黄金色の愛情

1

 少女は足早に道を駆け抜ける。
 ニコニコと笑いながら、早く早くと焦る気持ちのまま。
 細い道を走り、坂道にさらに息が上がりながらもその足は止まらない。
 もうすぐだ。
 最後の曲がり角を進み、すぐ目の前に見える扉を勢いよく開けた。
「コウ先生、こんにちは!」
 大きな音とともに開け放たれた扉を、男はゆっくりと振り返る。
「もう少し静かに来ていただけるとありがたいのですが…ねぇ、きよ
 長い髪を少し邪魔そうにかきあげて男は少女を見た。
「だって…早く…会いたかった…か、ら」
「少し落ち着きなさい。全く貴女という人は…お嬢様がこんなにお転婆だとは思いもしませんでした」
 コウは呆れた、でも優しい目で聖と呼んだ少女を見た。そして裏の川で冷やしておいたスイカを切り出した。
「今日はスイカですがいいですか?」
「はい」
 少し息の落ちついてきた聖はコウの前に座って、スイカを切る男の手をじっと見つめた。
「先生の手はいつ見ても綺麗ですね」
「そうでしょうか?私はあなたの手の方が綺麗だと思いますよ」
 言われて聖は自分の手を眺め、そしてため息をついた。
「私の手は、何もしてないから綺麗に見えるだけです。これは綺麗だとは言いません」
「ほう…面白いことを言いますね」
「だって、私はお父様やご先祖様のおかげで暮らしているだけですもの。他の方たちの方が、生きてる手をしてます。先生だって、この村の人たちの病気を治したり災いを祓ったりして貢献してるじゃないですか」
 真面目な顔で言う聖の顔を、コウはじっと眺めて、その目の中にある穢れのない心に小さく笑った。
「何かおかしなこと言いましたか?」
 キョトンとする聖にコウは、「貴女はかわいらしいですね」と、艶やかな髪を撫でた。
 聖はこの地域一帯を治める長の一人娘で、何不自由ない暮らしをしている。
 黒い癖のない艶やかな髪は、この地域の習わしで膝のあたりまで伸ばしてゆるく三つ編みにして垂らしている。お嬢様らしくない、少し日焼けした肌は滑らかでハリがあり、大きな瞳は何にでも興味を持つ生き生きしたものだ。
 年は17歳と言うが、凹凸のないの体つきと、小柄なせいでもっと幼く見えた。
 他の民とは違って、高価な生地で作られた、彼女専用の模様が織り込まれた服と、髪飾りの青い宝石がトレードマークになっている。
「私のことを子ども扱いしてますね。もうすぐ18になるんですから」
 聖は不服そうにコウの手に眉を顰めた。
「おや、私はまだ年端の行かないわらべかと」
「童はあんまりですよ。確かに、胸も小さいし、背も低いし…」
 聖は自分の体を見下ろしてため息をついた。
「童は言い過ぎですが、私からすれば、貴女はまだまだ子供です」
 スイカを差し出しながら、コウは言った。
「先生は、おいくつですか?」
 聖はおいしそうにスイカにかぶりつく。
「私ですか?私はもう年寄りです」
「そんな訳ないじゃないですか。私の父よりずっと若いのに」
「それは若く見えるだけですよ」
「じゃあいくつですか?」
「それは秘密です」
「そんなぁ…」
「秘密がある方が、面白いでしょう?」
 コウはクスクス笑って聖の前に座った。
 コウはここ三年ほどの間にこの地域に流れ着いた祈祷師。全く素性が分からなかったが、不思議な力で、このあたり一帯に流行っていた病を治した。そのために聖の父をはじめ人々の信用を得た。
 そして聖はこの男に命を救われた。病にかかって命が危険にさらされた時に、ちょうどコウが現れ治してくれたのだ。それ以来、聖は暇さえあればコウの住む家に遊びに来るようになった。
 三日と開けずに通ってくる聖のことを、コウは呆れながらもこうやって果物を出したり、話をしたりして相手をしている。
「それにしても先生?最近お社に変な影があるんですけど」
 聖が思い出したように話題を出した。
「お社?」
「はい。うちの裏のお社の壁に黒くて人の形のような影があるんです。なんか少しだけ大きくなってるような気がして…」
 聖の屋敷の裏に、龍の社がある。大きなものではないが、長い間聖の先祖たちと、今は聖の父親によって守られてきたものだ。
 代々の当主が受け継ぐことが出来る役割の勉強のために、最近聖も社の手入れ始めた。
「気になるのですか?」
「少し…。怖い感じとかはないですが、何となく気になります」
 聖はコウほどではないが、少しばかり不思議な力があるようで、一般的に見えないものが見えたりする。小さなころから見えているので、聖自体はあまりそれに対して違和感はないようだ。
「では、また見に行きましょう」
「はい。よろしくお願いします」
 スイカを食べ終わった聖が、満足そうにお腹をさすってお礼を言った。
「さて、今日は何の話をしましょうか」
 古い書物を開いてコウは聖に尋ねる。聖は少し考えて、パッと顔を輝かせた。
「今日は先生の話を聞きたいです」
「私の話ですか?」
「はい。先生はどこから来たのですか?」
「ずっと遠くからです」
「それでは答えになりません」
「じゃあ、そうですね。南からです」
「先生…私の言ったこと分かってそんなこと言ってるんですか?」
 唇を尖らせて聖はコウを睨む。コウは爽やかな笑顔でうなずいた。
「私の話なんてつまらないですよ。それより、今日は空の話でもしましょうか?」
 聖の興味を自分から逸らすように話を進めて、コウは書物を聖に見せた。
 聖はコウにすごく興味があるようで、何かにつけてコウのことを尋ねたがる。しかしコウはそのたびにうまくはぐらかして逃げているのが常だった。
 コウはいろんなことを知っていた。様々な所の伝承や風習、空に星、聖は見たことがないけれど、海という大きな水の集まりのこと。山に囲まれたこの集落から出たことのない聖には夢物語のようなものだった。
 楽しい時間はあっという間に過ぎて、夕暮れが迫る。
「さあ、そろそろお帰りなさい。お父様が心配します」
「はい。先生?」
 聖は大きな目でコウを見上げる。
「また、明後日来ても良いですか?」
 いつも突然来ることが多いのに、なぜかこの日はコウに確認を取る。
「ちゃんと、お家のことをしてからだったら良いですよ」
 コウの言葉に聖は満開の笑顔を見せて帰って行った。
 コウは一人になった家の中で、先ほどの聖の笑顔を思い出して小さく笑った、そしてふとため息をついた。
 そろそろ…ここも離れましょうか。
 コウは定住しない。必要以上に人と触れ合うこともない。
 必要とされれば病も治すし、自身の力で災いを祓うこともある。最初はそれを感謝されるし、もてはやされる。
 だが次第に、それを疎ましく思う者も現れる。
 最近、このあたりで不思議なことが起きている。若い娘が突然行方不明になるのだ。今の所三人がある日いなくなってしまった。まだそれほど騒がれていないが、その犯人をコウだと思う者が現れている。
 不思議な力を持つ者は何か悪いことがあると真っ先矢面にさらされる。それはコウにとっても慣れたことだ。
 あらぬ噂が蔓延する前に、ここを離れた方が良い。それは分かっていることだが、なぜかコウは荷造りもせず毎日を過ごしていた。
 その理由は、先ほどここにいた少女のことが気になっているからだ。
 何がと言われてもコウにもわからない。ただ、あの純真な心を持つ少女をコウは見ていたかった。
「何か、気になるんですよね…あの童…」
 童と言った時の聖の顔を思い出して、コウは一人で笑い出した。


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