異種恋愛
1
ドアをあける音がかすかに聞こえた。夢見心地のなか、
「アズ。おはよう、起きる時間だよ」
聞きなれた声と優しく体を揺らす手に、あずみは眠たい目を開けた。
「ほら、起きて」
ベッドを軋ませて体を起こすと、ふんわりと抱きしめられた。目の前には前髪の間から覗くきれいな緑色の瞳、優しく細められた目には自分が写りこんでいた。
「ケイ…もう子供じゃないって毎朝言ってるのに…」
あずみは呆れた声で呟いた。
「別にいいだろ。俺の可愛いアズには変わりないんだし」
「もう…プログラム変えてほしいよ…」
「絶対ヤダ。そんなことするくらいなら廃棄してくれた方がいい」
このやり取り…どれくらいしてるんだろう。
小さく笑ってあずみはベッドから出た。
「じゃあ、着替えたら下りておいで。今日は和食にしたからね」
「分かった。ありがとう」
静かに閉まるドアにあずみは返事をしてクローゼットに向かった。
手早く着替えて階下へ向かう、部屋は暖められ快適で、焼き魚とお味噌汁の良い匂いが鼻をくすぐった。
「ケイ、先に顔を洗ってくるね」
キッチンに立つケイにあずみは言い残しそのまま通り過ぎた。
ケイは短く返事をして盛り付けをする。炊き立てのご飯、焼きたての魚、温かいお味噌汁。あずみには何でもおいしく食べてもらいたい。だから起きる時間から逆算して支度をした。
「よし、これでいい。…あ、そうだ」
ケイは小さく声を出して、一点を見つめる。ケイの長い睫毛に囲まれた緑色の目の、瞳孔がスッと散大した。
瞬時にケイの視界にモニターが現れ、天気予報の映像が映る。
今日は雨が降るという予報。
「雨か…傘を持って行かせるか…帰って来るときに連絡をもらうか………連絡をもらう方がいいな」
「傘で良いよ」
独り言のはずだったのに、それにあずみが返事をした。
「雨に濡れて風邪でもひいたらどうするんだ」
「傘持っててなんで雨に濡れるの?」
「傘が役に立たない雨だってあるだろう?」
心底心配そうに、ケイは言う。形の整った眉毛が寄せられる。
「どんな心配してるんだか…ケイの過保護は今に始まったことじゃないけどさ…」
まんざらでもないようにあずみは笑って食卓に着く。丁寧に手を合わせて挨拶をしてご飯を食べ始めた。
「どう?」
「ケイのお味噌汁が一番好きだよ」
にっこり笑うあずみの顔を、ケイは蕩けるように見つめている。
「ケイ…見すぎ。食べにくい」
「だってアズが可愛いから」
「…………プログラム」
「変えない」
間髪入れずに答えたケイに、あずみは苦笑した。
友野あずみは20歳のごく普通の社会人。10歳の時に唯一の家族だった母が事故でなくなり、天涯孤独になった。
母が亡くなってからは、この目の前にいるケイと一緒に暮らしている。
ケイとあずみは肉親関係でも何でもない。
それどころかケイは人間ですらない。人造人間…アンドロイド。
世の中にはかなりのアンドロイドが出回るようになってきた。
主に働くことを目的として作られたものが多いけど、最近は愛玩型のものも流通している。
ケイは、技術者だったあずみの母が最愛の娘のために作ったもの。
「私に万が一の時があった時のために」
と、冗談で言っていたのが、実際に使用されることになったことは皮肉なことなのだが。
母が娘のために、と言っていただけあって、ケイはとてつもなくあずみ至上主義のプログラムを組み込まれていた。
もう、あずみなしでは壊れてしまうのではないかと言うほどの溺愛ぶりだ。
あずみはこの過保護で綺麗なアンドロイドと生活することで、母の死と言う悲しい出来事を乗り越え、元気に生きていることは感謝している。
でも、最近はそれが少し辛い時もある。
人間のあずみは成長するが、アンドロイドのケイは成長しない。ケイにとってあずみは、自分が起動したおよそ10年前から変わらない存在だ。
そのすれ違いがあずみには辛かった。
「じゃあ、行ってきます」
「忘れ物ない?」
「うん」
「気をつけて。何かあったらすぐ連絡して」
今生の別れかのようなハグが、あずみが出かける度に行われる。あずみはこれに対してはもう諦めていた。
一度拒否をして出掛けたときのケイの落胆ぶりは言葉に出来ない程だった。
「分かった。今日は早く帰ってこれると思うから」
あずみの言葉にケイは嬉しさを隠そうともせずににこにこと笑う。
「分かった。じゃあ、気を付けて」
ケイはもう一度、ぎゅーっとあずみを抱きしめて、あずみの柔らかい巻き毛にそっとキスを落としてやっと解放してくれた。
ケイの感触が残るまま、あずみは出勤する。これも毎日のことだ。
父のようで、兄のようで母のようで、あずみの大切なケイ。
でもそこに新しい感情が生まれていることを、ケイは知らない。
あずみは母がかつて在籍していた企業で働いている。アンドロイドを作る会社、ケイの生まれた所でもある。
「あずみ」
オフィスに入るなり声をかけられ、声の主を探す。
「浩輔。おはよう」
有田浩輔がコーヒーを片手に近づいて来た。浩輔は技術部門の人間だ。実際にアンドロイドを作る過程に携わり、あずみの母と親しかった人物でもあった。
年はあずみよりかなり上だが、あずみはこの男をなぜか呼び捨てにしてる。
「明後日、ケイのメンテだろう?何か気になることとかないかと思って」
年の割には若くみえるその笑顔に、あずみはため息で返した。アンドロイドは年に一回のメンテナンス、人間でいう検診が義務透けられている。ケイは明後日で予約を取っていたのを思い出した。
「どうした?」
「ケイのプログラム、変えられない?」
「プログラム?」
浩輔は少し考えてクスッと笑う。
「ついにケイの愛情に嫌気がさして来たか」
「嫌気って訳じゃないけど…」
あの、いつまっでたっても子ども扱いする所が気に入らない。成人という年齢が18歳に引き下げられてもう何年もたつ。それをふまえても二十歳のあずみは立派な大人だ。納税もしているし。
浩輔はうーんと考えて、やっぱり駄目だ、と肩をすくめた。
「ケイが書き換えを許さないだろうな。いつも穏やかだし怒ることもめったにないけど、キレたらこの会社破壊されそうだ」
「そんなことしないと思うけど」
「絶対するね。ケイにとってはあずみしかいらない訳だし、他の事なんて付属くらいにしか思ってないぞ。それに、ケイは晴香の気持ちだ」
母の名前を出されては、あずみにはもうこれ以上強く言えない。
「晴香がお前のことを愛してるっていう全てが、ケイにつまっているんだから。な?」
そう言って、あずみの頭を優しく撫でて、浩輔は自分の部署に帰って行った。
あずみは小さくため息をついて自分のデスクに着いた。
「アズ。おはよう、起きる時間だよ」
聞きなれた声と優しく体を揺らす手に、あずみは眠たい目を開けた。
「ほら、起きて」
ベッドを軋ませて体を起こすと、ふんわりと抱きしめられた。目の前には前髪の間から覗くきれいな緑色の瞳、優しく細められた目には自分が写りこんでいた。
「ケイ…もう子供じゃないって毎朝言ってるのに…」
あずみは呆れた声で呟いた。
「別にいいだろ。俺の可愛いアズには変わりないんだし」
「もう…プログラム変えてほしいよ…」
「絶対ヤダ。そんなことするくらいなら廃棄してくれた方がいい」
このやり取り…どれくらいしてるんだろう。
小さく笑ってあずみはベッドから出た。
「じゃあ、着替えたら下りておいで。今日は和食にしたからね」
「分かった。ありがとう」
静かに閉まるドアにあずみは返事をしてクローゼットに向かった。
手早く着替えて階下へ向かう、部屋は暖められ快適で、焼き魚とお味噌汁の良い匂いが鼻をくすぐった。
「ケイ、先に顔を洗ってくるね」
キッチンに立つケイにあずみは言い残しそのまま通り過ぎた。
ケイは短く返事をして盛り付けをする。炊き立てのご飯、焼きたての魚、温かいお味噌汁。あずみには何でもおいしく食べてもらいたい。だから起きる時間から逆算して支度をした。
「よし、これでいい。…あ、そうだ」
ケイは小さく声を出して、一点を見つめる。ケイの長い睫毛に囲まれた緑色の目の、瞳孔がスッと散大した。
瞬時にケイの視界にモニターが現れ、天気予報の映像が映る。
今日は雨が降るという予報。
「雨か…傘を持って行かせるか…帰って来るときに連絡をもらうか………連絡をもらう方がいいな」
「傘で良いよ」
独り言のはずだったのに、それにあずみが返事をした。
「雨に濡れて風邪でもひいたらどうするんだ」
「傘持っててなんで雨に濡れるの?」
「傘が役に立たない雨だってあるだろう?」
心底心配そうに、ケイは言う。形の整った眉毛が寄せられる。
「どんな心配してるんだか…ケイの過保護は今に始まったことじゃないけどさ…」
まんざらでもないようにあずみは笑って食卓に着く。丁寧に手を合わせて挨拶をしてご飯を食べ始めた。
「どう?」
「ケイのお味噌汁が一番好きだよ」
にっこり笑うあずみの顔を、ケイは蕩けるように見つめている。
「ケイ…見すぎ。食べにくい」
「だってアズが可愛いから」
「…………プログラム」
「変えない」
間髪入れずに答えたケイに、あずみは苦笑した。
友野あずみは20歳のごく普通の社会人。10歳の時に唯一の家族だった母が事故でなくなり、天涯孤独になった。
母が亡くなってからは、この目の前にいるケイと一緒に暮らしている。
ケイとあずみは肉親関係でも何でもない。
それどころかケイは人間ですらない。人造人間…アンドロイド。
世の中にはかなりのアンドロイドが出回るようになってきた。
主に働くことを目的として作られたものが多いけど、最近は愛玩型のものも流通している。
ケイは、技術者だったあずみの母が最愛の娘のために作ったもの。
「私に万が一の時があった時のために」
と、冗談で言っていたのが、実際に使用されることになったことは皮肉なことなのだが。
母が娘のために、と言っていただけあって、ケイはとてつもなくあずみ至上主義のプログラムを組み込まれていた。
もう、あずみなしでは壊れてしまうのではないかと言うほどの溺愛ぶりだ。
あずみはこの過保護で綺麗なアンドロイドと生活することで、母の死と言う悲しい出来事を乗り越え、元気に生きていることは感謝している。
でも、最近はそれが少し辛い時もある。
人間のあずみは成長するが、アンドロイドのケイは成長しない。ケイにとってあずみは、自分が起動したおよそ10年前から変わらない存在だ。
そのすれ違いがあずみには辛かった。
「じゃあ、行ってきます」
「忘れ物ない?」
「うん」
「気をつけて。何かあったらすぐ連絡して」
今生の別れかのようなハグが、あずみが出かける度に行われる。あずみはこれに対してはもう諦めていた。
一度拒否をして出掛けたときのケイの落胆ぶりは言葉に出来ない程だった。
「分かった。今日は早く帰ってこれると思うから」
あずみの言葉にケイは嬉しさを隠そうともせずににこにこと笑う。
「分かった。じゃあ、気を付けて」
ケイはもう一度、ぎゅーっとあずみを抱きしめて、あずみの柔らかい巻き毛にそっとキスを落としてやっと解放してくれた。
ケイの感触が残るまま、あずみは出勤する。これも毎日のことだ。
父のようで、兄のようで母のようで、あずみの大切なケイ。
でもそこに新しい感情が生まれていることを、ケイは知らない。
あずみは母がかつて在籍していた企業で働いている。アンドロイドを作る会社、ケイの生まれた所でもある。
「あずみ」
オフィスに入るなり声をかけられ、声の主を探す。
「浩輔。おはよう」
有田浩輔がコーヒーを片手に近づいて来た。浩輔は技術部門の人間だ。実際にアンドロイドを作る過程に携わり、あずみの母と親しかった人物でもあった。
年はあずみよりかなり上だが、あずみはこの男をなぜか呼び捨てにしてる。
「明後日、ケイのメンテだろう?何か気になることとかないかと思って」
年の割には若くみえるその笑顔に、あずみはため息で返した。アンドロイドは年に一回のメンテナンス、人間でいう検診が義務透けられている。ケイは明後日で予約を取っていたのを思い出した。
「どうした?」
「ケイのプログラム、変えられない?」
「プログラム?」
浩輔は少し考えてクスッと笑う。
「ついにケイの愛情に嫌気がさして来たか」
「嫌気って訳じゃないけど…」
あの、いつまっでたっても子ども扱いする所が気に入らない。成人という年齢が18歳に引き下げられてもう何年もたつ。それをふまえても二十歳のあずみは立派な大人だ。納税もしているし。
浩輔はうーんと考えて、やっぱり駄目だ、と肩をすくめた。
「ケイが書き換えを許さないだろうな。いつも穏やかだし怒ることもめったにないけど、キレたらこの会社破壊されそうだ」
「そんなことしないと思うけど」
「絶対するね。ケイにとってはあずみしかいらない訳だし、他の事なんて付属くらいにしか思ってないぞ。それに、ケイは晴香の気持ちだ」
母の名前を出されては、あずみにはもうこれ以上強く言えない。
「晴香がお前のことを愛してるっていう全てが、ケイにつまっているんだから。な?」
そう言って、あずみの頭を優しく撫でて、浩輔は自分の部署に帰って行った。
あずみは小さくため息をついて自分のデスクに着いた。
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