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聖堂保育園。

聖堂保育園。

 古い街並みになじむようにその店は存在する。紫の暖簾の店は「聖堂ひじりどう」。
 骨董屋だ。
 しかし普通の骨董屋とは少し違ったところがある。その店で扱われる品は、不思議なものばかりだ。
 長い髪を後ろでまとめ、端正な顔と、優しげな眼元が印象的な着物姿の男が、ここの店主。
 いつもゆったりとして、にこやかな店主ではあるが、今日は少々勝手が違うようだった。


「もういい加減にして下さい」
 後ろで結った長い髪が乱れて、不機嫌極まりない様子で店主は言葉をこぼした。右手をうなじに回して、長い指で、髪の毛を結っていた黄金色の絹紐をほどいた。
 さらり。と、癖のない店主の髪がほどけ、背中の中ほどまでを隠す。普段、髪を下ろしている姿を見せない店主に、店の中の品々も何事かといった様子で見つめていた。
 不機嫌な顔のままの店主は、それには特に頓着せず、今度は両手を上げて、耳や額にかかる髪を後ろに手櫛で流すと、慣れた手つきで再び紐で結った。軽く首を左右に振ると、束になった髪の毛が綺麗な背中で揺れてするっとなじんだ。
「まったく、こんなに言うことを聞かない子は初めてですよ」
 眉間の皺をもみほぐすように、人差し指でこすりながら大きなため息をついて、その「子」を目だけで見た。
 店主の目の前のテーブルには、一歳くらいの子供の大きさの人形が二体ある。
 どちらも外国製で、「舶来物」と言われた年代の代物だった。一体は、金色の長い巻き毛で、赤いドレスを身に着けた人形。もう一体は茶色の髪の毛の燕尾服を着た人形。男の子と女の子の違いはあれど、二体とも深い青色の瞳と、ちょこんとした可愛い鼻、ふっくらとした唇、薄い桃色の頬が共通する。精巧で非常によく似た表情のおかげで、同じ人形作家の作品と一目で分かるものだった。古いものだが状態はよく、シミや汚れのない顔も姿も愛らしい。
 この人形が聖堂に来たのは昨日。ある資産家の老人がなくなり、その家族が聖堂に譲りたいと送って来たものだ。丁寧な梱包をされていたのを開けて、一日、この子たちの疲れを取る為にも、棚に飾っておいた。今日になって、店主がこの子たちを覚醒させ、過去を探索しようとした途端、二人そろって騒ぎ出したのだった。
 店主の言葉に耳を傾けることもなく、ただやみくもに風を起こして店の中を人形と同じサイズの、小さな子供二人が走り回る。狭い店の中だ。棚にぶつかり、危うく展示していた品が落ちそうになっては、それを店主がすかさず押さえる。それをもう何度も繰り返していた。
 挙句には、店主のお気に入りの椅子も倒してしまい、飾りで椅子の脚についていた菫の彫り物が欠けてしまった。
 見た目は可愛いのに…なんという子たちなのでしょう。
 眉間の皺を気にするのも馬鹿らしくなるほど、店主の表情は引きつっている。軽い眩暈は感じるし、頭も痛くなってきた。片手を腰に当てて、暴れ回る子供たちを見てると、男の子の方が勢いよく飛び上がり、陳列棚に上がろうとした。
 そこには、この子たちと同じように、品物に何かしらが宿っている。動けない品々が驚き、慌てふためいている気配がした。
「いい加減にしなさいと言ったでしょう」
 少々厳しい店主の声が店の中に響き、その直後、たたき落とされる寸前だった品たちが安堵のため息を吐いた。
「離せっ!!」
「おや、言葉は話せるみたいですね」
 店主は、自分が首根っこをつかんでぶら下げているものに向かって、嫌味を込めた口調で見下ろしながら言う。
「ばっ、馬鹿にするな!」
「これは申し訳ありません」
 じたばたと暴れる子供を、自分の目の高さまで釣り上げたにこやかな顔の男は、ぞっとするほどの綺麗な笑みを浮かべた。
「私と、お話をしてくれる気にはなりませんか?悪いようにはしませんから…」
「兄様を離してっ!!」
 店主が言い終わる前に、足元から似たようなかわいらしい声が聞こえた。ちらりと視線を下ろすと、店主の着物の裾を引っ張る金髪の子供の姿が目に入る。
「お兄様を離してほしければ、少し大人しくなさい。女の子がはしたないですよ」
「アリーシャ、こんな奴の言うことなんか聞いてはだめだ!」
 釣り上げられたままの男の子が、小さな手で店主の手を何とかしようともがきながら、女の子をアリーシャと呼んだ。
「こんな奴…?感心しない言い方ですね。私は貴方方よりも年上ですよ?もう少し言葉には気を付けてほしいものです」
 言葉は丁寧だが、明らかにイラつく店主の声と表情に、周りで事の成り行きを見守っていた古い物たちが、何やらひそひそと話をしている。それがまた、店主を苛立たせることになる。
「そこ、うるさいですよ。焼かれたいなら素直にお言いなさい。いつでもして差し上げますから」
 じろっと壁の棚を一睨みして、店主はぶら下げたままの男の子に視線を戻す。
「おや?どうかしましたか?」
 見ると、子供二人はそろって真っ青な顔をして震えていた。先ほどまでの勢いがどこに行ったのかと思う程に怯え、小さく震える様子に、店主は満足気に目元を細めた。
「お話をしてくれる気になりましね?」
「………分かったよ」
 だらりとぶら下げられたままの男の子がぽつりと呟いた。足元の女の子も、こくりと頷く。店主は、男の子を右腕に、女の子を左腕に抱き上げて、二人掛けの椅子に座らせた。そして自分は倒された椅子を立て、欠けてしまった菫の彫り物に小さくため息をつくと浅くそこに腰をかける。
「さて、お話の前に、貴方がたが何をするべきか、分かりますか?」
 にっこりと笑った目の前の男に向かって、しばらく考えた二人は、小声で「ごめんなさい」と謝った。
「はい。よくできました」
 細く綺麗な腕を伸ばし、ちゃんとごめんなさいを言えた小さな頭をなでてやる。その仕草に、強張っていた子供たちの表情が少しだけ緩んだ。
 さっきの、別にこの子たちを焼くつもりで言ったのではないのですが…うまい具合に効いたみたいですね。
 喉の奥で笑いながら、改めて子供たちを見つめる。まだ怯えた色は青い瞳にあるものの、店主に向かってあからさまな敵意はない。
「では、お話をしましょう。とは言っても、私が貴方がたの記憶を覗くだけですので、楽にしていてください」
 そのまま、二人の瞳の奥深くへと意識を集中させていく。子供たちは店主の瞳を見つめ返すしかしていない。
 店主の視界には、遡るように二人の記憶が流れていく。
 この間までの資産家の老人との優しい思い出は淡く、覗いている店主ですら微笑むほどだ。大切にしてもらったことに対する、二人の感謝の気持ちが溢れて店主に入ってくる。
 しかし、それより昔の出来事は、暗くて思わず眉を顰めてしまう。荒々しい足音と、何人もの残虐な顔をした男たち。そして逃げ惑う夫婦らしき男女と五人の子供。
 叫び声と銃弾が放たれる音が二人の耳に届き、そして血に染まる高価な絨毯。何もできずにただそれを見るだけだった人形は、悲しくても涙を流すこともできずにいた。どれほど駆け出していきたかったか。傷を塞ぎ、助けを呼びに行きたかったことか。血が流れるのを止めてあげたかったのに、代わりに死んでも良かったのに。何もできないこの体が恨めしい。憎い。
 球体でできた関節を動かしたくて必死に力を入れる。瞬きがしたくて、目を眇めようとする。立ち上がりたくて魂を込める。
 その時初めて、二人は意思を持った。
 しかし、人形の二人には何もできないまま、幸せな家族は折り重なるようにして、生涯を閉じた。
「貴方がたの、最初のご家族のことですね?」
 静かな店主の声に、青い瞳の兄と妹は小さく頷いた。
「せんそうって言うやつが悪いんだ」
「え?」
「せんそうがあったから、僕たちの家族は殺されたんだ」
 涙を浮かべて、男の子は震える声を絞り出した。小さな手をギュッと握りしめる。
「貴方の名前は?」
「僕の名前は…ノア」
 ノアと名付けてくれたのは、五人兄妹の末っ子だった、ヘーゼルの瞳の女の子だったと、ノアは教えてくれた。
「ノア、それとアリーシャ」
 店主の瞳が二人を交互に見つめて、その端正な顔を穏やかに微笑ませた。
「貴方がたは、どうしたいですか?」
「どうしたいって?」
 アリーシャが大きな瞳をキョトンとさせて聞き返す。それに店主はゆっくりと言葉を唇に乗せた。
「貴方がたが、まだこの現世うつしよにいたいなら、ここにいて新しい主人が現れるのをお待ちなさい。ですが、それを望まないなら、私が貴方がたを送って差し上げます。どちらを選ぶのも、貴方がたの自由ですよ」
 思いがけない言葉に、よく似た顔の二人は顔を見合わせ、お互いの意思を確認するように見つめ合った。
 悲しいことがあって、様々な人の元を流れた二人は、十数年前に、亡くなった資産家の元に引き取られた。
 そこで長年の汚れを清めてもらい、服を新調してもらい、日当たりのいい場所や、風の気持ちいい場所、星空の綺麗な場所。屋敷の中のあらゆる場所で老人と過ごした。
 年老いて痩せた手が、何度も二人の頭を撫でてくれた。それが気持ちよくて。
 でも悲しい記憶も引きずり出してしまっていたけど、二人は安住できる場所を与えてくれた老人が大好きになった。
 その人までいなくなったこの世界に。
 未練はない。
 二人はその結論に至った。
「僕たちは、僕たちのことを愛してくれた人たちに会いたい」
「もう一度会って、それから、抱きしめてもらいたいの」
 青い、四つの瞳が店主の顔をまっすぐ見た。
 店主は、小さく頷き、もう一度二人の頭を優しく撫でた。それに二人はくすぐったそうに目を細めて笑う。
「貴方がたは、良い子ですね」
「本当?もう怒ってないの?」
「兄様を持ち上げた貴方は怖かったわ」
 目を丸くした二人に、店主はクスクス笑う。
「最初の暴れっぷりは、褒められたものじゃありませんよ。ですが、心はとても綺麗です。それを褒めたのですよ」
 そう言って、二人を両方の膝に乗せるようにして抱きあげた。
「本当に良いのですね?」
 間近で青い瞳を覗き込み、最後の確認をする。幼い瞳はしっかりとした決意を持って店主を見つめ返した。
「ありがとう」
「ありがとう」
 小さな手で、自分を両側から抱きしめて来る二人を、店主も少し力を入れて抱きしめた。
「では、これで現世ともお別れです。幸せな眠りを…」
 綺麗な唇から不思議な言葉が溢れて来た。すべてを受け入れた二人は静かに目を閉じて店主の体に、自分のそれを預ける。
 店主の紡ぐ言葉は、体の輪郭をぼかして、温かな光に包み、徐々に解かせていく。安らかな顔をした幼い顔が次第に消えていくのを眺めながら、最後の言葉を零れさせた。
 さようなら…。

 店の中にいつもの静寂が訪れたころ、テーブルの上の二体の人形は、「ただの人形」になっていた。


「子供はいいものですね。純粋で可愛くて、穢れのない瞳…羨ましい限りです」
 お茶を飲みながら、店主は店の中で独り呟く。しかし、すぐに眉を顰め、
「ですが、暴れられたのは堪えました。私のお気に入りの椅子を壊されて…修理しなくていけません」
 椅子の脚を見下ろして苦笑する店主の顔は、いつもよりほんの少し疲れているように見えた。
 全く…年寄りは大切にしていただきものです。
 今はいない、二人の兄妹に向かって、その形の良い眉をわずかに下げて微笑んだ。

 

 


 

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