死神の愛を。

1

 漆黒の色に、蜂蜜色の月が優しい光を滲ませる頃。
 一人の男が立っていた。
 闇に紛れてしまえるような長くて黒いローブ。黒に近い青の長めの髪が緩やかな風に踊る。長いまつげに囲まれた青紫の瞳は、美しく冷酷な光を湛えている。彫りの深いその顔に月明かりが影を落として、一層その美貌を際立たせていた。
 一見すると、成人男性のように見えるが、やや幼さも併せ持ち、妖艶で耽美な雰囲気がある。黒衣とは対照的な青みを帯びた白い顔と、華奢な手が良く映えている。
 その華奢な手に握られている物は、薔薇の蔦の絡まる大きな鎌。銀色の鈍いような鋭利なような輝きを、男はうっとりと眺めて小さく息を吐いた。
 古めかしい町並みにたたずむその姿は、やけに綺麗で儚くて大きくて。一言では言い表せないものだった。
 男は静かに通りを見渡すと、目の前にある店の中にはいった。
 その店はもう既に閉まっている。しかしそんなことは関係ない。男には鍵も何も効果がないのだから。
 左手をそっとかざすと、入り口が開いて、男は何もなかったかのようにスッと入り込んだ。音もなく、ただ少しばかり冷えた風を纏いながら。




 店の奥の書斎で本を読んでいた一人の男。
 長い髪を後ろで結った着物姿の、優しい目元が印象的な男は、ふと、何かを感じて本から視線を上げた。
 やや薄暗い照明に照らされて、その整った顔が店の方に向けられる。男は、眉間にわずかばかりの皺を寄せて、ため息をつくと、机の上に置いてあったお茶を一口飲んだ。
 間もなく、閉ざしてあったはずの入り口の戸が音もなく開いた。
 闇の中から闇が現れた。
 そう思った男は、少しだけ口の端を持ち上げてその闇に語りかける。
「夜這いですか?」
 からかうような声に、闇も同じような声音で返した。
「してもよろしいので?」
 青紫色の瞳は楽しげに細められ、その妙に血色の良い唇が弧を描いた。
「私でよければいつでもどうぞ。…と言いたいのですが、さすがに男性の相手はしたことがありません」
 着物姿のほうの男も、美しい余裕の笑みでそれに返した。二人は見つめあい、そして小さく笑いをこぼす。
「僕は男でも女でも、貴方なら構いませんよ。ご主人」
 黒衣の男が喉の奥で面白そうに笑う。その顔はまだあどけなさの残るものだ。
「アンリ…笑えない冗談は止めてください。お前が言うと本気に聞こえます」
 呆れながら静かに立ち上がった主人。聖堂の店主は、アンリと呼んだ男に椅子を勧めながらお茶を入れた。
 ふわりと茶葉の香りが立ち上る中、アンリは手にしていた鎌を壁に立てかけて、柔らかな椅子に腰を下ろした。
 店主の入れるお茶は、いつも良い香りがして、味も良い。めったにここには立ち寄らないアンリだが、そのお茶の味だけはよく覚えている。
「それにしてもどうしたんですか。ここに来るなんて珍しいですね」
「そうですね。前にいつ来たのか忘れるくらいです」
「前?まだこの国が開国する前じゃなかったでしょうか?」
「そんな前ですか?」
 それほど時間がたった認識のなかったアンリが驚いて目を丸くした。店主はクスクス笑いながら、アンリの前にお茶を置いた。
「お前たちの時間の感覚ではそうかもしれませんね」
 店主も新しいお茶を入れなおして、再び椅子に座りアンリを見た。アンリは出されたお茶を一口飲んで、ふと顔を綻ばせる。やはり柔らかい顔のアンリはあどけない。
「何も用事がないのに、ここに来ることなんてないでしょう。また何か厄介ごとですか?」
 店主の言葉に、アンリは小さくうなずいた。
「貴方のせいですよ」
 いきなりそんなことを言われて店主は目を丸くする。
「私の?私が何かしましたか?」
「したなんてものじゃないですよ。自覚はないのですか?」
「自覚と言われても…こうして慎ましやかな生活を送っているだけですし」
 店主は細くて長い指を、その形の良い顎にそえて考えを廻らせる。しばらくそれを見ていたアンリは盛大にため息をついた。
「相変わらずしらばっくれるのがお得意ですね。分からないとは言わせません。約10年前に貴方がしたこと」
 10年前。
 ピクリと店主の眉が反応したのを、アンリは見逃さなかった。
「ほら、分かってるじゃないですか」
「あのことですか?あれは別に悪いことではないでしょう?」
 ふん、と、店主にしては珍しく拗ねた様子でアンリを睨んだ。アンリはそれが面白かったのか、小さく笑って、その青紫色の瞳で見て返した。
「そうですね。あれはそれほど悪いことだとは思いません。ですがその後が問題です」
「その後?」
 店主が首を傾げると、アンリは足を組みながら少し前のめりになるように店主を見た。
「子供です。元妖精と人間との間の子供が生まれたことが、問題なんです」
 あぁ。と店主は本当にようやく理解したという顔をした。それにアンリは苛立ちを隠さないまま詰め寄る。
「どうしてあんなことをしたんですか。人間の姿のままならまだ許せます。生殖機能だけ形成しなければ良かったんじゃないですか?なのに子供を作れるようにしてしまって………しかも貴方はそれを隠していた。貴方の本来の力で子供の存在を僕たちに分からないように包んでしまっていた。だから今の今まで子供のことは誰にも知られなかったんです」
「やれやれ……知られてしまいましたか」
 のんきな声を出して店主はため息をつく。それにアンリの形の良い唇がひくりと動いた。
「貴方には悪いですが、回収させてもらいますよ」
 冷たい声音でそう言ったアンリに、店主はちらりと視線を向ける。それに一瞬アンリは戦慄を覚えた。
「嫌だといったら、どうします?」
 優しげな目を細めて、にっこりと笑ってはいるけれど、明らかに黒い光を持つ瞳は冷たくて恐ろしい。
「これが、僕の仕事ですから。貴方がダメといってもやりますから」
「あの子達は、私の大事なお客様です。好き勝手にはさせませんからね。それは覚えておいてください」
「いいですとも。じゃあ子供のお相手をして、守って差し上げてください」
 アンリは震えそうになるのをこらえて、店主の顔をじっと見据えて言った。
「頑張りますよ。お前も手加減してくださいね」
 お茶を飲んだ店主が、さわやかな笑顔をアンリに向けて言う。アンリは立ち上がり、店主に向かって頭を下げると鎌を手に持って身を翻した。そしてそのまま音もなく立ち去っていった。
 残された店主は、少しぬるくなったお茶の残りを飲み、小さな窓から見える月に目をやった。
 あの子達に、なんて話をしましょうか?私がずっとそばにいてさしあげられれば良いのですが…。
 脳裏に浮かぶのは、青磁色の瞳とプラチナブロンドの髪の毛の男性と、穏やかな雰囲気の可愛らしい女性。それと、明るい茶色の髪の毛に淡い緑色の瞳の少女。ささやかな幸せを何よりも大切にする家族だった。
 アンリは、死せる魂を回収する、死神。
 あの綺麗な顔をした、男性とも少年とも見える死神が、店主の元に来たのは、何も言わないまま魂を回収するのは顔なじみとして気が進まないと思ったのか。その真意はよく分からないが、店主はアンリの優しさに感謝した。
「明日、とりあえず会いましょうか。シエルたちに」
 薄暗い明かりに照らされた店主の顔が、その家族を思い、優しげに綻んだ。


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