神刀人鬼

神取直樹

轟々

 戦場の、音は、爆撃や断末魔だけでは収まらない。死の音があるならば、生の音だってそこには捨て置かれていく。そこに自分はいるという、閃光弾の高らかな叫び。そして、鼓膜に声と音とを震わせて、少女は顔に貼り付けている呪符越しに、肉塊の獣と偽物の瞳を対峙した。
「巴」
 神野が、その巨体で担いでいた巴に声をかける。
「出来るな」
「えぇ、出来ますとも。ここまで来たら出来なきゃ死ぬ」
 ニュルりと下で、昴達が消えたことを認識した神野が吹き出して笑ったが、巴は気にせずに、口を大きく開ける。それが合図だと、神野は、閃光弾を前座に始まる歌を耳元で、鼓膜が破れるほどの大音量で聞き入った。
 それは歌。これは叫び。またはこれから去ぬる獣のための、断末魔の代理。そして、食われた者への餞。巴の、女の高い警笛にも似た声は、戦場その全てに鳴り響いている。目の前にいる蛙も、当たり前のように、聞こえているだろう。何度も聞いている神野でさえ文字には出来ないその言葉ともいえぬ声は、存在を固定する。蛙は動きを止め、ひれ伏すように、体を地面に落とした。体の中でまだ生きていたらしい者たちが、呻き声を上げていると、静寂を取り戻したその場所で気が付く。巴はそれを知らせようと、神野に顔を向けるが、彼の耳から垂れた血液で、視線を伏せた。神野は巴を血液だけの地面に、必要性を欠いたというように、落とし、自分も地面に靴底を刎ねさせる。
――――肉躍る、というべきか。
 四肢はその、刀を振るう体にしなりを与え、ニヤリと笑ったその表情がわからぬくらいには、速度を与え、蛙の目など追いつかないように、温度などわからぬように、その肉塊の蛙が挽肉の蛙になるまで、腹の中の僅かな命さえみじん切りにさせ、文字通りの皆殺しを導く。その横顔は悦に浸っていて、誰にも止められそうにない。悪魔、と呼ばれても、誰にも文句は言えはしないだろう。聞こえぬ耳を武器に、中かた顔を出して生を懇願する、名前も知らぬ戦友でさえ、合挽にするのだから。
 ほどなくして衝撃と斬撃の音が終わり、ただ確固たる、死、その戦の終わりが露呈すると、そこは、実に静かな、早朝の夢現にあるように、一部分だけの生を見出させた。神野が、最期に刀を、生のハンバーグの天辺のようなところに突き刺し、獣の咆哮のような激しい声を、声帯を潰してまで出力する。静かになって、巴は、少し遠かった距離を歩みで縮めた。
 あぁ、生きている。決まったことが、ここにあるのだ、と。巴は、ゆっくりと息をした。神野は、呆気の無い生死の境目に膝をついて、目の前で、祈るように、天に瞼を閉じて顔を向けている。それは聖人のようで、そこまで見目の良いわけではない、ただ背の高いだけの神野を、美しく感じさせる。日の光とは、それだけの効力があるのだな、と、巴は、視覚を背けた。その光は夕焼けから出でいて、オレンジ色であると気づく。残った有翼人達が、飛び、何かを探しているようだった。
「七番隊長、もう、帰りましょう」
 夕焼けの鴉のようだと、その翼ある者たちを疎んで、巴は神野に声をかける。しかし、神野は首をがくりと前に落として、立ち上がるだけで、こちらの声を聴いているようには思えない。パカラと、馬蹄の音が聞こえて、巴はそちらを振り向く。
「……騎馬隊」
 胴体になんの金具も着けていない馬に、平然と乗って、こちらに走って来るのは、童子切、それと、その主人である猫耳夜弥である。夜弥の方と言えば、童子切の乗る同じ馬の上で、ぐったりと体を寝かせて、意識を殆ど失っている。辛うじて、童子切の外套の端を掴んでいることから、意識は保たれているのだと 認識できる。
「声を使ったのはお前か」
 馬上より、童子切がそう、牙を見せながら言う。確実に、怒りを持って、こちらに目を向けていた。
「はい。日有楽ノ國、七車学徒軍、四番隊記録係、菟田巴です。獣を仕留めるにはこの方法しかないと、そこで何だか知らないけれど、天を仰いで悦に浸ってやがる同軍の七番隊長に連れてこられました」
「そうか。道理で夕の宙がすぐに帰ったわけだ」
「夕の宙が出ていたんですか」
 夕の宙。日が落ち始めた戦場に現れる、正体不明の有翼人であり、その戦場を活気づかせ淘汰を促進させていく存在。それが降り立ちすぐに消えた。それは、つまり、戦場の意識が変わったことになる。夕の宙が消えると、一気に戦場の空気は冷めることが殆どで、実際に今も、戦場は静かである。戦場の兵士たちが、あぁ、どちらかの長が死んだのだ、と、察したからでもある。自分たちに戦う道理は、そこにはもうないと、理解したからだ。だからと言って、敵の兵士を治療するなどのこともせず、物品を盗んでいく者たちもいはするが。
「……ところで」
 童子切が、巴に問う。
「神野は何で生ハンバーグの上で座ってるんだ」
「あれは獣の破片とか両国の兵士の破片とかなんですが、まあ、よくわからないです。まだ鼓膜の再生が出来ていないみたいなのはわかりますが」
「成程。で、いつになれば再生する」
「さあ」
 首を傾げて、わからない、と、紙越しに意思を表明する。ふと、神野が立ち上がる。
「……神野。帰るぞ」
 童子切がそう言うと、聞こえてはいるようで、神野は童子切を一瞬だけ見て、生肉たちを掘り始める。
「何かあったの?」
 巴が呆れたように、それでも共に、その場所を掘り出した。神野は何も答えずに、ただただそこを掘り続ける。童子切が上空をふと見てみると、そこには有翼人である捜索隊員の一人が、旋回していた。そうだ、そういえば、と、思い出す。
「神器があったのか」
 馬から降り、共に探そうと、駆け寄った。だが、その足が辿り着く前に、ぎゅるりと、肉同士が混ざり合って繋がる音がして、人の形が、神野と巴の前に現れる。それは全裸で、鱗が全身をまばらに覆っていて、どこも隠してはいなかった。
 突然現れた全裸の大和を予測していたように、神野は巴の目を手で隠した。
「……ウッ……たい、たいちょ……隊長……っ」
 喉をつかえさせているように、声を閊える大和は、蹲ろうとするところで、神野に鳩尾へと一発の拳を捉えられる。がぼっ、と言って、腹から、喉から吐き出されたのは、一つの、勾玉であった。どろりと大和の粘膜で覆われていて、あまり触りたいとは思えないが、それから発せられる灯りは優しい緋色で、夕焼けと同化している。
「八尺瓊勾玉……!」
 それが、神器であると、童子切が触れて知る。
「三種の神器が何故ここに?」
 巴が、聞いたことのある名だと、首を傾げる。
「わからん。だが、これではまるで、与えられたようだ。こんな女に、所有権のある代物とは思えん」
 蛙と化していた女のことを指しているのだろうが、確かに、三種の神器というものは、ごく普通の人間に扱えるようなものではない。そもそも神器そのものが、神器から選ばれた者にしか扱えないのだから、何もそれに繋がりのなさそうな、一介の者が手にし、使える意味も理由もない。
「……だが、まあ、良い。捜索隊に回収してもらって、所有権の検索も蠍にさせよう。疲れただろ、迎えを寄こしてやる」
 童子切の労いに、巴は声を輝かせて、言う。
「本当ですか。いや、七番隊長にまたお持ち帰りされるのかと思って、明日は腰痛で起きらんないなあって思ってしまって」
 そんなことを言ったとき、ゴツン、と、巴の頭に軽く拳が当てられた。
「俺は軍の重役に手を出すほど命知らずではないし、お前みたいな乳もあまり大きくない女を抱くほど盛んじゃない」
 やっとのことで喉を震わせた神野が、そう言って、若干の呆れたような笑みを浮かべていた。
「声帯を再生したのか」
 童子切がそう尋ねると、あぁ、とだけ返して、そのまま、無言で、迎えに来るだろう馬や竜と、神器を回収に来るだろう捜索隊の蠍を待った。



 終わる、そのほんの少し前、昴達が帰路用の鏡を通して帰った本陣には、怪我人と、戦場の終わりを待つ者たちであふれかえっていた。どこを歩こうとしても、そこには必ず生きた肉があって、文字通り足の踏み場もない。死んだ肉ならばいくらでも踏めるのにと、少し、困った顔をした昴がそこにはいた。終わったのだと、告げようと、どうにか、近くにいる者に声をかけようと、口を開く。しかし、その声も掻き消される音が、絶叫が、その場にいた全員の耳に届く。
「何だ!」
 みどりがその声に反応し、耳を塞いだ。誰もが避けたくなるような声で、気分が悪い。
「蟲遣いだ!」
 昴が、その存在に気付いて、言う。これは蟲遣いの声であると、これは、獣を殺す合図だと。蟲遣いは獣のみにダメージを与える特殊な叫びを持っている。ダメージを与えるのは脳、人を殺すというその本能を殺す。それにより、獣を従わせることも出来れば、家畜として飼いならすこともあると報告されている。しかし、発見された当時でも、現在でも、彼ら彼女らは数が少なく、純血はほぼいない。今回駆り出された者も、混血であろうということが、人間である昴達すら僅かに攻撃する声の声質により理解出来る。
 暫くして、音が納まる。静寂であった。のたうち回る一部の者の声さえ上がらなければ。
「……終わったんか」
 出雲が、塞いだ耳を開ける。脂汗と、青ざめた表情が、いつもの飄々とした彼の雰囲気を失わせる。
「言霊遣いには効くのかこれ」
 昴が、一人納得したが、その表情を見て、出雲が舌打ちを鳴らす。相当に頭が痛いのか、こめかみのあたりに手を当てて、その場に座った。それと同時に、同じく、春馬の腰を床に落ちつけた。
「そこで休んでてくれ。これでもう終わりのはずだ。多分、神野さんが巴さんを連れて行ったんだと思うし」
 知っている者の名を上げる。おそらくはそれであっている。自分は報告しなければならない。自分が何をして、どんな成果を上げたのか。初めての遠征隊としての出陣がどんなものだったのか。出雲のことも言わねばならないだろう。これは人を中核とした単一種族主義の政府には大打撃を与えられる情報である。食人種についてもある。それは、自分の出生の話を聞き出す算段でもある。
「……眉間に皺が寄っている」
 みどりが、そう、昴に注意した。
「あぁ、本当だ」
 昴は気づいて、眉間に指を当て、力を抜いた。ひきつった顔半分の皮膚の痛みが和らいで、楽になる。
「言っておくがな」
 前を向いて、無い足場を踏みつけて、みどりが、サイドテールの金髪を揺らす。昴よりも数段高い背丈で、昴はそれを首を痛めながら聞く。
「あの食人種達の事は、お前が気にすることじゃない。きっと幕府の上層部だって、もう知っている」
 考えを読まれたようで、気分が悪い。昴は反論に転じようとしたが、その前に、自分たちの目の前に、見知った顔が現れたことに気が付いて、そちらに、二人そろって意識が集中した。
「……羚?」
 黒いくせ毛のセミロング、それに、細く小さな幼い体躯、昴にとっては自分の師匠と同じ青い瞳。ガラス細工を埋め込んだような、少々の生物性を失ったように、彼は瞳の輝きを失わせて、廊下で蹲っていた。
「羚」
 昴が、目を合わせようと、顔を見て言った。しかし、羚は目を合わせても、今にも泣き出しそうな顔をするだけだ。顔の腫れから、延々と泣き続けたのだろうことがわかる。今泣きたくとも、それが出来ない程に脱水を起こしているのも分かる。
「水を飲もう」
「誰?」
 昴が制服の中から水瓶を出そうとしたとき、こちらに、やっと反応した羚は、昴を見ていた。
「昴。一条昴。お前の父さんの、弟子」
 冷静に、ゆっくりと水を飲ませながら、羚に言う。しかし羚はまるで生きることを諦めているというように、口から水をこぼすだけで、飲もうとはしない。上等そうな服が濡れる。
「何があった」
 今度はみどりが尋ねた。羚は長いみどりの髪を一度、舐めるように見て、やっと、一口水を飲んで、声を出した。
「愛が、愛が、僕のせいで、愛が」
 ずっと、愛と連呼する。それが大切な人だということは理解している。しかし、まるで、それはただの依存にも見えて、おそろしく、アルコール中毒のようで、嫌悪を誘発させる。
「誰のせいかどうかは聞いてない。何があったのかだけ言ってくれ」
 昴の言葉を聞いてやっと、涙が出て来た羚の口が動く前に、羚の隣にあった、扉が開く。
「美香さん」
 昴は血だらけで佇む美香の姿を見て、そう呼んだ。難しそうな顔の美香は、口を開く。

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