transient

10

 葉月を彩に預けて(?)誠は買い物に来ている。電車で少し離れたショッピングモールで、何も買わずにうろうろしてもう一時間半は過ぎた。
 何買えばいいか分からない。好みくらい聞いておけばよかった。
 そう思うこと数回、いや数十回は思っている。それくらい困り果てていた。
「もうケーキだけで良いかな……」
 情けない声は、ざわつく店内の音にかき消されてしまう。誠はフードコートの端の席に座ってため息をついた。コーヒーを飲みながら、携帯にメールが届いていることに気づく。差出人は彩だった。
「なんかあったのか?」
 彩からメールが来ること自体が珍しい。少し緊張した様子でメールを開く。でもメールを見た誠の顔がふっと綻んだ。
『好きなもの。あんたが欲しいと思ってるものと一緒だよ。ばーか(笑)深く考えるな。はげるから』
 絵文字も何もない短い文章は彩らしくないけど、だからこそ誠はつき物が落ちたように笑った。
 俺の欲しいもの……なんで彩にばれてるんだ?でも、まぁ…いいか。
 半分ほど残っていたぬるいコーヒーを一気に飲んで、誠は立ち上がって歩きだ出した。さっきまで疲れていたのに、今は足取りも幾分軽い。
 そのまま、誠は何も買わないまま、家路に着いた。
 地元の駅まで戻ってきた誠は、おいしいと有名なケーキを買うために店に入る。初めて自分でケーキを買うことに少しばかり抵抗を感じるが、それも葉月のためなら我慢できた。
 でもどれを選べばいいかなんて分かるはずもなく、一番定番のイチゴがたくさん使われている生クリームのケーキを買った。
「俺がケーキ買うなんて、馬鹿っぽくて良いなこういうのも」
 一人で小さく笑いながら、駅前の道を家に向かって歩いていく。そのとき、ふと一つの店が目に留まった。そこは小さな雑貨店。なんとなく懐かしいような暖かなような雰囲気のある店だった。男が入るような店ではなく、誠ももちろん入ったことがなければ、近づいたことがあるのかすら記憶にない。
 綺麗にディスプレイされた店内の、窓に一番近いところに、アクセサリーが目に入る。そこには色とりどりの石をたたえたものが見えた。
 何となく気になって入ってみた。こんなことをすることも初めてで、今日はつくづく変な日だなと苦笑した。
 気になっていたものは、ネックレスだった。ポップには『誕生石』と、それぞれの石の説明が書いてある。
 葉月は、8月だったな。
 ついこの間聞いたことを思い出して、視線を走らせると、鮮やかな緑色の石に辿り着いた。夏の太陽を浴びて揺れる葉のような色は、葉月を連想させる。シンプルなデザインの細いチェーンに下げられたそれを手に取ってみた。葉月の細い首にかけられた姿を考えてみて、さっきまで悩んでいたのが嘘のように、誠は店員の女性に声をかけていたのだった。
「ペリドットは魔除けにもなりますから」
 丁寧に包んでくれた女性が、そんなことを言っていた。誕生石なんて何も知らない誠はただふんふんと説明を受けて、小さな紙袋に入ったそれを受け取り店を出た。
 普段からあまり外に出ない、不健康な誠には少々疲れるクリスマスイブの午後。しかも一人で歩くのも久しぶりに感じて、少し寂しい気持ちになっていた。
 このまま、一緒にいられたらな。…って馬鹿なこと考えすぎだろ。
 今の現状だけでも、奇跡なのに、これ以上を望んでどうなる。そう自分に言い聞かせては、たまらない気持ちになってしまう。あまり感情を動かされることのない自分を、ここまで変えた葉月を「すごいな」と単純に思っては、「好きだな」と温かい気持ちになってみたり、12月に入ってからの、せわしない感情の変化に戸惑ってしまっている。
 なんとなくゆっくり歩いていると、通りをはさんで自分の暮らすマンションが見えてきた。それに緊張を感じる。今日の葉月の反応を期待して、うれしくて、それでいて少しだけ胸が痛くなるような感覚。それに小さく気合を入れるように息を吐いて、信号を渡った。
 誠の両親は、クリスマスディナーに出かけるといって、不在。息子よりお互いを選ぶあたり普段から仲がいい親らしいと笑ってしまう。まぁ、もう親とクリスマスなんて年でもないのだけれど。
 ケーキを冷蔵庫に入れて、部屋に戻った誠は携帯で時間を確認する。五時手前を表示するディスプレイを見てそのまま彩にメールをした。
 今日の彩は友人たちとパーティーをするとかでもうすぐ出かける予定になっている。颯希は一人でクリスマスを過ごすのは寂しいと、予定のない友人を探し出して遊びに行くと言っていた。いつもなら誠もそこに混ざるのだが今年は違う。
 ベッドに横になって、慣れないことをして少し疲れた体から力を抜いた。嫌な意味ではないため息が口をついで出る彩からはすぐに返事が返ってきて「もうすぐ葉月ちゃんがそっちに行くから」と、また短い返事だけだった。
 携帯をベッドの上に投げ出し、そのまま目を閉じる。とても穏やかな気分と、泣きたくなるような気分とがない交ぜになって、左手で両目を覆った。
 この手で、つないだんだよな。
 そっと目から左手を浮かしてじっと眺めた。見慣れた自分の手が見えるだけなのに、誠の頬が緩む。やわらかくて小さくて細い手を思い出して、笑ってしまった。
 何であんなに小さいんだよ。役に立ってるのか、あれ。
 自分を探す指が嬉しかった。離したくないと思った。葉月は気づいてないかも知れないけれど、誠は必死だった。
 俺って……どれだけ好きになってんだか。ほんと、馬鹿。
 眉間にしわを寄せながら、力なく体を起こしたとき、誠の部屋の扉が開いた。
「誠くん。ただいま」
 ひょこっと顔を出した葉月に誠は優しく目を細めて頷いた。それに葉月もにっこりと笑った。
 葉月はいつもの制服姿だ。あの彩の服を借りた時ような華やかさはないけれど、誠には見慣れた葉月の方も安心感があって好きだった。
「今日はみんな出かけていないんだね」
 誠の隣に並んで葉月はベッドの腰を下ろして言った。相変わらず、誠に触れていないときの葉月は軽くてベッドは微動だにしない。
「世の中クリスマスだからな」
 そこまで言って誠は葉月の顔を覗き込んだ。
「どっか行きたかった?」
「……どこにも。私はここがいい」
 切れ長の目を細めて、葉月は首を横に振った。そのまま遠慮がちに誠に触れようとする。その手を誠は自分から取って、手をつないだ。驚く葉月を見て、誠はニヤッと笑った。
「たまにはこんなのも良いだろ?」
 いかにも、葉月のためにやってやっているような口調が自分でおかしくてたまらない。手をつなぎたいのは自分。それがうまく言えない。でも我慢もできない。葉月に触れてもらえるのが嬉しい。
「ありがと」
 葉月は誠の気持ちをどこまで知っているのかは分からないが、きゅっと手に力を入れて誠に応えた。
「ん」
 二人しかいない部屋の中が、温かな空気に満たされる。葉月もいつもなら良く話すほうだが、今日はおとなしかった。あまり誠の顔を見ることもなく、うつむき加減で今日の誠のいない間のことを話してくれた。
 誠のようにはっきりと見えるわけではないし、まして触れることなどできない彩ではあるが、葉月にとってはすごくありがたい存在だ。「何かあったらいつでも言ってね。」そう言って、ここへ送り届けてくれたのも彩だった。
「なぁ、彩……なんか言ってた?」
 誠の言葉に葉月はきょとんとして首をかしげる。
「別に……何もないよ。あ、アルバムは見たけど」
「アルバム?」
「うん。小さいときの誠君たち。可愛かったよ」
 思い出しながら笑う葉月に誠は少し顔を赤らめる。目線を移して、壁にある写真を見る。高校入学のときに撮ったものが何枚か飾られていた。それに気づいた葉月も写真を眺めて目元をやわらかく細めた。
「誠君があの学校に来てくれてなかったら、私こんな風に幸せじゃなかったんだなぁ。そう思うと不思議」
「幸せ?」
「うん、だって死んでからもこんなに楽しい思いができるなんて、幸せ以外に何があるの?」
 全く翳らない瞳が誠を正面から見つめてくる。
「私は、今すごく幸せだよ」
 もう一度、確認するように葉月は言う。それに誠も優しい笑みを浮かべて笑んだ。
 その顔が、俺を幸せにするんだって、知らないだろうな。
「さ、ケーキでも食べるか」
 誠は勢いよく立ち上がり、葉月の手を引っ張った。葉月も花が咲くような笑顔を見せて立ち上がる。
「イチゴ乗ってる?」
「ん」
「イチゴ大好きだから嬉しい。早く食べたいなぁ」
 子供のように顔を輝かせた葉月に、誠は笑いながら自分の部屋のドアを開けた。


 

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