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「こんなに大きなケーキ買ったの?」
 葉月が目を丸くして、目の前のそれを見た。誠は何のことか分からず、キョトンとした。
 二人の目の前には、6号サイズのケーキ。生クリームと赤いイチゴがふんだんに使われて、小さなサンタとトナカイが並んでいる。
「大きいのか?これ」
「大きいよ。誠君はケーキ好き?」
 片手を葉月にふさがれているため、もう片方の手でお皿を出す誠に向かって葉月は問う。それに対して誠は少しだけ気まずそうに笑った。
「あんまり…得意じゃない」
「そうなの?私もさすがにこんなには無理かも…」
「いやいや、全部食べろって思ってないから」
 葉月の真剣な顔を見て、誠は小さく笑う。ケーキにサイズがあるのもろくに知らない誠が、一番売れていたサイズを買ってしまったのだから仕方がない。
 確かに大きいとは思ったんだけど…そんなにサイズがあるものなのか。
 実体化していない葉月では、食べ物を口にすることもできない。なので、食べるときも手を繋いだままになってしまう。二人は横に並んで椅子に座る。
 誠がケーキの台座を押さえ、葉月が柔らかなケーキを切った。誠は数えるほどしか包丁なんて持ったことがないので、葉月が切ると言い出したからだ。
「頼むから指とか切るなよ」
「大丈夫。お母さんが家事のことも教えてくれたから。誠君よりもできるはずだよ」
 にっこりと笑って葉月は答える。それに誠は優しい目で返した。
 お互い片手しか使えない状況での作業は、たどたどしくて、でもほっこりとした時間が過ぎる。
「ん……っと。コレで良い?」
 丁寧にケーキをお皿に移して、葉月は誠に確認する。誠はチラッとそれを確認して紅茶を入れた。
「ミルク入れる?」
「うん。ミルクティー好き」
「分かった」
 お茶好きの母親が、美味しいと言っていた紅茶を入れる。温かい湯気とともに良い香りが立ち上がり葉月はそれを見ながら楽しそうに目を細めた。
「不思議だね」
「何が?」
「私と誠君がこうしてること。最初はすごく嫌そうな顔で私のこと睨んだのに」
 からかう口調の葉月に、誠は言葉を詰まらせる。
 確かに、あの時は最悪だと思った。自分のこの性質が嫌で、葉月に関わり合いたくなくて、にっこり笑った葉月の顔にイラッとしたのを覚えてる。
 それが今はコレだ…いったいどうなってんだ。
 誠がクスクス笑いだして、葉月の顔がキョトンとする。一回笑い出すと、誠はもう止まらなかった。声を上げて笑い、葉月と繋いでいたほうの手を、確かめるように繋ぎ直した。
「なんで笑ってるの?私なんか変なこと言った?」
「違う…。なんか考えたらおかしくて。俺がこんな…」
「こんな?」
 首を傾げる葉月に向かって、笑いを押し殺した誠の目が留められる。まだ口元は笑っているのだが、それでも葉月のことを見る目は真剣だった。
「最初は、本当に勘弁してくれって思ったよ。俺が何かできるわけではないし、どうやって接していいかも分からなかったし」
「うん。ごめんね」
 葉月がうつむいて、不安をにじませた声で誠に謝った。それを聞いて誠はゆるゆると首を振った。
「謝ることじゃない。今はこれで良かったと思ってるしな」
「え?」
 誠の言葉に葉月が一瞬ぽかんとした。その顔が間抜けで可愛くて、誠の頬が綻んでいく。
「俺は、これで良かったと思ってる。なんだかんだで楽しいし……葉月がいてくれて良かったって…思う」
 自分の言葉が徐々に恥ずかしくなって、誠の言葉が途中から小さくなっていく。それを聞き逃さないように、葉月は黙って聞いていた。少しだけ葉月の指先が震えていることに気づいた誠は、その顔を覗き込んだ。
「どうした?」
 葉月はうつむき加減で誠の顔を見て、大きな目に涙を滲ませる。下瞼のギリギリの所でとどまる涙を、誠はとても綺麗だと思って見入ってしまった。
「好き」
「……………」
 突然すぎるほどの、葉月の唇からこぼれた言葉に、誠の思考が止まる。目を見開いて、ぱっつんとした前髪の下にある、切れ長の瞳を見たまま、時間が止まったような感覚に襲われた。
 リビングの時計の針が動く音が、とても大きく聞こえて、カップから香る紅茶の香りがすごく濃いものになった気がした。見慣れたはずのリビングがまるで違うところのように感じて、目の前の葉月でさえ本当にいるのかと思うくらいに混乱している。自分が握っている小さな手が、感覚を失って、するりと抜けそうで思わず力をこめる。
「誠くんが好き。好きだよ。好き…」
 葉月が何度も同じ言葉を繰り返す。柔らかな唇から溢れ出すその言葉を、誠の脳は急速に理解し始めようとする。
「え…あの…葉月…?」
 もう何をどう言えば良いかなんてことすら分からない。
 何言ってるんだ?いま好きって…え?好きって言ったよな?
 決して困っているわけではない。でも笑えるほど誠はまだそれを理解していない。だから、顔に表情がなくなってしまう。それを葉月はふと見上げて、すぐに目を逸らした。
「こんなこと言われても、迷惑だよね…ごめんなさい」
 うつむいた拍子に、ぽろっと大きな目から涙が雫になって落ちた。それに弾かれたように、誠が言葉を発した。
「迷惑じゃない。そんなこと言うな」
「でも、私はこんなんだし…言われても迷惑だって分かってたんだけど…今なんか急に…」
「良いから。ちょっと黙って」
 誠は葉月の頭を抱き込むようにして、自分の方に引き寄せた。少し間隔のあいていた椅子に座っていた葉月の体が、誠の方になだれ込むようになってしまい、バランスを崩した葉月が思わずと言うように誠に抱きついた。誠は椅子ごと葉月を引き寄せ、そのままその小さな体を腕の中に収めた。
 冬とはいえ、室内の誠は軽装で、葉月もまた制服しか来ていない。この間よりは葉月を近くに感じる。
 小さく息を呑んだ葉月は、誠の顔が見れないのか、体を強張らせてうつむいている。そして誠も、何もできずにただその腕を絡めているだけだった。
 こんなに温かいのにな…俺と一緒なのに、違うんだ。
 誠が触れてさえいれば、葉月のすべては誠と何も変わらない。髪の毛も、体温も、呼吸さえも。それが苦しいし、二人が違うものだということを忘れさせては、思い出させる。
「誠くん…?」
 葉月が小さく誠の腕の中で身じろぎすると、我に返った誠が、顔を見ずに葉月の髪の毛を撫でた。
「葉月は葉月だから。こんなん、とかじゃない。俺も颯希も彩もそう思ってる。どんな姿でも、葉月だ」
「本当?」
「うん。それに、迷惑じゃない。さっきのは、あんまりいきなりすぎてびっくりしたけど、でも迷惑じゃないし、俺も…一緒だからな」
 葉月の体がピクリと反応する。でも顔を上げて誠を見ることはない。誠はそのまま言葉を続けた。
「なんでこんな風に思うようになったとかは聞くなよ。俺だって分からないから。初めて会った日は、最悪だって思ってた。無駄に明るいし馬鹿だし、恋愛したいとかほんっと…呆れた。でもさ、葉月いい子なんだよ。いい子過ぎて、それが可愛いし、悲しいし、大事にしたいって思うようになって……って、俺何言ってんだろ」
 恥ずかしくて誠はくすくすと笑ってしまう。無意識に葉月の髪の毛を撫で続けている手を見て、それでも笑がこみ上げてきた。
「うまく言えないけど、俺も。好きだから…心配すんな」
 それだけ言って、誠は葉月をギュと抱きしめた。
 その瞬間、葉月の体が誠からするりと抜けた。突然、腕の中の感触がなくなり、誠は何が起こったのか分からなかった。


 





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