神刀人鬼

神取直樹

養命

 遠く遠くの、戦場より、音が聞こえる。耳を澄まさなくとも聞こえるその音は、所謂爆撃音で、耳に劈く。鼓膜が破れないのは、ある程度それが遠くにあるからだ。もしかしたら、こちら側の戦士が、あちら側を占領していて、もう、本当に遠いところで、火と風が穿ったのかもしれない。そう思って、羚は愛の手を強く握らなかった。いつも通り、エスコートするように、彼女の手に触れているだけ。しっかりとつかむ先は、美香という、今初めて出会った女の、厚い上着の裾。曰く、自分たちの世話係らしい。美香は周囲の者たちの怒号や泣き叫ぶ声を聴いて、丁寧にそれらを潰そうとしていた。
「もう大丈夫よ、止血してあげるから。貴方は屍生種の血が入ってるから、すぐに良くなるわ」
 美香の膝の上でうめき声を上げる少女からは、異様な、あまり羚達は嗅いだことないような、異臭が漂っている。例えば、フルーツヨーグルトを放置して腐らせたときのような、そんな甘い匂いと納豆にも少し近いような、形容しがたい臭い。それが特に発生しているのは、腹の皮を破って出てきている、内臓。まるで動物に食い荒らされたような傷であった。それを美香は鮮やかな手さばきで、布で固定、血液の流出を止める。
「隣の子は」
 周囲を見渡せば、少女と似たような状況の子供や、四肢のどれかか、または全てを欠損し、赤に染まる子供、銃弾で受けた傷口を乱雑に布で巻いている青年たちなど、怪我人の海の真ん中に、三人は立っていた。
「貴方は何処の藩の子?」
 少女の隣にいた、中世的な少年が、ハッと目を覚ます。鮮やかで赤い和傘と、巨大な大太刀を抱えた彼は、覚醒してすぐにふらつきながら、その細い体躯を立てる。
「江戸守護、警護部の太刀上洋南でございます。蝦夷藩看護部の、三日月宗近様とお見受けします……っ」
 そこまで口上を垂れると、持っていた大太刀に寄りかかり、また倒れかけた。それを美香が抱え込む。
「無理はしないで。脱水症状が出てる」
「……そちらの食人種は、もう、行きましたか」
 差し出された水筒を手で断り、一言、洋南はそう言った。言葉に一息ついたのを見て、美香は無理やり口に水をこぼす。驚いた表情で洋南は、それを口で受けた。
「そうね、行ったわ。だから、もうすぐこの戦いは終わる」
 咽た洋南の背を摩りながら、美香は続けた。
「政府の大体の戦力は、奥の奥にいる。それを暗殺というていで、戦闘に持ち込んで殺すのが遠征隊よ。遠くにいる強い奴らをショートカットで殺しに行く」
「……そんなの、勝てっこない」
「どうかしら。昴は食人種の危険種よ」
「だが共にいるのは原種が二人とサキュバス種が一人」
 僅かな傷を美香が見つけ、打撲傷や切り傷火傷、それに応じて、周囲の者に指示を出し、患部を冷やすなどして、動き続ける。手が動き続けても、彼女の口は止まらない。
「原種とサキュバスだけ。本当にそうなのかしら」
「違うんですか?」
 問いに、美香は眉間に皺を寄せる。完全な、軽蔑の目。
「貴方はインキュバス種と原種のハーフよね。年齢は?」
「十六です」
「ならきっと知らないのね、もう殆どいない種族だもの」
「誰の事を言っているのですか?」
「何百何千の人間を従わせ、支配する。人数は関係ないの。声さえ届けばいい」
「そんな能力、人間にありっこない」
 論の攻撃、自由の利いた会話の戦場。それを羚と愛は見つめる。羚からすれば、ただの子供の言い合いにしか見えず、何を言っているのかわからない分、理解へとは歩めなかった。
「そう思うならそう思っていればいいわ。彼はそういう種族だという事実が、そこにはあるんだもの」
 事実の重みを感じさせるように、美香は足に巻いた布を無駄にきつく縛ったようで、洋南は顔をしかめている。突然痛みを感じた足を撫でて、洋南は座り込んだ。それを見て、美香は鼻で笑う。
「貴方、生意気言うくらい元気なんだから、隣のお嬢さんと周りの子のこと、見てあげてね」
 洋南は黙ったまま、体勢を崩していた少女の姿勢を息がしやすいように直して、皮肉に美香へ笑い返した。
「羚君、愛ちゃん、ごめんなさいね、待たせて」
 先程の態度が無かったかのように、美香は二人へ優し気な笑みを浮かべる。言葉の返しの代わりに、羚と愛は揃って首を横に振った。それを了承の意と捉えて、二人の手を少し血で汚れた自らの手で握る。何か穢れが移ったような気がして、羚は一瞬だけ眉間に皺を寄せたが、愛が平然としているのを見て、表情を直した。
「お散歩って、こんなに殺伐としたものだっけ」
 羚が静かに呟くと、近くで洋南が吹き笑いするのが聞こえた気がした。
「よく殺伐って言う言葉知ってるわね、羚君。大人っぽいのもパパそっくり」
 美香がそう言うと、羚は父がどんな人物なのか知りたくて、口を開けようとしたが、自分達の右側の方から、大きなどよめきを感じて、口を閉じた。三人とも、その方を見て、目を見開く。何人かの怪我の少ない者たちが、刀や銃などの武器を持って立ち上がっていた。その先に、見覚えのある黒髪の子供を方に抱えて、誰かの足首より下の二つを持つ、血だらけの男が立っていた。その隣には、男と同じ軍服に、手斧と五本の刀をそれぞれ両手で抱えた茶髪の男が、その辺をふらふらと散歩してきて、暇になったからと家に帰ってきたように、煙草を吸いながら立っている。煙草の男も、血まみれではあるが、その周囲にいる者達の方が、今にも死にそうな傷を負っているようだった。子供を抱えた男が前に出ると、そのまま煙草の男も前に出る。
「俺達は政府軍のヒラ兵士だ。戦意は無い。この身を幕府に捧げに来た」
 そう言っても、幕府の兵は何も動きを示さない。言えるのなら、羚と愛の隣にいる美香が何か気が付いたように、冷や汗をかき出したことだろう。
「証拠に、この子を連れて来た。アンタらのとこの兵だと思う。止血はしたがこのままじゃ足に後遺症が残るだろう。さっさと治療しろ。俺達の方を含めて」
 まるでその子供を人質に取ったかのように、男は言う。煙草の男はそれを聞きながら、煙草を床に落として火を消した。膠着状態、負のお見合いが続く。どちらも今は戦う余裕がないという状態で、どうすれば良いのか、最善策を探しているようだった。

「美香嬢、治療してあげてください。身元と賞罰は私が受け持ちましょう」

 ある青年の声が、それを打開した。示された美香が、背筋を伸ばす。
「ここまで連れてくるのに結構苦労しました。皆さん、案外私の顔を知らないものですね」
 声は、政府軍勢の後ろから聞こえるものだった。彼らの後ろから、ひょっこりと顔をのぞかせる、癖のある黒髪に紫色の幼い目。次第に人を掻き分けて、見えるのは、顔に似合わないそれなりにしっかりとした、肉体。ほとんど服としての機能をはたしていないような、肌色をのぞかせる黒い着物。
「リン様!?」
 美香の驚いた声が、響き渡った。
「えぇ、そうですよ、皆のリンちゃんですよ」
「何で貴方がここに」
「兄さんが来ていないかと、ちょこっと外に顔を出しに行ったんですが、やはり来ていなかったようで。その帰りに、彼等に人質にされていた、蝦夷の朝夜ちゃんが居たのでとりあえず、という感じです」
 ただそれだけのことです、と、リンは微笑む。やはり、抱えられて意識の無い子供は、朝夜であるらしかった。彼女が朝夜であると知った瞬間、美香は彼女を抱えた男の前まで駆け寄る。
「アンタ、この娘の足ぶった斬ったの!?」
 怒りに任せたような声で、美香は男に怒鳴りつけた。慌てたように、男は一言、すまない、とだけ言った。
「足と身体をくっつけなきゃ」
「くっつけられるのか?」
 心底驚いた様子で、男は言うと、朝夜の身体を床に横たわらせ、足を美香の手に渡す。
「当たり前でしょ。まだ傷が乾いてないんだから」
「でも神経が」
「そんなの縫ってリハビリすればすぐに元に戻るわよ」
 それを聞いた周りの政府の者達も、驚いて、ざわめき出す。
「そんな進んだ医療があれば、アイツらだって生きられたのに」
 一言、美香の目の前で男が呟く。美香は彼から受け取った足を朝夜の足首に合わせるのに必死で、男の声を聞こうとはしない。その彼の声は、羚には聞き取れていて、他の周りの、幕府の者達には届いてはいなかった。どうしても、その言葉が気になって、羚は愛を連れて、男の元に駆け寄った。美香が一瞬声で静止しようとしているように見えたが、それを無視して、すぐに立ちすくしていた男に声をかけた。
「おじさんは、誰か死なせちゃったの?」
 羚がそう尋ねると、男は黙って頷く。
「その人は朝夜よりも軽い怪我だったの」
「あぁ、そうだ」
「どんな人だったの」
「いっぱいだから、言いきれない」
 酷く優しげな声で、男が言う。その口調が、何処か、エギーに似ているような気がして、羚は一つ、何か一つ、安心して言葉を放つことが出来た。
「おじさん、お名前は」
「……島谷、島谷浩太」
「コータおじさん、僕はね、羚って言うんだよ。稲荷山羚。隣のこの娘は、鎌田愛」
「……おじさんは酷いな。自己紹介と彼女の紹介どうもな、羚」
 おじさんと呼ばれるのを嫌そうにすることと、暗い表情を見せる様子が、やはり快活であったエギーとは違って、全く違う人物であるということを羚に対して、ハッキリさせる。
「あぁ、そうだ、コイツは少佐っていうんだ」
 自分も連れの紹介を、と言わんばかりに、島谷は隣にいた男、少佐を指差しそう言った。
「少佐さん、初めまして」
「初めまして」
 羚の丁寧な挨拶にも、ぶっきらぼうに返す少佐は、もう一本の煙草をポケットから出して、火をつけた。それに気が付いたリンが、煙草の火元をその細い指で潰す。
「少佐殿、幕府の軍部は基本的に禁煙です故。食人種が嫌がりますから」
「あぁ、すみません、気付かなくて」
 リンに返したのは少佐ではなく、島谷だったが、その彼の持っていたのも、少佐と同じ銘柄の煙草一本であった。
「気ツケは酒だけでお願いしますよ」
 微笑むリンの顔は、何処か恐怖を煽るようで、支配力の感じられる様子で、異常に背筋が寒い。島谷も同じことを思ったのか、返事をする声が少し震えていた。
 島谷が一服しようとしていた一本をポケットの中に戻した頃には、周囲の傷だらけの政府兵は少し間を開けて床に寝かせられて、包帯や布で傷を覆われていた。すぐ近くではまだ美香が朝夜の足を縫い付けている。足を縫われる痛みを感じない程、深く眠る朝夜は、まるで死んだようにそこに横たわっていた。それを心配そうに、島谷が見つめ、何か問いたいのか、美香に目線を近付けようと、しゃがんだ。それによって、島谷の黒いコートの背が穴だらけであると知れる。その穴から見えるシャツは血だらけで、コートの穴とそのままの位置に更に穴があったが、下の皮膚には不思議と、一つも傷が無い。
 羚は不思議に思ったが、愛に強く手を握られて、思考を止めた。
「愛?」
 振り向くと、顔を青ざめさせた、愛がそこには居た。気分が悪そうで、今にも倒れそうな程である。
「愛? 愛……愛! 愛!」
 まだ倒れてはいないが、立つのもやっとな状態に、羚は叫ぶ。彼女がこうなるまで、自身が気付かなかったことが何より恐ろしかった。
「どうしたの」
 朝夜の治療を終えた美香が、愛と羚に駆け寄る。
「愛が具合悪いんだ……」
 今にも泣きそうな顔で、羚が美香に答える。その瞬間、愛は羚に全体重をかけて、意識を失った。

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