱きしめたまま、店主はその髪を撫でた。
「大丈夫ですよ。もう怖いことはありませんから。レイも怪我はありませんか?」
 足元にいるレイに声をかけると、元気にワンと返事が返ってくる。レイは傾く滑り台の上で、ノエルのスカートを引っ張り助けようとしていた。
「お前はおりこうですね。ありがとうございます」
 しゃがみこんでレイの頭を撫でる店主の耳に、一つの声が聞こえた。
「あーぁ、残念」
 これっぽっちも残念そうにないその声に、普段おとなしいレイが牙を剥き出しにして威嚇した。店主は顔を上げて声の主を確認する。そんなことをする必要などないのだが。
「公共物を壊してはいけませんよ、アンリ」
 店主が名前を呼ぶと、声がした場所に人影が現れる。薄かった影が一気に濃くなって、黒に近い青の髪の毛と青紫の瞳、大きな鎌を持った黒衣の男がにやりと笑っているのが見えた。
「すみません、あまりにも可愛らしいお嬢さんだったので」
 青白い顔が少し上気しているように見える。この状況が楽しくて仕方がないといったところなのか、店主の腕の中の少女を見て、にっこりとあどけない笑顔を見せる。
「はじめまして、僕はアンリと言います。仲良くなってくれますか?」
 ぞっとするほどの綺麗な顔で、アンリはノエルに向かって、まるで童話の中の王子様のように片膝をついて挨拶をした。ノエルはそれをじっと見つめて、その後店主に視線を移す。
「この人は、じいじのお友達?」
 不安が見えるその瞳を覗き込み、店主は優しい笑顔を見せた。
「少しだけ知ってる人です。さぁノエル、もう帰りましょうか」
「うん。私、この人怖い…」
 ノエルも何かを感じているようで、店主にしっかりと抱きついてアンリから顔を背けた。
「あれ、僕のこと嫌いなの?」
 とぼけた声で言うアンリに背を向けて歩き出した店主は、レイについてきなさいと言って公園を出ようとした。その時、背後から風とともに何かが迫ってくるのを感じる。
「私にそんなものが効くとでも?」
 ノエルを抱えたまま、店主は整った顔に、典雅で闇を持った笑みを浮かべて振り返る。狂気すら感じる笑みを浮かべたアンリが、氷上を滑るように店主に向かって迫り、手にしている鎌を、空気が裂ける音とともに横から払った。
 ノエルにももちろんそれは見えており、恐怖で店主にしがみつき小さく悲鳴を上げる。しかし、店主に鎌の刃が触れそうな瞬間、それは閃光とともに弾かれ、勢いが強かったのかアンリの手から吹き飛んだ。弧を描き自分の手元から離れていった鎌を見て、青紫色の瞳が大きく見開かれる。
 その後店主を振り返ったアンリは、
「もー…少しは斬られてくださいよ」
 と言って、ふてくされた子供のように店主を睨んだ。
「馬鹿なこと言わないでください。私はお前の世話にはなりたくありません」
 しがみつくノエルの頭を抱きこむようにして守る店主は、そこまで言うとじろっとアンリを睨みつける。店主の長いまつげの下で、総毛立つほどの残忍さを帯びた瞳を向けられて、一瞬アンリがたじろいだ。
 店主はそこにすかさず白い光を、恐ろしく切れ味の良い刃に変えて放つ。
 アンリが咄嗟にそれを交わしたので、たいした傷を負わせることはできなかったが、それでも漆黒のローブとアンリの着ている服が裂け、華奢な大腿部が見えてそこから血が噴き出した。甘く香る、鮮やかな赤をノエルに見せないように、店主は大きな手で再びノエルの頭をそっと、自分の肩にもたれかかるように促した。
 アンリは傷を押さえて、さすがに痛みで顔を顰める。白い手が真っ赤に染まる様を見て、店主は満足そうに目を細めて小さく笑った。長い髪の毛を風に揺らしながら、アンリに向かって微笑む。
「世間様に迷惑をかけた罰です。あの滑り台、直しておいてくださいね」 
 その冷淡で美しい笑みと、何者をも屈服させるような威圧感に、アンリは何も言えず、息を呑んだ。
 店主はレイを引き連れて、何事もなかったかのように聖堂へと帰っていく。アンリはそれを見ながら、
「ほんと。あの人なんで人間の真似事なんかしてるんだろう。でも……面白いな」
 と、痛みに顔を歪めながらくすっと笑った。







 

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